異名検討会
……目を覚ますと、至近距離から黒晶の瞳と見つめ合っていた。
「あ、エトくん起きた!」
イノリがぱっと表情を明るくし、ベッドからよじよじと抜け出た。どうやら同じ布団で寝ていたらしい。
寝ぼけ眼で視線を這わせる。見覚えのない土壁の、明らかに急拵えな部屋に置かれたこれまた急拵えそうなベッドの上に、俺は全身包帯ぐるぐる巻きで寝かされていた。
「……ここは?」
「仮設の療養所だよ。エトくん、あの後丸二日寝てたんだって」
そういうイノリは昨日の夜に起きたとのこと。ちなみに、今日は既に陽が傾きつつある。
「イノリ。怪我は……」
「私は平気。むしろエトくんはもっと自分を心配して! 治療師の人がドン引きしてたらしいから!」
「あー」
心当たりがありすぎて、俺は曖昧に笑って誤魔化した。
◆◆◆
——その後の話をしよう。
俺とイノリがグレーターデーモンを討伐して間もなく、
世界の崩壊という最悪の事態こそ避けられたが、爪痕は大きかった。
まず、世界中央の島の建物は一つ残らず全壊。
最大の湖、『神水の鏡』は異界と位相が重なり凍結したことで生態系に大打撃を受けた。簡単な調べでは淡水魚の7割が死滅したとのことで、暫く水産業は休業を余儀なくされた。また、この先何年経っても元の生態系には戻らないらしい。つまり、俺とイノリの料理制覇は叶わぬ夢と消えた。
人的被害も大きい。
逃げ遅れた避難船に乗っていた乗客乗員、延べ380人は全員死亡。防衛に参加した冒険者76名、自警団69名、異界内に突入していた銀三級冒険者が7名殉職した。また、グレーターデーモンが放った光や魔物の攻撃の余波を受け、一般人94名に被害が出て、内29名は死亡。
その他、冒険者や一般人等、合わせて45名が依然として行方不明だと言う。
また、防衛に投入された兵器や武具の68%が全損したとのことで、『湖畔世界』フォーラルは見事、リステルと同じ財政難に突入することが確定的となった。全く笑えないよ、畜生。
「……なんか、色々聞いてたら眠くなってきたな」
心と瞼が重くなった俺は、傷が熱を持ち妙に火照る体を横にした。
「悪いイノリ。また暫く眠る」
「ん、私も疲れたし寝よっかな」
そう言ったイノリはさも当然のように布団の中に入ってきて俺より早く寝息を立て始めた。
「療養中くらいは節制しなくてよくないか……?」
治療代すら節約するのか……と俺は困惑しながら目を閉じた。割とすぐ眠れた。
◆◆◆
——エトが目を覚まし、そしてまた眠った頃、時を同じくして。
グルートとギルバートはギルドからの救援依頼を受け、次の世界へ出立する準備を整えていた。
「良いのか、ギルバート」
「ああ。パーティーは一度解散する」
あっさりと宣言したエルフの横顔の決意の強さに、グルートは自分が言うべきことはないと悟り、「そうか」とだけ返した。
「貴方が心配することではない。皆、理解している。俺たち一人一人、未だ力不足だ」
異変の解決は、結局のところエトラヴァルトとイノリという二人の新進気鋭の冒険者によって達成された。
危険度5の魔物がグルートたちの封殺に回っていたことで、地上に進出する魔物が危険度4以下に絞られていた、という明確な功績はあったが、今回の作戦に参加していた者全員が「結果論」だと理解していた。
何故なら、異界主を倒したのはエトラヴァルトだ。そしてそもそも、敵の策略を見抜けていれば、万全の態勢で異界主を迎え撃てていた。
今回の戦いは、「ベテランが油断で掛け違えたボタンを、新人が身命を賭して元に戻した」。そういう話なのだ。
ギルバートは、悔しさを隠すことなく唇を噛み締めた。
「真実を見抜く眼力も、思考も、知識も。敵の奸計を打ち砕く武も、何もかも、俺たちには足りていなかった」
拳を握り自らを戒めるギルバートに、グルートもまた同意する。
「……そうだな。俺もまだ、未熟だと思い知らされた」
二人が受けた依頼は、とある世界の所有する
二人が今からするのは武者修行の旅だ。
久しくしてこなかった冒険の連続の日々に、二人は自ら進んで身を投じようとしていた。
全ては、勇敢な
ギルバートは後方を——今しがた眠りについたエトのいる方角を振り返り、笑った。
「お前たちの強さ、学ばせて貰ったぞ。また会おう、エトラヴァルト、イノリ」
そうして、二人の男は世界の外に踏み出した。
◆◆◆
翌朝。
昨日よりも元気になった俺とイノリを、馬鹿吸血鬼がアホ面晒して見舞いに来た。
「よお二人とも! 元気そうだな!!」
「「テメェ救援ちゃんと来いよ!!」」
