審判の日

「結論から言うと、イノリちゃんの目については私にもさっぱりなんだよね」


 何もわからない、と答えられるのは少し想定外で、俺は「意外だな」と素直に口にした。


「先生にもわからないことだってあるよ……っと。治療おしまい」


 イノリの背を軽く叩いたくーちゃんの表情は少しだけ憂いを帯びていた。


「ごめんね。左目は治せなかった」


 謝るくーちゃんに、イノリは首を横に振って礼を言った。


「他を治してもらっただけで十分です。この目も、躊躇う理由がなくなっただけですから」


「うーん覚悟決まってるねー。それじゃ一つだけ忠告。その眼のことはさっぱりわかんないけど、多分、魔力の代わりに神経を酷使してる」


 治療の際に、視神経及び脳の一部に強い負荷がかかった痕跡があったとくーちゃんは言う。


「連続して使用するのは10分に留めておいたほうがいいかな。一日の限界使用時間は30分……それ以上は脳が壊れちゃうと思う」


「わかりました。気をつけます」


「……って言ってるけど、多分この子は無茶するだろうから。シャロン、きちんと見ててあげなよ」


「言われるまでもない」


 ここ最近頻繁に授業に顔を出し、多くの生徒の指導に励むようになったくーちゃんは、以前と比べて格段に教師らしくなっていた。

 貫禄が出た、と言うべきか。


「……キミからとても上から目線な何かを感じたよ」


「気のせいだろ。それじゃ、ストラをよろしく頼む」


「暗くなる前には迎えにきてあげなよー」


 ぶんぶんと右手を振って見送ってくれるストラに軽く手を振りかえし、俺とイノリは演習場を後にした。




◆◆◆




「……それじゃ、二回目の定期試験が終わったら卒業して本業に戻るのでいいか?」


「うん。だからあと一週間くらいだね」


 二ヶ月。長いようで短かった二度目の学園生活の終わりが見えて、俺はとても開放的な気分になった。


「ようやく座学と制服から解放される……!」


「なんかやたら増えちゃったエトくんの下着類、どうしようか」


「イノリ、未来のことはいい。今を生きるんだ」


「程のいい先送りじゃん!」


 実際どうしろというのだ。

 学園でできた友人たちに連れ回されたショッピングで気がふれて購入してしまったり。たまたまその場に居合わせた男子たちを女子たちが焚き付けてファッションショーになってしまい貢がれた数々の洋服たちを思い、俺は瞳から光を消した。


「服の方は背格好が近いからイノリとストラが着れるとして。問題は——」


 視線が無意識にイノリの大平原に寄ってしまい、顔面に強烈な拳がめり込んだ。


「エトくん? 私がどうかした?」


「俺がどうにかなりそうだ」


 問題は下着。

 はっきり言おう。イノリのサイズに合ってない。

 それなりに膨らみのあるシャロンとは異なり、イノリは無だ。

 以前、ラルフが寝言で「胸じゃなくて肋」なんてとんでもない暴言を吐いていたが、その喩えに偽りなく。

 本人曰くほんの少しずつ成長しているらしいが、その数値はおそらくマクロ単位。


「ストラが成長すればあるいは……」


「エトくん、女の子の体で良かったね。普通だったらセクハラで殺されてるよ?」


「……早く男の体に戻りてえ」


 シャロンの身体に慣れすぎてしまった弊害と言うべきか。最近、肉体置換を解除するのをたまに忘れるのだ。

 当たり前のように風呂に入り、下着を替え、寝巻きに着替え就寝する。

 羞恥などとっくに消え失せ、無意識に服の組み合わせや肌触りを確かめたりするようになったりもした。周りからどう見られているのか——なんて考えも過ぎるようになり、別の髪型を試してみようかなんて好奇心が湧くこともしばしば。


