タダより怖いものはない

 特に何事もなく翌朝を迎えた。

 ブラッディ・ガーゴイルとの戦いで疲れ果てていた俺たちの間で何かが起きるはずもなく、二人では少し手狭なベッドの上で朝まで揃って爆睡した。


「次からはちゃんと二部屋取らないか?」


「確かに、ベッドが大きい宿探さないとね」


「俺の話聞いてた?」


 どうやっても一部屋で済まそうとしやがる。


「多少の稼ぎもあるんだし、二部屋取った方がよくないか?」


「ダメだよ、エトくん!」


 固まった体をほぐすように関節を回していた俺にずいっとイノリが詰め寄った。


「できるとこから節約してかないと、いざって時にすっごく困るんだから! おねえも言ってた!」


 だからと言って宿の部屋まで節約するのは如何なものかと思うが、という指摘は、再び明かされた彼女の家族構成に押しやられた。


「お前、姉もいたのか」


「うん。だから、おねえのことも探してる」


「兄貴だけじゃなかったのか。なんであの時言わなかったんだ?」


「兄ぃとおねえ、恋人同士だから一緒にいるかなって」


 ……………………………うん?


「えっ……あ、そう。……え? 恋人?」


「そだよ」


「あっ…ふーん(察せてない)」


 兄妹で恋人? え、禁断の恋じゃん。イノリ、めちゃくちゃハブられてるじゃん。


 朝食を取るために部屋を出たら、隣の部屋に寝泊まりしているらしい銅三級の冒険者に二人揃って部屋から出てくる場面を目撃された。

 男はギョッとして俺たちを交互に見比べ、最後に俺の顔を見て舌打ちを残して去った。


「つまり、お前は駆け落ちして家を出て行った兄と姉を探してるんだな?」


「違うよ?」


「え゛っ……殺すの!?」


「違うよ!? エトくんどんな想像してるの!?」


 どんな……そうだな。

 イノリは見たところ、そこそこ良いところのお嬢様な印象がある。立ち振る舞いとか、細やかな所作などが丁寧かつ上品だ。

 つまり、それなりに厳しく育てられたことが容易に想像ができ、そんな家が禁断の恋を許すはずもない。


「家の掟やらを破った兄と姉を始末するために探してるわけじゃないのか」


「何を勘違いしてるんだか……。兄ぃとおねえは血、繋がってないよ」


「……あ、そうなの?」


「うん。私も繋がってないし、そもそも私たちは貴族じゃないよ」


「そうだったのか……いや、じゃあなんでお前だけ逸れたんだ?」


 焼きたてほかほかのパンを頬張りながら、イノリは少しだけ暗い表情を見せた。


「……いや、悪かった。踏み込みすぎた」


 俺は失言を悟り、すぐに頭を下げた。


「……ん。なんというか、私、災害に巻き込まれたんだよね。その時、兄ぃの手は私に届かなかった」


 最後に触れたのか。

 イノリは、右手の中指の先をそっと撫でた。


「私がもっと強ければ、兄ぃに全部背負わせちゃうこともなかったって。だから、冒険者になって強くなりたいの。強くなって、名声も得て、兄ぃも探すの。兄ぃを見つけた時、今度は私が兄ぃを守れるくらい強くなる!」


