出来損ないの天才
「——ねえ見て、あの子」
「ああ、あの出来損ない?」
「そうそう! 魔法が使えないんだって!」
「なんで学園にいるのかしら、みっともない」
小さい頃からずっと、ストラは「出来損ない」と後ろ指を指され続けてきた。
魔力を持たない失敗作。
虫にも劣る木偶の坊。
剣以下の家畜。
存在価値のない案山子。——全て、ストラが言われ続けてきた言葉だ。
——無駄なんだよ、何しても。
——どれだけ知識を蓄えても。
——貴女には、魔法を使えない。
かけられる言葉は全て否定。向けられる視線はことごとく侮蔑。
レゾナという階級社会の最底辺のさらに下。
生まれながらの敗北者として、ストラは徹底的に虐げられてきた。
そんな彼女を、両親たちは助けなかった。
出来損ないを生んだ親。そんな烙印を押された二人もまた迫害の対象となっていた。
ストラが魔法学園に入学する頃、両親は自ら命を絶った。
もう顔も覚えていない二人に、ストラがなにか感情を向けることはなく。後見人になったエスメラルダによって用意された寮で、ストラは変わらぬ孤独に身を置いた。
——貴女さえ良ければ、別の世界に行く道も用意できるわ。
『妖樹世界』プロスペロー出身で、かつ顔の広いエスメラルダだからこそ用意できる選択肢。
——大丈夫です、学園長。私は平気です。
それを、ストラは何度も拒んだ。
忘れられなかった。
どれだけ虐げられても、どれだけ世界に絶望しても、『魔剣世界』が嫌いになっても。
あの本で見た“虹”だけは、ずっと輝き続けていたから。
学園で同級生たちから蔑まれ、暴力の対象にされて、それでもストラは学び続けた。
そんな少女を、エスメラルダは学園長という立場ゆえに見守ることしかできなかった。彼女にできるのは信じて、しかし逃げ道を用意しておくことだけだった。
教科書やノートを捨てられた回数は数知れず、鉛筆やペンが無くなるのは日常茶飯事。実技授業の度に笑われ、教師からも見放された。
早く辞めてくれ、諦めて退学してくれ。とすら思われていたことだろう。
そして。
十六年間戦い続け、その果てに——
少女は、自分が魔力を生み出せないという事実を突きつけられた。
◆◆◆
——魔力を生み出す才能を持たない。
それは魔法使いを志すストラにとって、死刑宣告よりも残酷な通達だった。
理不尽な現実を叩きつけられたストラは赤錆色の瞳から光を消し、わなわなと唇を震えさせる。
「私は……今後、どうやっても。魔法を、使えない……そういうこと、ですか?」
最早流す涙もないのか。
乾いた瞳のストラは、絶望を通り越して『何か』を感じることもなく、椅子に腰掛けたまま、ひたすら無を湛えてくーちゃんを見つめていた。
--<黙って見ていて>--
そう言われたエトラヴァルトは、彼女に駆け寄りたい衝動を抑え、くーちゃんの次の言葉を待ち続けた。
「大丈夫だよ、ストラちゃん。キミにないのは『魔力を生み出す才能』だ。決して、魔法の才能がないわけじゃない」
くーちゃんは、慰めではなく、ただ淡々と事実を語る。
「魔力がないなら借りればいいんだよ」
「魔力を……借りる?」
ほんの少し視線が揺れたストラに、くーちゃんは大きく頷いた。
「今から私がキミに魔力を送り込む。多分すごくびっくりするし、痛くなるかもしれないから、我慢してね?」
「は、はい……ひゃっ!?」
再び衣服の中に手を突っ込まれたストラが軽い悲鳴をあげた。
くーちゃんは軽い調子で、しかし、エトに対して五つの華をみせた時と同様の真剣な表情で告げる。
「私の手の輪郭を、感じる熱を、血流を、拍動を感じて」
ストラが、導かれるように目を閉じる。
同時に、背中をつうと這うくーちゃんの細やかな手の滑らかな感触を感じ取った。
ひたりと。くーちゃんの左手がちょうど肩甲骨の中間で止まり、触れる。
「それじゃいくよ」
「はい……んっ、」
接点から流れ込む初めての熱に思わず声を漏らした。
「はぁっ……あっ、んぅん!」
熱湯を身体の芯に注ぎ込まれるような激しい痛みと同時に遅い来る魂をくすぐる快感に、ストラは無意識に頬を紅潮させ艶っぽい声を上げる。
仔細を見守るエトだったが、ストラの、その。言うなれば“エロい声”に、とてつもない居心地の悪さを感じてそっと耳を塞ぎ目を逸らした。