「最近、視界が勝手に服に吸い寄せられるんだ……おかしい……俺はファッションなんて欠片も興味なかったのに。う、ううっ……!」


「も、戻れないところまで侵食されてる……」


 嗚咽を漏らす俺を憐れみの目でイノリが見下ろし、周囲の人間から奇異の視線を向けられる。


「真面目な話さ、ストラちゃんにはどう説明するの? シャロンちゃんがエトくんだって」


「それなんだよなあ……いつ伝えるべきかなぁ」


「立ち直り早っ!」


 ストラをパーティーメンバーに加える以上、近いうちに俺のことを打ち明ける必要がある。

 が、ここで問題なのがどのタイミングで話すかだ。


「加入後にバラすのは詐欺みてえなもんだし、やっぱ登録前に教えないとだよなあ」


「ストラちゃん、シャロンちゃんにものすごく懐いてるからね……すごいショック受けるんじゃない?」


「正直そんな気がしてて怖い」


 しかし、話さないという選択肢はない。俺が俺である以上、避けては通れない道なのだから。


「登録当日、やる気になってるタイミングでバラせば多少強引でも勢いで納得してくれるかな……」


「エトくんがすごく悪いこと考えてる」


「あとラルフに関しても言わないとなんだよなあ」


 一応もう一人、仲間に男がいるとは伝えてあるが、それがハーレム形成を夢に持つ性欲大魔神だとは一言も言っていない。


「なんか整理するとさ、私たちがやってることって悪質な宗教勧誘みたいじゃない?」


「イノリ。世の中には気付いてはいけない真実というやつがあるんだ」


「見て見ぬふりじゃん!」


 まあラルフはなんだかんだでヘタレで奥手だし、そもそも仲間に手を出すような奴ではないので大丈夫だとは思う。

 なのでやはり、最大の問題点は俺=シャロンという一点だ。


「まあ、その時になったら考えようぜ。来週の定期試験の後でも遅くはねえよ」


「それもそうだね。私も時間魔法で度肝抜く準備はできてるよ!」


「眼は使用禁止だからな?」


「わかってるって!」


 本当にわかっているのだろうか。





◆◆◆




「……ああ。少し早いが始めよう」


 ひどく冷たい声が暗闇に響く。


「我らの傷跡を、世界に刻み込むぞ」


 音を立てて、剣が交わり地に突き立った。





◆◆◆





 俺が謎の二人組と、イノリが絡繰と紅蓮の両名と交戦した五日後。

 土砂降りの雨が朝から続く中、俺は一人、図書館に篭っていた。

 学園は定期試験二日前のため授業はなし。ストラとイノリはくーちゃんから強制休養を言い渡されたため今日は一日部屋で大人しくしているとのこと。


「あの地下空間は、やっぱり禁書庫か?」


 調べ物をするふりをしながら図書館全体をぐるりと一周したが、地下へ続く階段はなし。

 何かしらの魔道具で隠蔽されている可能性はあるが、それなら直感に反応していても不思議ではない。


「やっぱ、職員専用区画のどっかに……? リディアに聞ければ良かったんだが」


 あの日以降、リディアは学園に姿を見せていない。

 魔法師の先生曰く体調不良らしいが……かなり心配だ。

 家を知っていれば見舞いにも行けたんだが、知らないためそれもできない。


「というか、今更だがアイツはなんであんな場所にいたんだ?」


 規則を破るような子ではないと思っていたんだが。

 あと、あの場にあった謎の絡繰も気がかりだ。イノリが交戦したという絡繰とは違い再生こそしなかったが、外見的特徴は聞く限りかなり似ている。


「学園生の行方不明となんか関係あんのか?」


 自問するも、あまりに情報が少なく答えが出る気配がまるでない。


「答えが出ないまま終わるってのはなんかモヤモヤするんだよな……後二日でなんかわかれば——っ!?