 そう言って、イノリは大口を開けて一口でパンを放り込み、リスみたいに頬を膨らませた。


「なら、まずは防具だな。食い終わったら早速行こう」


「〜〜〜!!」


「ちゃんと飲み込んでからな?」



◆◆◆




 防具の性能は、そのまま装備者の生存に直結する。

 これは新人が陥りやすい罠なのだが、冒険者として最初にすべきは探索スキルの向上や戦闘技能の習得ではなく、「装備の充実」である。


 ぶっちゃけ、危険度1程度の相手であれば防具が硬く、武器が鋭ければ大抵の人が倒せる。

 ではなぜ皆が防具を揃えず異界に踏み込み命を落とすのか。答えは単純。金がないのだ。


 冒険者になる者は、一部のやんごとなき理由を抱えた者や俺のような上司の頭がおかしい奴らを除き、大半が働き口を求めて流れ着く。

 そんな奴らに初期投資用の金があるはずもない。


 そういった新人たちのために後払いや分割払いを提案する店も少数ながら存在し、また金貸しも一定数存在する。

 だが、冒険者買い手店側売り手も銅級の高い死亡率に二の足を踏み、結果また死亡率が上がるという負の連鎖が止まらないのだ。


 長々と語ったが、何が言いたいのかと言うと、装備への出費は渋るな——だ。




◆◆◆




 危険度4、リザードマンの厚皮と鱗で作られた胸当てと籠手、あと頭巾。

 危険度3、ウォーオックスの背皮の腰巻き。

 危険度1、洞窟ムカデの甲殻の脛当て。


 全てイノリの新装備で、合わせて26万6000ガロである。


「「冒険者、金の使い方荒すぎる!!」」


 どうせこれからも死線を反復横跳びするのだ。節約は大事だが投資を渋っては本末転倒。ってことで予算範囲内で可能な限りいい防具を——と、考えたのだが。


「明らかに見栄えは良くなったし質も上がったんだろうが……」


「なんか、装備に着られてる感じがすごいね。私、めちゃくちゃ新人冒険者なのにいいのかな……」


 店主の話によればこの装備は銀級にとっては最底辺の装備らしい。

 確かに、考えてもみれば危険度4の個体は穿孔度スケール4以上の異界で出現が増え、穿孔度スケール5では当たり前のように遭遇エンカウントするようになるらしい。

 そんな奴らの遺留物ドロップアイテムなんぞ銀級は何度も目にするだろうし、安定して集まるそれらで装備を作るのは当然と言えた。


「まあ、俺らもそこそこ魔物狩ってきたし、ガーゴイルも倒したから前よりスペック上がってると思うけどな。どうする? 性能チェックに異界潜るか?」


 俺の提案に、イノリは速攻で頷いた。


「うん。行こう!」





◆◆◆





 赤土の砦は、異界の中でも比較的「深く潜りやすい」地形をしているらしい。

 俺たちが丸一日で異界主にアタックできたのも、階層間を繋ぐ連絡路が互いに近く生成されていたためだ。


 同時に、赤土の砦は非常に「迷いやすい」地形でもある。

 理由は、階層が漏れなく横に広く、似たような地形がずっと続くためだ。


 「正規ルート」と呼ばれる先人たちが開拓した、異界主の待つ第十六層までの最短距離。一度そこを外れれば、延々と似たような地形、視界、薄暗さが続く魔物たちの領域が広がっている。


 異界で迷うのは死に直結しかねないため、誰もが「正規ルートがギリギリ見える」範囲での探索を主に行いつつ、自分たちで地形を把握、マッピングする必要がある。

 そして、たとえマッピングしても階層の奥に好き好んで入る人間はそう多くない。

 魔物の数が、正規ルートに比べて多すぎるのだ。



 …………。


「魔物多すぎて軽く地獄なんだが……?」


 赤土の砦、第七層。


 俺とイノリは新調した防具や上昇した身体能力を確かめるべく、敢えて正規ルートから外れていた。

 本当なら異界主を相手取りたいのだが、生憎俺たちが倒したばかり。復活にはあと5日ほど時間を要する。と言うわけで、戦闘の数をこなすために奥に潜った。ここまでは良かったのだが……


