この心臓が果てるまでに

 ただ一合。

 剣の衝突で大地がエトを中心に放射状に割れた。


 柄頭で槍を、切先で剣を滑らせたエトの技量の高さに剣使いの男は「ほう」と感嘆の声を漏らした。


「その歳でよくやるな、冒険者」


「何歳くらいに見えんだ?」


「15やそこらの少女だろう? いい剣筋だ!」


 賞賛と共に男の剣が触れた地面に魔法陣が出現。

 不可解に跳ね上がった剣がエトの首へと叩き込まれた。

 エトはこれを上体を逸らして回避、そのままバク転しながら両足で槍と剣を跳ね上げた。


「これでももうすぐ二十歳の男だよ!」


「冗談は大概にすることね!」


 間髪入れず肉薄してきた槍使いの女の高速の刺突を身を捻り回避する。


「冗談じゃねえんだよなぁこれが!!」


 回避の旋転を左足に集約し女の脇腹を蹴り飛ばす——死角から斬撃が


「ぐっ……!?」


 間一髪直撃を避けたエトだが、左の二の腕が深く抉れ鮮血が吹き出した。


「今のは……!?」


「闘気を斬撃に乗せただけだ!」


 律儀に原理を答えた男が好機と見て今日一番の加速を敢行。再び飛ぶ斬撃を見舞い肉薄を試みる。

 後方からも同様に槍使いの女が迫り、男と同様に闘気により槍の刺突を飛ばした。


「しまっ……」


 迫る斬撃と刺突の波状攻撃を前に、


「——ちょっと失礼!」


 刹那、エトの口調、雰囲気が変わる。金色の瞳が輝きを増し、声のトーンが一段上がった。


「「!?」」


 同時に白銀の闘気が膨れ上がり、剣を手放し、右手の拳がギュッと握られた。


「よく見てて——こうやるんだよ!」


 白銀の闘気を纏った拳が地面に叩きつけられ、闘気がエトを中心に円形に拡散した。

 物理的威力を伴った闘気に斬撃と刺突がかき消され、生まれた不可侵の領域に二人組が弾かれ後退を余儀なくされた。


「なによ、今のは……」


「まるで別人のように——」


 困惑に動きを止める二人を前に、立ち上がった少女が誰かに語りかける。


「今の君ならこれくらいできるはずだよ。頑張れ、エト」


 ひと呼吸の間の後、少女は大きくため息をついた。


「急すぎるって……助かった。ありがとうシャロン」


 急激な口調の変化。一人芝居のような数秒のやり取りを終えたエトは、拾った剣に闘気を纏わせ腰を落とした。


 未だ戦意は衰えず。

 奇妙な変化こそあったが、目の前の少女が目的の障害であることは二人組にとって揺るがない事実であった。


「今度はこっちから行くぞ!」


 剣が大上段に構えられ、闘気が揺らぐ。


「まさか——」


 その可能性に男の理性は『あり得ない』と囁き、本能が『来るぞ』と叫んだ。


「オオッ——!」


 裂帛の気合いと共に、闘気の斬撃が空を走った。

 男は冷静にそれを迎撃し、砲弾のような速度で突っ込んでくるエトの姿に瞠目した。


 ——先ほどより、数段速い!?


