くーちゃん先生の授業 〜卒業試験編〜
屋外演習場にて、俺は半月ぶりにくーちゃん先生と対峙する。
指を軽く鳴らしただけで、碌な魔法陣を描くことすらせずに演習場を覆う強力な隠蔽結界を作り出してしまう埒外の技量に、俺は改めて舌を巻いた。
くーちゃん先生は既に半身で、左半身を前にして臨戦体制を整えて俺を待っている。
「それじゃ、いつでもおいで」
「ああ。よろしく、くーちゃん先生」
胸に手を当てる。
「……
俺の声に応えるようにに魂の内側で
更に、鼓動に合わせて魔力が波打ち、全身を満たす。
——「闘気」×「身体強化魔法」。
オリジナルと、その模倣。
両方の力を俺は内に宿した。
更に、右手は大地から俺の愛剣の模倣を生み出し、同時に足下には無数の鉄杭が創出される。
迷うことなく剣を構えた俺に、くーちゃん先生が問う。
「いいの? 今のキミなら、この世界で剣がどんな扱いを受けているのかもわかってると思うけど」
「そんなこと考えて、迷って、貴女の興味を引けるわけがない——行くぞ!」
気迫の一声と共に大地を蹴り——爆砕!
僅か一歩。
ゼロコンマ1秒で、余裕の構えのくーちゃんに肉薄する!
「フッ——!!」
容赦なく叩き込まれる袈裟斬りに、くーちゃんは難なく左手一本で迎撃してみせる。だが、その口元は円弧を描いていた。
「いいね! これには対処できるかな!?」
くーちゃんの右手が魔法陣を描き、鋭い氷柱が俺の腹部に狙いを定める。が、
「俺の方が速い!」
右足を強く踏み込み周囲の大地を砕き割り、そのまま魔法陣を生成。鋼鉄の蔦がくーちゃんの足下から出現し、生き物のように両脚を絡め取る。そこへ畳み掛けるように生成済みの鉄杭を射出する!
「やるぅ!」
未だ余裕を崩さないくーちゃんは俺を巻き込むようにパウダースノーを展開。が、鉄杭は
半月前まではびくともしなかった鉄壁のような粉雪の防御を軽々と砕いた鉄杭の雨に、出会って初めて、くーちゃんの瞳孔が開いた。
「……本当に対話、できたんだね」
「——ッ!?」
刹那、全身を貫く最大級の危険を直感が知らせた。
がなりたてる直感に従いバックステップで距離を取った瞬間、くーちゃんを中心に刺々しい氷の華が咲き誇った。
氷の華はパウダースノーとは比べ物にならない防御力を発揮し、鉄杭を一本残らず叩き落とした。
「うわめっちゃ刺々! 殺意高っ!?」
「キミの攻撃も大概だと思うけど?」
開花する氷の華の向こう側から、愉しそうに笑うくーちゃんの姿が見えた。
「キミが壁を越えたのは十分伝わったよ。だからこれで終わり……っていうのは、勿体無いよね?」
「……! ああ、そうだな」
好戦的な俺の返答に満足げに頷いたくーちゃんが今一度指を鳴らす。
——世界が、凍る。
「……マジかよ」
そう呟いた俺の吐息は真白に染まっていた。
一瞬にして屋外演習場は氷点下に晒された。
大地が、空間が凍りつき、一ヶ月以上前、俺たちを苦しめた『鏡の凍神殿』に酷似した氷の世界が顕現する。
「シャロン……いや、エトラヴァルト」
一輪、また一輪と。
くーちゃんの周囲に氷の華が咲いていく。
「私の力のほんの一端。キミには使うべきだと判断したよ」
そうして、五つの花が咲き誇る。
「卒業試験だよ、エトラヴァルト」
一輪……いや。花弁の一枚一枚が桁違いの魔力を内包したそれを前に、俺の全てが敗北を叫んだ。
逃げろ、退け、勝てない。
肉体も、直感も、理性も、本能も。これからくる攻撃を、俺は防ぎ切ることはできない。
——関係ない。
俺は、俺の全てを賭けて証明しなくちゃいけない。
俺の力を。俺の価値を。
そして、俺に力を貸してくれる過去の英雄の残滓の選択が、決して間違いなんかじゃないと、ここに刻みつけなくてはいけない。
「シャロン。俺を、見ててくれ」
剣を構える。
覚悟が決まった俺を見て、くーちゃんは一度頷き、そして、指を鳴らした。
「これを、防ぎ切ってみて」
解放される。
五つの氷の華から無数の氷の花弁が射出され、その全てが俺へと牙を向いた。
「オォオオオッ——!」
その全てを——迎撃する!!
甚だしい氷と鋼鉄のぶつかり合い。
一撃一撃がグレーターデーモンの拳より重いという冗談みたいな威力を誇る氷の華に、俺は瞬く間に窮地に立たされる。
斬り損ねたいくつもの花弁が肉を浅く抉り、〈白鋼の乙女〉の肉体は傷つき、ドレスは既に赤く染まった。
闘気と身体強化魔法の併用による最大限の強化を施してもなお届かない、くーちゃんの力のほんの一端。
「がふっ……!?」
防御をすり抜けた花弁が一枚、右の脇腹を貫通する。鮮血が口から溢れ、剣の切先が揺らぐ。
ほんの僅かな、されど致命的な揺れ。
三つの花弁が立て続けに左肩、右太腿、左眼を貫いた。
体が限界を迎え、崩れ落ちる。
……ああ。
あの、約束の、丘へ。
『——私は! こんなところで終わりたくない!!』
『——この世界を! こんなところで終わらせねえ!!』
——その、寸前で。
俺の身体は不屈を叫んだ。
「ガ、ァアアアァアアアアアァアアアアアアア!!!!」
再起する。
降り注ぐ死の雨に再び立ち向かう!!