「挨拶がわりに正拳突きすんなよ!?」
霧化で俺たちの渾身のパンチをいなした紅蓮は「仕方ねえだろ」と肩をすくめた。
「様子見に行ってやるかー! ってやる気出したら、フォーラル全域に空間断絶が起きてやがったんだよ。俺の霧化は大体のもの無効化できっけど、空間断ち切られちゃ移動なんかできっこねえよ」
「そもそも最初っから招集受けとけって話では?」
「正論は聞きたくねえ!」
餓鬼のようにごねる紅蓮を「うるさいから」と仮設療養所から蹴り出し、同時に俺たちは三日ぶりに外に出た。
青空の下、紅蓮は「悪かったってー!」と全く反省してなさそうに両手を合わせる。
「あの剣役に立ったんだろ? それで今回は許してくれって!」
「その提案をするのはイノリであってお前ではねえよ……どうする?」
俺の確認に、イノリは「う〜ん」と悩ましげに唸った。
「今度また何かくれたら許す!」
「強欲! ったく、仕方ねえ! 今回は俺にも落ち度があったからそれで手を打ってやる!」
「だからなんでお前が上から目線なんだよ」
半眼で紅蓮を睨む。すると、紅蓮は「ニヤァ」といやらしい、何かを企むような笑いを浮かべ、するりと俺と肩の肩に手を回した。
「先輩にそんな口きいていいのか? エトラヴァルト“ちゃん”?」
「——ふぬぐぅっ!?」
瞬間、心に甚大な打撃を受け、俺はその場で膝をついて項垂れた。
「キヒヒヒッ! 聞いたぜ、お前。女の子に変身したんだって!?」
「うごごごごごごご」
「手まで振って随分とノリノリだったらしいじゃねえかよ。なあ〜、エトちゃんよお」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎ……」
「紅蓮さんがすっごい楽しそうだ」
嗤う紅蓮、苦しむ俺、傍観するイノリ。この奇妙な三角形は、治療師が問診に来るまで続いた。
「にしても英雄叙事……オラトリオ、ねえ。叙事詩たあ随分気合の入った名付けじゃねえの? エトちゃんさあー!」
「ぬぐあああああああああ!?」
いつか、絶対このクソ吸血鬼ボコボコにしてやる……。
◆◆◆
そして、また翌日。
俺たちに「特別報酬」が与えられるという情報が舞い込んだ。
今回の防衛に参加した冒険者全員に、
報酬は全て「冒険者ギルド」が捻出するらしく、フォーラルに一切の負担はないとのこと。
ようやく舞い込んだ吉報に、俺たちは揃って胸を弾ませた。
「遠慮なく受け取れるな!」
「エトくんの防具買い揃えらるくらい貰えるといいね!」
「切実に願う」
今回の一件で、俺の防具は余すことなく全壊した。よって総とっかえ確定である。
また、イノリの防具は直撃を受けなかったためか消耗は少なかった。しかし、グレーターデーモンのあの馬鹿げた戦闘力を肌で感じ取った手前このまま、というのも不安である。
最低でも両者、危険度5クラスの魔物の素材で作られた装備で身を固めたい所だ。
◆◆◆
「エトラヴァルト様、イノリ様。お二人にはギルドから、それぞれ300万ガロの報奨金が贈られます。また、今回の実績を加味しまして、エトラヴァルト様は銀五級、イノリ様は銀四級への昇級が認められました。おめでとうございます!」
「「何事!?!!?!?!!!?!?!!?」」
自分たちの反応にとてつもない既視感を感じながらも、俺たちはこの場でできるこれ以上のリアクションの最適解を知らなかった。
それぞれがブラッディ・ガーゴイルを討伐した時の十倍以上の報奨金と、更に寝耳に水な昇級の報せを受けとり、俺たちは二人揃って青空の下で建設が進む『冒険者ギルド 新・フォーラル支部』のカウンター前で絶句した。
そんな俺たちに構わず、受付のギルド職員は淡々と事務手続きを進める。
「お二人は銀行口座をお持ちでないようですが……宜しければお作りしましょうか?」
「ソッスネ」
「オネガイシマス」
「畏まりました。それではこちらに必要事項の記入を」
促されるままに書類に名前やらを書き、300万はそれぞれの口座に振り込まれた。
周りで騒ぎ立てる冒険者たちの野次を気にする余裕なんかなく、俺たちは緊急停止を訴える脳を必死に稼働させながら昇級に伴う留意点や、今後の昇級に必要な実績など、行動計画に必要な情報を粗方教えてもらった。
「——改めまして、お礼を」
ふと。
ギルド職員が居住いを正し、今まで以上に真剣味を帯びた表情で俺たちを……いや、ここにいる全ての冒険者たちを見た。気がつけば、その場にいた職員や自警団、有志の一般人たちは皆手を止め、こちらを見ていた。