 “直感”が最大級の警戒を発する。


 直後、大轟音と共に図書館全体が激しく揺れた。


「なんだ!?」


 常人であれば立ってられないほどの激しい揺れに本棚が倒れ無数の本が散らばり、館内のあちこちから悲鳴がこだました。


 少し遅れて図書館自体が持つ警報が鳴り響き、慌ただしく方々に散った職員たちが来館者の救助を始める。


 直感が鳴り止まない。

 危機はまだ過ぎていない、始まってすらいないとがなりたてる。


 そこに、答え合わせをするように図書館の外で無数の爆音が鳴り響きあちこちから黒煙が立ち昇った。


「何が起きて——!?」


 俺はその場から弾かれるように飛び出し、窓を突き破って外に出た。


 外でも同様に警報が響き、悲鳴と怒号と叫喚が交錯し混乱が広がっていた。

 爆音が鳴り止まない。

 政教区、研究区のみならず、はるか遠方の居住区でも黒煙が立ち昇る。

 首都ガルナタル全土で、一斉に破壊が巻き起こっていた。


「——エトくん!!」


 阿鼻叫喚の渦に瞠目する俺の元へイノリが歯車を回してやってきた。


「イノリ!? お前休んでろって——」


「緊急事態だからノーカンだよ! それよりこれ何!?」


「わからん! けど、正直心当たりがある!」


 ラルフが教えを乞うていたという相手。おそらく“剣”だろう。そして、この騒ぎの中心もきっと。

 であれば、彼らの目的はガルナタル中央に鎮座する王城ただ一つだろう。


「俺は今から王城に行く。イノリはストラを連れてラルフと合流してくれ」


「そう言うと思って、これ持ってきたよ!」


 イノリは虚空ポケットの中から引っこ抜くように俺の愛剣を取り出した。


「助かる!」


「その剣本当に重いね! ポケットなかったら持ってこれなかったよ!?」


 エストックを背負い、俺はイノリに背を向けるように王城へと視線を向けた。


「なんか、嫌な予感が消えない。十分に注意してくれ」


「エトくんはいつ戻ってくる?」


「すぐに——って言いたいけど、正直わからん。いつでも首都を脱出できるように居住区を目指してくれ。それが無理そうならギルドに。あそこは実質的に『悠久世界』の飛地だからな」