瀕死の重傷を受けてでも無意識に庇っていた左脚と右腕。
剣を振るうための最低限の軸はのこっていた。
「俺は! まだ! 約束を果だじていな゛い゛っっ——!!」
ここに至り、俺の身体が加速する。
——世界が遅れる。
——世界が見える。
流れる血潮が視界を奪い、俺の眼はもう何も写していない。
だが、見える。聞こえる。感じ取れる!
死の淵に立ち、魂は剥き出しになった。
だが、それにより俺は《
文字列ではなく、追体験のように俺はシャロンを知った。
『足で大地を、耳で風を、鼻で物質を、肌で魔力を感じ取るの
『目を飾りとは言わないけど、頼りきりはだめ。五感の全てを頼りに、ね?』
『そしたら、あとはもう“直感”。君が思うように進めばいい』
絶死の荒野で滅びを超克し解放を掲げた少女の姿だけを頼りに、俺はその向こう側へ踏み出した。
その姿を追い越すように、俺は、左足を一歩踏み出す——!
「俺は! 超えてみせる!!」
降りしきる氷の雨を前に、剣の円環が完成する。
——“
俺の異名の由来となった防御が氷の花弁の悉くを打ち砕く。
「ふせぎ、きる……? ハッ——。足り、ねえ、よなあ!?」
獰猛にな笑みを浮かべ、一歩、一歩。吹雪の中を前に進んでいく。
進むべき道は、花弁の射角とその奥に聳え立つ出鱈目な魔力が教えてくれる。
「アンタに、一撃……入れてみせるっ!!」
一歩踏み込む毎に激しさをます氷の嵐。だが、俺の斬撃もまた、一歩進む毎に鋭さを増していく。
——長い、永い時間が経つ。
何秒、何分、何時間……永遠にも思える嵐の中を進む。
その果てに、俺の剣が空を切った。
「……辿り、ついたぞ」
「うん。おめでとう、エトラヴァルト」
振るわれた力なき袈裟斬りは、パシ、と乾いた音を立ててくーちゃんに掴み取られた。
限界が訪れ、剣はただの土塊に還った。
「見ていたよ、エトラヴァルト。キミより強いやつはたくさん見てきたけど、キミほどワクワクしたのは久しぶりだった!」
「そ、りゃ……よかっ、た」
崩れ落ちる俺をくーちゃん先生が優しく支え、俺の全身に暖かい熱が走った。
「これは……?」
突然視界が元に戻ったことに、俺は困惑を漏らした。
「治癒魔法だよ。先生が生徒を殺しかけたってなると大問題だからね」
「それ、今更心配することかよ……」
というか、瀕死の重傷……下手したらグレーターデーモンの時より重傷だった俺の身体は、感じる限りでは全快していた。
「くーちゃん先生、ほんとなんでもできんだな……」
なんだか気が抜けた俺は、その場で仰向けに倒れ込んで大の字になった。
「で? 俺は合格か?」
「もちろん。花丸満点をあげる」
上から覗き込むくーちゃんの左手には、一筋の刃の跡があった。
「宣言通り、キミは私に一撃入れた。防ぎ切るっていう私の課題を越えた。キミは私の想像を超えたんだよ」
「そりゃ良かった」
声音から嘘偽りのないことがわかるくーちゃんの賞賛に、俺は口角を上げた。
「だから、私から一つヒントをあげる。その《
「……ヒント?」
再び飛び出した思わぬ単語に、俺は眉を顰めた。
「そう。キミは対話を済ませた。だけどね、《
「……どういうことだ?」
「さあ? それは私にもわからない」
「ヒントどころか謎が増えたんだが」
にへらと笑うくーちゃん先生に、俺はため息をついた。
「でも、知らないよりはマシだと思わない?」
「そうだけど、得体が知れなくなった」
「はは! それはそうかもね!」
心なしか内側から抗議の声がしなくもないが……今はいいや。
——なんか、急に眠くなってきた。
肉体の傷は治っても、精神的な疲労は計り知れない。まして、俺は「結構消耗する」らしい対話をしたその足でここに来た。多分、真っ当な睡眠時間がほとんどなかったんだろう。
ここで寝るのは不味いよなー。という思考はあったが押し寄せる眠気に抗うことはできず。
俺は、屋外演習場のど真ん中で人目も憚らず深い眠りについた。
◆◆◆
「外でなんの躊躇いもなく寝るなんて、女の子としての自覚が足りないんじゃない?」
ほんの数秒で女の子らしからぬいびきをかいて爆睡したエトを前に、くーちゃんは「仕方ないなあ」と困った笑いを浮かべた。
「まあでも、今回は私もはしゃぎ過ぎたからなあ」
眠るエトをお姫様抱っこで抱き上げ、結界を解く。
「仕方ない。起きるまで私の部屋においてあげる。私の責任も結構あるからね」
踵を一つ鳴らし、転移。
エスメラルダによって与えられた臨時の個室に置かれたベッドにエトを寝かせ、くーちゃんは「よし」と頷いた。
「これで一人目はオッケー! あと1人の子は勝手に育ってるし、あとやるべきは……そうだね。
メモ帳に書かれた“エトラヴァルト”の名前に花丸をつけ、くーちゃんは遥か遠方——今日も1人、本を読み耽る少女を見つけた。
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