くーちゃんの右手を起点に、魔力はストラの全身を駆け巡る。
少女にとっては生まれて初めての感覚。
骨を溶かすような熱が内臓を全て押し流してしまうような暴力的な勢いで暴れ狂う。
「んっ……はぁ、あっ!」
ストラは、自分が内側から書き換えられていくような、作り替えられてしまうような倒錯的な情動に、歯を食いしばって耐える。
「くぅう……ふー、ふー……んっ!」
そうして、耐えて、耐えて、耐え続けて——
「きょうか、しょ……138ページ、9行目。図解……注釈2」
ストラは、両手を虚空に掲げた。
「風属性魔法……!」
チカチカと全身の節々で輝く“道”に、暴れ狂う魔力が収束していく。
感覚なんて知らない。正解なんてわからない。だけど、いつの日かを夢見続け、蓄え続けた知識が少女に道を教えてくれた。
「……すご」
現れた明確な変化に、くーちゃんは素の感情で感嘆を漏らした。
周りの声など聞こえていないストラは、勢いのままに詠唱を叫んだ。
「風よ、私と共に在れ——!」
宙空に一本の線が疾る。
線は縁を描き、模様を描き、文字を描き、ストラの正面に一つの魔法陣を描いた。
——その風が吹く。
荒れ狂う魔力からは想像できないほど微弱で柔らかな風が部屋の中を満たす。
自らの髪を揺らす風と魔力の波長に、エトはあっと驚きの声を上げた。
「これは……!」
部屋を満たした風はストラの全身へと収束し、少女を守るように滞留した。
そして、5秒と経たずに霧散し、同時に、ストラの内側で暴れていた魔力も綺麗さっぱり消散した。
「…………ああ」
か細く、弱々しい吐息のような声が少女の喉から響いた。
「ああ……!」
ギュッと、胸の前で両手を握りしめて椅子から崩れ落ち膝をつき、抱きしめるように蹲った。
「ぁ、ぁ……!」
エトとくーちゃんが見守る中、少女は両目から大粒の涙を溢した。
「ぁあ……ぁあ、ぁああ………!!」
エトは、そっと側に近寄り、優しくその背を撫でた。
「無駄じゃ、なかった……全部、全部! 私の人生は……無意味、なんかじゃ、なかった。努力も、知識も……ぜんぶ、意味があった……虹には、遠くても……」
全身に残る熱の残り香。肌を撫でた風の感触。
どちらも、夢なんかじゃない。
「私は、手を伸ばすことができる」
少女は、生まれて初めて。心の底から
◆◆◆
泣き疲れて眠ってしまったストラの穏やかな寝顔をしばし眺めてから部屋を出た俺は、ひと足先に外に出て壁に背を預けていたくーちゃんに声をかけた。
「いったいどんな手品を使ったんだ?」
「材料を持たない一流シェフにじゃがいも一個渡しただけだよ」
「なぜに例えが料理……いやわかりやすいけどさ」
つまるところ、ストラは偏りすぎた天才だったのだろう。
器を全て占領してしまうほどの突出した『魔法の才能』。意外だったのは、魔法の才と魔力の才は全くの別物、という点だろうか。
「ストラが今後、器の成長に合わせて魔力を生み出せるようになる可能性はあると思うか?」
「それは私にもわからないかな。はっきりと言えるのは、彼女の器はあれでもまだ不足してる。彼女の才を……魂の全てを受け止めるにはまだまだ足りない」
「……変な表現をするんだな。まるで、魂と“器”が全く別物みたいな言い方だ」
「おっ、案外鋭いね。正解だよ」
「……は?」
珍しく……いや、初めて教師らしい一面を見せるくーちゃんに、俺は質問を重ねる。
「どう言うことだ? 自分で言っといてアレだが、まるで意味がわからん」
「んー、これ結構感覚的な問題だからなあ……」
悩むように唸るくーちゃん。
が、曖昧に済ませる気はないようでなにやらぶつぶつと呟いている。
「魂……才能が水で、器がコップ……いや、放水口、かな?」
「……もしかして、そもそも“器”って単語自体が間違ってるのか?」
「普通の人間は、ストラちゃんみたいなアンバランスにはならないからね。多くは才能とその出力の釣り合いが取れているか、才能が枯れているかの二択だから」
前提の知識から覆されたことに目眩を覚えた。
俺が頭痛を感じている間にも、くーちゃんは容赦なく授業を続ける。