「このフォーラルが今日も続いているのは、皆様のお力があったからです。心より感謝を申し上げます」
『ありがとうございました……!!』
一斉に頭を下げる彼らを前にむず痒い気持ちになって、俺とイノリは顔を合わせて不器用に笑った。
それは他の冒険者たちも同じなのか。ドヤ顔する者、鼻下を擦って照れ隠しする者、モニョモニョと口を動かして表情を作ろうとする者など、反応は様々だった。
そんな中、むず痒い空気に耐えられなくなった一人の冒険者が雰囲気をぶち壊すようにハイテンションで大声を上げた。
「——ッシャア! 野郎ども! “異名”を決めっぞぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
『うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
途端、空前絶後の盛り上がりを見せ、冒険者たちはグレーターデーモンの咆哮に引けを取らない大熱狂を上げた。
二人、置いてかれるイノリと俺。
何事かと唖然とする俺たちに、後ろからギルド職員が耳打ちしてくれる。
「活躍したお二人に、彼らは名前をつけたいんですよ。ほら、ギルバート様の〈迅雷〉とか、ああいうやつです。彼らなりのエール、感謝の気持ちだと思いますよ」
「……そりゃ光栄な話ですね」
願ってもないことだ。俺とイノリの目的に、“異名”はとても大きな意味を持つのだから。
「俺、イノリちゃんは〈黒百合〉が良いと思うぞ!」
「ムッ! お主、中々良いセンスではないか!」
「普通に良くてそれで決まっちまいそうなんだが!」
「いきなり100点出すんじゃねえ! 俺たちの案を出せねえだろうが!!」
「嗚呼、麗しの黒い君……イカ墨のような髪、泥団子のようにまんまるな瞳——」
「オイ! 誰かこのクソ詩人黙らせろ!!」
口々に、好き勝手に冒険者たちはイノリの異名の案を出していく。「お前らが楽しみたいだけでは?」 と思わなくもなかったが隣のイノリが存外楽しそうに笑っていたから何も言うまい。
——そうして暫く。
イノリの異名は、最初に言われていた〈黒百合〉に決まった。
◆◆◆
「……さて諸君。本日のメインイベントだ! エトラヴァルトの異名を决めるぞぉおおおおおおおおおお!!」
「fooooooooooooooooooooooo!!!!」
イノリの時以上の盛り上がりを見せる冒険者たち。皆口元には笑みを浮かべ——待て、なんだその邪悪な笑いは。
刹那、俺の“直感”が最大限の警鐘を鳴らした。
今回の完全解放を通して、シャロンの力は一層俺に馴染んだ。中でも“直感”は、平時であっても以前とは比べ物にならないほど強くなった。
その直感の囁きに、俺は背筋を冷たいものが這う恐怖を感じた。悲しいことに、その感覚は大正解だった。
「それじゃあどんどん言ってこー!」
「〈白無垢〉!」
「〈ホワイトアイドル〉!」
「〈雪の妖精〉!」
「〈プリチースマイル〉!!」
『あれは最高のファンサだったな!!』
「待ておい!」
思わず俺は額に青筋を立て、異名検討会に殴り込んだ。
「どうした〈白無垢〉!? 希望のやつがあったか!」
「あるわけねえだろ! 俺の要素どこだよ!? エトラヴァルトの要素が欠片もねえじゃねえか!!」
というか、全てがシャロンに向けられたものだ。俺の要素がマジで1ミリも存在しない。
「そうか。お気に召さなかったか」
一体全体どうしてお気に召すと思ったのか。
俺の抗議を受け、自称主催者の男は「ふむ!」と頷いた。
「お前らァ! エトラヴァルトは“自分の要素”をご所望だ!」
「なんだよ、そんなことなら早く言ってくれや! 特大のがあるぜ! なあお前ら!!」
『応よ!!』
——直感。“ヤバい”。
「いや待て言わなくて良いつかいらないおれ異名いらな——」
「〈英雄女児〉」
「〈女児氏〉」
「〈オラ“ロリ”オ〉ww」
『ぶはははははははははははははははははは!!』
「お前ら全員ッ! 表出ろやぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
俺の怒りの絶叫は、笑い転げる冒険者たちのゲラゲラと喧しい声にかき消されていった。
◆◆◆
その後、俺の異名はグレーターデーモンすら攻めあぐねた剣捌きを評価され、渋々〈
しかし、〈英雄女児〉等、不名誉極まりない呼ばれ方も、ここに集った馬鹿どものせいで未来永劫ネタにされ続けることになる。
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