「わかった。エトくん、本当に気をつけてね!」


「おう、行ってくる!」


 大地を蹴破り、雨を切り裂き疾走した。


 阿鼻叫喚の地上を避け、建物の屋根を伝い飛ぶように移動する。


--<どうして男のまま移動してるの?>--


 そんな中、脳に直接くーちゃんの声が響いた。


--<遠く離れていてもピンポイントで念話繋ぐとか、なんでもありかよ>--


--<一度開いちゃえば簡単だよ。で、質問の答えは?>--


--<シャロンの姿だと学園に迷惑かけるからだよ。今から王城殴り込むんだから>--


 念話の向こうで笑う気配があった。


--<おかしなことをするね、キミは。この世界はキミとはなんの関わりもない。ストラちゃんの時とはわけが違う。自ら危険に飛び込む意味はなに?>--


--<別に、意味とか特に考えてねえよ。ただ、俺がそうしたいんだ>--


 損得勘定ではない。ただ俺がそうしたい——そうありたいと思うから動くんだ。

 俺の行動の全て、呼吸も、心臓の拍動も、言葉も、何もかも。俺の意志でそうしている。誰かに強制されたわけじゃない。


--<強いて言うなら、この世界が内輪揉めで落ちたらストラやリディアが死んじまうだろ。それが気に入らねえ。ただそれだけだ>--


--<——そっか。それじゃ、私はここから見届けるよ、エトラヴァルト。キミの選択を>--


 それっきり、念話が途切れた感覚があった。


「マジで何者だよあの人」


 無駄口はここまで。

 意識を切り替えた俺は、迫る王城へ向けて更なる加速を敢行した。




◆◆◆




「ストラちゃんただいま!」


「イノリさん、窓から侵入することを帰宅とは言いませんよ?」


 エトに剣を届けたイノリは、事前に鍵を開けていた窓から部屋の中に転がり込んだ。


「細かいことは後で! 移動するよ!」


「先ほどの爆発と関係あるんですね?」


「そう! とりあえず私物全部突っ込むよ!」


 片っ端から教科書や服、実験道具や食料と何もかもを虚空ポケットに突っ込み、イノリは慌ただしく家中を駆け回った。


「とりあえず冒険者ギルドに行こう! 何かあった時、私たちの合流場所になってるから!」


「わかりました。ところでシャロン様は?」


「えと……シャロンちゃんは王城に行ったよ。騒ぎの中心だからって」


「……なんか、想像できますね」


 ふっと笑ったストラに、イノリもつられて笑みを浮かべた。


「ストラちゃん、身体強化はできる?」


 イノリの確認に、ストラは悔しそうに首を横に振った。


「すみません。まだ練習中で安定使用とは程遠いです」


「わかった。なら私が————あれ?」


 全身に魔力を巡らせようとして、その動きが著しく阻害されたことにイノリは表情を青くした。


「ま、魔力が使えない——なんで!?」


 慌てふためくイノリを見て、ストラは弁を開放。自分の中に魔力を流し込み、しかし、魔法の構築ができずに霧散した。


「わたしも、使えません」


「なんで!? ついさっきまでは使えてたのに!」


「使えないものは仕方ありません。気合いで走っていきましょう」


「ストラちゃん意外と武闘派だね!?」




◆◆◆



「……始めたのか」


 火の手が上がる住宅街の屋根上で、ラルフは1人眦を決した。


「師匠。俺は、決めたぞ」




◆◆◆





「——エスメラルダ学園長。貴女を更迭させて頂きます」


 時は僅かに、エトとイノリが図書館で会話をしていた頃にまで遡る。


 机に座るエスメラルダは、無数の銃口を突きつけられ身動きを取れなくされていた。


「このタイミングで、ですか。まさか、貴方が獅子身中の虫だとは——ルアン・ヌゥラ先生」


 エトやリディアに魔法史の教鞭を取っていた男教師のルアンは、エスメラルダの発言を一笑に付した。


「獅子? ハッ、笑わせる。今のレゾナはいいとこ子猫だろう。……さて学園長。独断での留学生の入学許可、及び臨時講師の招致。貴女の横暴を非難する声が強く上がっている。議会でつい先ほど、貴女の全権限を停止する案が可決されました」


「ここでいくら貴方をなじっても変わらないでしょうね」


「よくわかっているじゃありませんか。……ああ、魔法は使えませんよ?」


「……!」


 包囲を抜け出そうと魔力を練ったエスメラルダだったが、直後、全身を貫く不快なパルスに眉を顰めた。

 パルスは魔力に作用し、魔法の使用を著しく妨害していた。


「これは……!?」


「ちょっとした妨害電波ですよ。現在、ガルナタル全域にこの妨害電波が波及しています」


「そんな大規模なものを、いつ……」


 端正な顔を顰めるエスメラルダを小馬鹿にするようにルアンは鼻を鳴らした。


「いつ!? 200に決まっているでしょう!?」


「————まさか」


「そう! 200年前! 愚かにも歴史を改竄した魔法使いの馬鹿どもによって隠された、ですよ!!」


 レゾナが蒔いた種だと、ルアンは憎悪を滾らせた瞳で世界を睨みつけた。


「この都市を網目上に走る路線の上を通る列車の全てが、貴女たち魔法使いを無力に至らしめる!!」


 ルアンは、胸に吊るすロザリオの十字架を弾く。

 脆い加工を施されていた外装が崩れて、その内側から“剣”が顔を覗かせた。


「傲慢な魔法使いたちよ!我ら剣の怒り、今日こそ思い知るがいい!!」

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