 最後のコボルト・リーダーの喉を掻き切ったイノリが、刃こぼれを起こした自分の短刀を見てため息を吐いた。


「はぁー疲れたぁ!」


 危険度2と危険度1の群れ。数にして凡そ40ちょっと。それが、一度の遭遇エンカウントで襲ってきた。

 俺とイノリにとって、最早一芸に秀でていない危険度2以下の魔物は脅威ではない。これは慢心ではなく、純然たる事実だ。


 だが、束になって襲われた場合はその限りではない。

 数は力だ。

 特に、逃げ場のない閉所における物量は場合によっては個々の実力を封殺してしまう。


 この数に二人で対応できることがわかったのは収穫だが、同時に「引き際」の大切さを教えられた。


「イノリ、体の方はどうだ?」


「うん、だいぶ馴染んだと思う。でも、力加減間違えて一本ダメになっちゃった」


「武器もアップグレードしてかないとダメだなあ」


「お金が飛ぶねー」



 魔力の吸収、という事象がある。

 魔物を倒した際、得られるのは魔石と遺留物ドロップアイテム……


 魔物を倒した時、肉体は魔力の欠片を吸収する。経験値とも言われているそれらを得た肉体は、少しずつ、しかし確実に身体能力スペックを上昇させていく。

 また、吸収量は魔物の危険度が高いほど多くなる。


 危険度4のブラッディ・ガーゴイルの欠片を吸収した今、俺たちの……特に、イノリの身体能力は以前と比べて一段成長した。

 今回の異界探索は、今後も飛ぶように消えていくであろう資金を少しでも稼ぐのはあくまでオマケ。強くなった体に精神を慣らすのが主目的だ。


「だからと言って、これは多すぎるだろ……」


「油断したら死ぬって思い知らされたね」


 魔石と遺留物ドロップアイテムを回収し、第二波が来る前にさっさと正規ルートに戻ることにした。


「……あれ、この匂い」


 ふと、嗅ぎ覚えのある匂いがして俺は足を止めた。


「エトくん? どうしたの?」


「すげえ記憶に新しい匂いがした。……いるんだろ、紅蓮」


 虚空に問いかける。

 数秒後。


『マジか、結構気配隠してたつもりだぞ?』


 空間に声が響き、赤い霧が俺たちの目の前で集い人の形を象った。


「なんで気づけたんだ?」


 姿を現した吸血鬼の紅蓮は、答えを求めるようにずいと俺に顔を寄せた。


「匂いだよ。アンタ、結構強い血の匂いがする」


「…………へぇ」


 嬉しそう、なのだろうか。

 紅蓮は真紅の瞳孔を開き、口角を上げた。


「良い勘してんじゃん」


「どうも。で、なんの用だ?」


「警戒すんなって。そんな大層な用立てはねえよ。今日は俺が引き合わせた奴らが上手く行ってるか確認しにきただけだ」


 相変わらず、軽薄な笑いを貼り付けた顔。しかし、俺たち二人を気にかけてくれているのは奴の行動からして明白だった。


変異個体イレギュラーを討伐したって聞いたぜ。ってわけで、俺からの勝利祝いだ」


 なんの脈絡もなく、紅蓮は虚空から一対の短刀を引っ張り出し、イノリの両手に勝手に押し付けた。


「へっ?」


 上等な皮に金糸で艶やかな刺繍を施された鞘。

 柄と鍔にも同様の色相が伺える。

 剣身は一方が星屑を散りばめたような半透明、また一方は夜を凌駕する漆黒。


 一目で尋常じゃないものとわかる逸品を手にしたイノリが完全に硬直した。


「え、あの……」


「……これ、なに?」


 放心するイノリに変わった俺の問いかけに、紅蓮は特に隠すことなく答えた。


穿孔度スケール6、火の神ヘパイストスの鍛冶場」


「………………。…………は!?」


 紅蓮の言葉の意味を咀嚼しきれず、俺もまた驚愕のまま動きを止めた。


「ちょっくら昨日潜ってきたんだよ。名前はないからアンタらで好きに付けろ、異界が生み出した武装だ」


 絶句する俺たちを他所に、紅蓮は短刀の安全性を呑気に語る。


「呪いがねえのは知り合いの呪詛師のお墨付きだ。多少手荒に扱っても刃こぼれ一つ起こさねえ。“魔剣”の類かはわかんねえけど……ま、アンタらなら大丈夫だろ」


「え、あ、の……ぐ、紅蓮さん。い、いいの?」


 イノリの動揺は最もなものだ。


 穿孔度スケール6、火の神ヘパイストスの鍛冶場。

 空間湾曲型の異界であり、地上に表出した神殿を模した異界。

 内部には危険度5.6の個体が跳梁跋扈する、観測されている穿孔度スケール6の中でも最難関とされる異界だ。


 そして、冒険者でない者でもその名を知る者は多い。火の神ヘパイストスの鍛冶場、またの名を『宝物殿』。

 武器、防具、アクセサリー。

 ありとあらゆる装具を生み出す異界である。


 生み出されるものはいずれも一級品の品物。

 ひとたびオークションに出品されれば、0が7個や8個も並ぶようなものばかりと聞く。

 そんな超絶希少品を、紅蓮は孫に小遣いを与えるジジイのような気軽さで渡してきた。


「いいっていいって。その袋やった時にも言ったろ? 先行投資だ。将来有望な奴らに恩を売ってんの!」


 銀一級と言えど、これは流石に貰いすぎではないか。喜びよりも申し訳なさが立つ俺たちに、紅蓮は「仕方ねえなあ」と一つの提案をした。


「将来、アンタらが強くなった時でいい。一度だけ、俺の我儘を聞いてくれ。な?」


 短刀の対価にしては随分とマイルドな提案だったが、気後れがなくなったのか、イノリは逡巡の後に頷いた。


「わかったよ。必ず強くなる」


 彼女の決心に、紅蓮は満足したように「ケヒヒ」と笑った。


「その意気だ、新しい銀級。先達として歓迎するぜ」


「……ん?」


 紅蓮の妙な言い回しに引っ掛かりを覚え、俺は首を捻った。


「まだ発表されてないよな? ってか、俺たちも昇級の結果聞いてないんだが」


「ああ、今回の昇級会議、俺も出てんだよ。金に行くためには色々実績必要でな。これもその一環なんだよ……ってなわけで、俺が個人的に推薦してイノリちゃんは無事銀級昇格、エトラヴァルト、アンタは銅一級に昇級だ」


「「…………」」


「……ん? どした?」


 この時、俺とイノリの想いは同じだった。即ち——


「「たちのワクワクを返せ馬鹿吸血鬼ーー!!」」


「のわっぶねえ!!」


 二人の渾身の拳は、紅蓮の体が霧化したことで虚しく空を切った。

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