第86話クーデレ豪商の憂鬱と啤酒花 其ノ拾弐

酵母についての話は盛り上がり、気づけばとっぷり日が暮れていた。


「こんなにも楽しい時間はいつぶりだろうか」


夕陽差し込む畳の上で、小西は満足そうにひとつため息をつく。酵母の説明は途中から酒造り談議に代わり、最後はビールの醸造方法の説明になっていた。


「びいるという飲み物、ぜひ一度飲んでみたいものだ」


小西の言葉に、直は嬉しそうに頬を緩める。


「だったらさ、にっしーも一緒にビール造ろうぜ。ホップが手に入ったんだ、もうあとは醸造するだけ!俺が最高にうまいビール飲ませてやるよ」


「……いいのか?」


小西が小さく息をのむ。


「そりゃあもちろん!ま、下の町まで来てもらうことになるけどさ。喜兵寿の店広いし、にっしー一人ぐらい泊まれるだろ。な、喜兵寿」


喜兵寿は「お前が勝手に決めるな」と直を睨みつけつつも、


「狭く騒がしいところですが……もしよければ」


と小西に向かっては笑顔を向ける。


「びいるを飲んだのですが、あれはかつて体験したこともない衝撃的な味わいの酒でした。自分は酒に命を捧げると決めた身。正直、あの一口と出会えて本当に良かったと思っています」


小西はしばらく考えこんでいたが、姿勢を正すとまっすぐに二人に向かって言った。


「ワシもびいる造りに携わらせてほしい。いいだろうか?」


「もちろん!仲間は多いほうが楽しいってもんだ!一緒にビール造ろうぜ」


直は居ても立っても居られない、といった様子で立ち上がる。


「そうと決まったら早速出発だ!にっしーどのくらいで準備できる?」


「そう時間はかからんが……ちょっと待て、どうやって下の町まで行く?」


「樽廻船に乗せてもらうんだよ。にっしー一人ぐらい増えたってどうってことないだろ。ああ!もうすぐビールが造れると思うと、めちゃわくわくしてきたな。早く帰ろうぜ」


「ビール、ビール!」と興奮している直の頭を、喜兵寿が後ろからひっぱたく。


「お前はちょっと落ち着け。樽廻船に乗れるかどうかは、ねねに聞いてみないとわからないだろう?お前が決めるな」


「いってぇなあ」直はぶーたれながら、頭をさする。


「だったら今からねねに聞きにいこうぜ。確か今日会合があるって言ってだろ?まだこの近くにいるだろ」


「……会合」


小西がふと考えこむ。


「ひょっとして樽廻船というのは『新川屋』の船か?」


「そうそう!にっしーよくわかったな」


「そうか……」と小西の顔が曇る。


「ここにくるまでに大嵐にあった船だろう。寄港する前から、商人たちの間ではかなりの噂になっていたからな。どれほどの損失がでたのか、誰がどれだけ負担するのかなど、皆、血相を変えて話していた」


ねねは「なんとかなる」といった様子だったので、さほど心配はしていなかったが、事態はもっと深刻なようだった。喜兵寿と直は「まじか」と顔を見合わせる。


「今回の新川屋の樽廻船の損害は、かなりの額になったと聞いている。たしか依頼主は気性が荒い奴が多かったからな……物騒なことになっていなければいいが」


「……行こう、直」


喜兵寿が険しい顔で立ち上がる。


「ねねが心配だ」


「おうよ。それにしても水くさい奴だな~少しは俺らも頼ってくれりゃあいいのにな。ま、金はないし、腕っぷしも自信はまったくないけどさ」


直はぐうっと背伸びをする。


「ってことでにっしー、ちょっくら会合に行ってくるから、旅の準備しといてな」


部屋を出ていく二人の後を追うように、小西は立ち上がった。


「ワシも行こう」


驚いた顔の二人の横を抜け、小西は颯爽と玄関へと向かう。


「忘れたか?ワシはここいらの商人の頭。少しは役に立てると思うぞ?」


そういうと悪戯っぽく笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る