 それだけではない。叩き込まれた袈裟斬りは数分前とは比べ物にならない威力を弾き出し、男の両腕に確かな衝撃と痛みを齎した。


「どうなってるのよ貴女!」


 一瞬呆気に取られ参戦が遅れた女の槍を持ち直し加速、エトの背後から的確に急所を狙う。が、接近を察知し振り向いたエトのエストックに悉く弾かれる。


 2対1の混戦。


 速度で完全に上回ったエトに対して、二人組は苛烈な連携により防戦を強いる。


「チッ……上手くいかねえ!」


 闘気の圧縮と放出。

 覚えたての技能を使おうと試みるエトだが、連撃を捌く中でそれを為せるほどの技量は未だなかった。

 だからこそ、基本に立ち返る。


「『生成クラフト』!」


 足下に魔法陣を生成、敢えて短文詠唱を挟むことで二人の意識を無理やり下に縫い止める。

 が、生成された無数の剣山を男は右足一本で蹴り砕き、逆にエトの目潰しに利用した。


「身体硬すぎだろ!?」


「貴様の剣捌きも大概だ!」


 利用された鋼鉄の破片の雨を一つ残らず剣で叩き落としたエトの防御能力に男は舌を巻いた。

 斬撃と刺突。異なる角度、異なる速度、異なる威力で絶え間なく打ち出される攻撃の悉くを剣の円環が弾く。


「貴女はここで始末するべきね!」


「ごめん被るね!」


 白熱し加速する戦闘。

 エトが容赦なく魔法を乱射し、二人組もまたより一層闘気を纏い圧を高める。


 二人組が潜入のために事前に警報器やカメラの類に細工を施していなければ確実に騒ぎになっていたであろう戦闘は、少しずつ、しかし確実に図書館のにダメージを与えていた。


 そして、3人は知らなかった。

 この図書館の下には、上に立つ図書館よりも広大なが広がっていることを。


 その瞬間は唐突に訪れた。

 男の斬撃を真正面から受けたエトの立つ地面に音を立てて罅が広がる。


「「「………………え?」」」


 足下から響く尋常じゃない音に、三人全員がぴたりと動きを止め——大轟音を立てて一帯の地面がした。


「うぇええええええええええええ!!?」


 足場を失ったエトは男に弾き飛ばされるような形で地下に吹き飛ばされ、音を立てて崩れ落ちた瓦礫に埋もれてしまった。

 間一髪崩落を免れた二人組は、盛大に空いた大穴をそっと見下ろした。


「……禁書庫。まさかこれほどの規模とはな」

「どうします? この中から目的のものを探すのは——」

「ああ、現実的ではない。騒ぎも大きい。お嬢様を回収した後、作戦を前倒す」

「了解」




◆◆◆




「っててててて。なんだ? ここ……」


 瓦礫をどけ、ふらつく頭を押さえて起き上がる。

 押さえた右手が妙に生暖かく、手を離してみると少し固まりかけの血がべっとりとついていた。


「右目が見えねえ。目に入ったか……ん?」


 カシャカシャという奇妙な音がした足下を見ると、四腕の絡繰が俺の尻の下敷きになっていた。


「なんだコイツ?」


 五月蝿かったんで頭部らしき場所を踏み砕くと、絡繰はあっさりと沈黙した。

 残骸に目を向けることなく周囲に視線を巡らせる。

 そこには無数の本棚が立ち並びっていた。


「こんな場所、図書館には……つか埃がヤバいな」


 辛うじて視野が確保できる左目だけでなんとか状況把握しようとつぶさに周囲を観察する。

 そこに、見覚えしかない縦ロールの少女が倒れていた。


「リディア!? なんでこんな場所に!?」


 慌てて駆け寄って抱き起こすと、頭に破片が当たったのか、多少の流血で気を失っていた。


「良かった、死んではないな」


 正常な脈拍を測って安堵した俺は、俄かに騒がしくなる地上の様子に舌打ちした。


「見つかると色々面倒だな……とりあえず逃げるか」


 周囲にあの二人組の姿はないことを察した俺は、リディアを抱き抱えて謎の区画から脱出した。




◆◆◆




 斬撃、魔法、体術——あらゆる手を尽くした。


「……もう終わりか?」


 変幻自在の全身。

 剣、盾、飛び道具、触媒——紅蓮という吸血鬼は、正しく全身凶器だった。


 その場から一歩も動くことなくイノリの全力の攻撃を軽々と凌ぎ切った紅蓮は、心底つまらなさそうに膝をつく少女を見下した。


「……紅蓮、さん。ぜったい、銀一級じゃ……ない、でしょ」


 肩で大きく息をしながら、イノリは目の前の男の身の丈に合わない階級を指摘した。


 過去、イノリは少しだけ銀一級の戦いを見たことがある。湖畔世界で出会ったグルートと紅蓮を比較し、明らかに紅蓮が飛び抜けて強いことをイノリは肌で理解していた。


「言ったろ? 俺が金に上がらねえのは面倒臭めんどくせえしがらみが増えんのが嫌だからだ。俺が一度だって金の奴らに実力で劣るって言ったことがあったか?」


 言われてみればそう。

 紅蓮は自分の実力について一度も言及していなかった。

 だが、穿孔度スケール6最上位である『火の神ヘパイストスの鍛冶場』にと称して、おそらく単独で潜入が可能なら、その能力は金級冒険者と比較しても見劣りしないだろう。

 これは、彼の発言から情報を精査しなかったイノリの怠慢と言えた。


「まだ、心のどこかで。俺がアンタを殺さねえとでも思ってんのか? なんで時間魔法を使わねえ。真っ当な学問を学んじまって怖気付いたか?」


「……そうかも」


 イノリは、自らの内にある恐怖を認めた。


 稀少魔法に分類される時間魔法は、他の希少魔法と比べても研究がとりわけ遅いことで有名だ。

 その理由は明白で、術者のいずれもが30歳を待たずして死亡するためである。


 世界の時間にすら干渉可能な、魔法の中でも特に強力極まりない力の代償。魔法の行使には、莫大な魔力と術者の寿命が必要となるのだ。


 今まで躊躇いなく使ってきた時間魔法。

 それが自分の強みであり、唯一の長所だった。

 だが、この魔法学園で読み漁った数少ない文献の中で度々指摘されていた術者の著しい短命化。


 ——あと何回、この心臓は鳴り響く?


 ——あと何日、自分は生きていられる?


