第47話樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ伍

喜兵寿の問いに、なおは「お、聞きたいか!」と起き上がった。


「定番から変わり種までいろんなビール造ってきたんだけど、やっぱ一番思い出深いのは喜兵寿も飲んだ米のビールかな。初めて自分で考えたビールでさ。出来上がった時は嬉しかったなあ」


新人ブルワーとして数年。日夜ビールのことだけを考え、のめり込んで仕事をしてきた。だから「好きなように造ってみろ」、そう言われた時は飛び上がって喜んだのを覚えている。


「久我山はちゃらちゃらしているからすぐ辞めると思っていたが、違ったな。お前はきっといいビールを造るよ」


誰よりも厳しかった先輩ブルワーからの一言は、今でも宝物だ。


自分の本当のデビュー作となるビールはどんなものにしようか。そう考えた時、真っ先に浮かんできたのは実家の米だった。


「さっきも言ったけど、うちの実家は米農家でさ。本当は俺が跡を継がなきゃいけなかったんだけど、どうしてもビールが造りたくてかなり揉めたんだよね」


なおは当時のことを思い出し、目を細める。


「親とはずっと冷戦状態だったんだけど、ある日離れて暮らしていた妹がひょいっと帰ってきてさ、『じゃあわたしが農家やるよ~』って。ばっちばちのギャルだったくせに、翌日には爪全部とってきて、長靴履いて田んぼにいんの」


「なおにも妹がいたのか。よくわからないが、お前のためにぎゃるという仕事から農家になってくれたのだな」


「あははは、職業ギャルか!まあ確かにそんな感じだったな」


なおは妹マミの顔を思い出す。長い金髪に、ゴテゴテとしたまつ毛。

「わたしが農家やりたいっつってんだから、こんなでくの坊兄貴なんかいらないっしょ。そもそもわたしの方が数倍力も強いし、頭もいいわけだしさ」


そんなことを言いながら、マミはギャルを象徴するそれらをネット付きの虫よけ帽子や、UVカットのフェイスマスクに押し込んだ。今では大きなトラクターを縦横無尽に操縦している。


「つるみたいに気の強い妹でさ。あいつが農家継いでくれたおかげで俺はビール造りをできるようになったわけ。だからやっぱ最初はマミが造った米でビールを造りたかったんだよね」


「それは妹殿もさぞ喜んだろう」


喜兵寿がほほ笑む。普段は眉根に皺を寄せてばかりいるが、その表情はいかにも「お兄ちゃん」といった感じでふわりと柔らかい。


「そうだな」


出来上がったビールを持って久しぶりに帰った地元で、なおはまるで有名人のようにもてはやされた。山間の小さな村だ。近所のおじいやおばあなどが、酒やら野菜やらを持ってお祝いにきてくれた。


皆でなおの造ったビールを分け合って飲んだ。おちょこで一口ずつ。なおがたくさん持って帰ってこれなかったことを詫びるも、彼らは「この土地の味がする気がする」「これでわしらの村も全国デビューだ」などと大騒ぎだった。


父も母も上機嫌で、「やるじゃないか」と盛大に褒めてくれた。


すっかり夜も更け、皆が帰宅した後。残しておいた1本をマミ飲んだ。グラスに並々と注いだなおのビールで乾杯をする。


「これ、本当においしい。今度彼氏にもあげたいから送ってよ」


豪快に喉を鳴らしながら飲むマミに、なおはずっと言いたかった一言を伝えた。


「俺の代わりに跡を継いでもらって悪かったな」

マミは一瞬きょとんとした顔をした後、「らしくもない!」となおの肩にパンチを入れた。


「こちとら兄の為に農家やってるわけじゃないんだわ。わたしは米が作りたかった。なおはビールを造りたかった。ただそれだけっしょ」


マミは笑う。


「米作りはいいよ。稲は手をかけたらかけた分、きちんとその稲穂の中に愛情をため込んでくれる。稲も生きてるからさ。会話できんだよ」


「それ、なんとなくわかるな。ビールも同じだ」


「でっしょ。全部同じなんだよ。でもきっとわたしはビールとは話せなかったし、なおも米とは話せなかった。だからいいんだよ」


マミは手酌でグラスにビールを満たし、まじまじと見つめた。


「ってかさ、まじ兄妹コラボビールとかすごくない?!さっきストーリーにあげたんだけど、すごいバズっててさ……」


その日はしこたま飲んで、酔いも冷め切らないうちになおは東京へと帰った。すべてのしこりがなくなり、これで全力でビールが造れると思ったら居てもたってもいられなくなったのだ。そしてそこから再びビールのことだけを考え、今日まで走り続けてきたというわけだ。

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