「筋トレや知識の蒐集、魔法の実技……これらは全部、才能の出口を広げるための行為。多くの人間はそれなりの出口を用意できれば全て出し切ることができる。そして、その中でもより大きな出口を持ち、才能を持っている者が俗に言う“天才”ってやつになる」
だけど……と、くーちゃんは一旦話を切った。
「これをややこしくするのが『魔物を討伐することによる魂の成長』。“異界”という特殊な環境にで生き残るために、人は否応なく出口の強化を求められる。そして出口を広げ、魔物を狩って……魂が成長することで、今までの出口じゃ足りなくなる。これが繰り返されるうちに、誰が言い出したか“器の成長”。『魔物を倒せば倒すだけ強くなれる』っていう、間違ってないけど正しくもない、なんとも中途半端な解釈が生まれて浸透しちゃったってわけ」
つまり、本来才能に……魂側に限界があったはずのこの関係は、魔物の存在によって際限なく成長する“何か”へと変わってしまった。
なるほど確かに、ただ強くなる過程を表現するのに“器”という単語は明快だろう。誤用が広がるのも頷ける。
「すげえよくわかったけど、くーちゃん先生はなんでこんなこと知ってんだ?」
「私はこれでも臨時講師だからね」
「答えになってねえ……まあいいや。つまり、ストラは彼女自身が持つ才能が……特に魔法の才能がデカすぎて、今の彼女の出口程度じゃそれ以外の才能を引き出すことができない……って認識でいいのか?」
「正解。100点の回答だね。補足すると、軽く触っただけじゃ、私でも彼女の才能の全てを把握することはできなかった。だから、もしかしたら将来的に魔力を生み出す才が表出するかも知れないし、しないままかも知れない」
しれっと、くーちゃんですら全容がわからないと言わしめるストラの桁違いの潜在能力の片鱗が見えたのだが……まあ、今はいいや。
俺はくーちゃんに向かい居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ありがとう、くーちゃん先生。ストラに手を差し伸べてくれて」
「……キミは本当に変なやつだね」
なんとなく、くーちゃんが笑った気配を感じた。
「私は手を貸しただけ。キミたちならいずれ外部から魔力を借りるっていう発想に自力で辿り着けたと思うけど、それだと遅いからね。楽しませてもらったお礼だよ」
ぽん、と俺の頭にくーちゃんの手が乗っかり、ぐりぐりと押し込むように撫でた。
「キミが彼女を救ったんだよ、エトラヴァルトくん。先生がたくさん褒めてあげよう」
「とってつけたように教師面しなくていいってのに。似合わないから」
少しだけ頭を撫でる力が強くなった後、トン、と軽いチョップが入った。
「もう遅いけど、どうする? 泊まってく?」
「……いや、イノリを一人にするのは偲びないから帰るよ」
「終電、もう無くなってるけど?」
「……シューデン? 誰だそれ」
「知らないのか……優等生だねエトは。仕方ない」
パチンとくーちゃんが指を鳴らすと、俺の周囲に立体魔法陣が浮かび上がった。
「頭に思い浮かべた場所に飛ばしてあげる」
「なんでも有りだな……ストラが起きたら、『明日迎えに行く』って伝えてくれ。それじゃおやすみ、くーちゃん先生」
自室をイメージ——転移魔法が作動して、次の瞬間、俺の体は慣れ親しんだ自室へと飛んでいた。
「……やべ、下着散らかったままじゃん」
そのまま布団にダイブしたい気分だったが、制服に皺がつくのも困るし、自分が着用するものが床に散らばってるのは気分が悪い。
というわけで、慣れた手つきで下着をクローゼットに片付けたあと寝巻きに着替えてから布団に潜り込んだ。
◆◆◆
昨日と違うのは、シャロンが妙に呆れた表情をしているのと、俺が勝手に甚大なダメージを受け、精神的なダメージから血を吐いていることだろうか。
「男に戻って眠ればよかったのに」
「……やめてくれシャロン。その言葉は俺に効く」
「エト、すっかり女の子が板についてるね」
「ふぬぐぁっ!?」
「ノリノリで寝巻きと下着選んじゃって……生前の私よりお洒落さんだね!」
「誰か俺を殺してくれ…………!!」
この日の対話は、ひたすらシャロンにいじり倒されて終わった。
もう、死にたいです。
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