 先の見えない恐怖に、気づけばイノリは、自らの手で力に蓋をしていた。


「私は今、怖がってる」


 素直に認めたイノリの気骨の無さに、紅蓮は「つまらねえ」と舌打ちした。


「なら、もういいや」


 俯くイノリに、紅蓮は血液から造ったナイフを投げた。

 たかがナイフの投擲。されど紅蓮のその一撃は危険度6の魔物の外殻すら容易に貫通する破壊力を持つ。

 約束された死を目前に、イノリは。


 ——『だから、俺にはお前しかいないんだよ』


 あの湖畔で聞いた、運命共同体の言葉を思い出した。


「世界よ……」


 チク、タク。

 時計が鳴った。



 ——私を、置いていかないで。



 その瞬間の出来事を、紅蓮は正確には覚えていない。

 彼に理解できたのは、自分が世界に置き去りにされ……否。

 ことだけ。


 極端に減速する世界で、ただ一人、イノリだけが正常に動く。額にほんの僅か食い込んでいたナイフを豆腐のように握り潰し、イノリが立ち上がる。


 世界が元の時間を取り戻し、形を保てなくなったナイフがイノリの手の中で液体に還った。


「アンタ、いまの……!」


 一連の事象を引き起こすことが可能な唯一のの存在を知る紅蓮は、つい先ほどまでの冷たい視線から一転、玩具を買ってもらったばかりの子供のように輝かせる。


「……しだけって」


「あん?」


 が、そんな紅蓮は眼中にないとばかりにイノリはゆらりと月を仰ぎ、あらん限りの声を張り上げた。


「私だけって! 言ったじゃんか!! エトくんのばかぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


「…………はあ?」


「私だけって! 私しかいないって言った! 言ったのに!! なんか流れでラルフくん増えるし!! いつのまにかストラちゃん拾ってくるし!! 挙句シャロンと夢の中で話すとか!!」


 駄々っ子のように地団駄を踏むイノリを前に、紅蓮はさっきまでの殺意やプレッシャーをすっかり霧散させ困惑を露わにした。


「なにやってんだ? エトのやつ……」


「う〜〜〜〜! 仲間が多いのは良いけど、そりゃ、多いに越したことはないけどさー!」


 最早当初の目的を忘れてしまったのではないか、そんな癇癪を起こすイノリ。殺意の矛先は目の前の紅蓮ではなく、今まさにリディアを背負っているエトへ向けられていた。


「なにさ、『俺が欲しいから』って! 言わなかった! 私の時にはそんなこと言わなかったのに! ずるいじゃん!!」


 顔を真っ赤にして涙を滲ませてイノリは真夜中であるにも関わらず喚き散らした。


「秘密とか! 目的とか! 最初に共有したのは私だもん! エトくんを最初に見つけたのは私だもん!!」


 いや、エトを見つけたのは俺だぞ——なんて言える状況ではなく。


「胸か! やっぱり胸なのか!? 私よりストラちゃんの方が大きいから!?」


 紅蓮はイノリの怒りが収まるのを、嵐が過ぎ去るのを窓から眺めて待つ子供のように立ち尽くした。


「どうせ学生時代もそうやっていろんな女の子口説いてたんだ! 追加人員の人たちもどうせみんな女の子なんだ!!」


 しかし理不尽とは往々にして近くの誰かに降りかかる。


「——もういい! 寿命とか知ったこっちゃない!! 死ぬ前に兄ぃとおねえを見つけて! 私とエトくんが最速で金級になれば良いんだ! 他の誰も追いつけないくらいに早く!! 二人で!!」


 イノリの怒りの発散先は目の前にいた紅蓮に向けられた。


「一撃でも十撃でもやってやる! 私が絶対にやり遂げるんだって証明してやる!! それでいいんでしょ、紅蓮さん!?」


「なんか微妙に趣旨ズレてねえか!?」


 戦いをふっかけ焚き付けたのは紛れもなく紅蓮なので自業自得と言えた。

 凄まじい巻き込み事故のような何かに絡まれた紅蓮は細く息を吐き、再びプレッシャーを纏う。


「……まあ、仕方ねえか。やってみろイノリ、一撃俺に届いたら、前に約束してたお詫びの品をプレゼントしてやるよ」


「紅蓮さんぶっ飛ばして! 後でエトくん問い詰める!!」


「やっぱり目的変わってんな!?」


 変な方向に吹っ切れたイノリが白夜と極夜を構え、猛然と紅蓮へと斬りかかった。




◆◆◆




 一方その頃。


「流石は《英雄叙事オラトリオ》所有者。苦難に愛されてるねー」


「何度も迷惑かけて悪いな、くーちゃん先生」


「今回は割と緊急事態っぽいからね、リディアちゃんは先生に任せなさい。……で、キミはその怪我でどこへ行くのかな?」


「ストラを待たせっぱなしだから速攻で帰る」


「ならその怪我で心配かけちゃダメでしょ。治してあげるからこっち来て。あと送ってあげる」


「助かる」



 夜はまだ、終わらない。

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