第40話泥酔蘭学者、ホップを知る 其ノ拾参

「ビールを造るのに必要なものは4つ。それは麦芽、ホップ、酵母、水だ。たったこれだけでビールは出来上がる」


なおは筆で大きな丸を4つ書き、それぞれに原材料名を書き込んでいく。


「麦芽、まずこれは夏がくれた麦から造ることができる。この後つるに任せるものだ」


丸の中に書き込まれた「麦芽」という文字を見ながら、つるは神妙な顔で頷く。


「次にホップ。これは今から俺と喜兵寿で探しにいくやつだな。船に2週間も乗って」


うえっと舌を出しながら、なおは丸の中に「ホップ」と書き込んだ。


「水は、まあ水だ。裏の井戸から汲み上げたらそれで終わり。そして最後。これが今はなしていた酵母だ」


なおが書き込んだ「酵母」という文字を、3人はまじまじと見つめる。


「酵母は……そうだな、簡単にいうと『酒を完成させてくれる生き物』だな。目には見えないくらいちっさい生き物」


「酒を完成させてくれる、生き物?!」


まったく訳がわからない、という顔でつるが眉をひそめる。その横で喜兵寿は一言一句聞き漏らすまい、といった真剣な表情で腕組みをしていた。


「そうだ。酵母は糖分をアルコールと二酸化炭素に分解することで、酒を完成させる。ってこの説明じゃ伝わらないか!」


なおはガシガシと頭をかくと、紙にパックマンのようなイラストを描いた。


「これが酵母な。こいつに糖、えっと、麦芽を砕いてぐつぐつお粥状にした後、濾すとあまーい液体になるんだけど、それを食べさせる。そうするとアルコールをつくってくれるんだよ」


「あるこーる、とはなんだ?」


「ああ、アルコールはあれだよ、酒飲むと酔っぱらうだろう?あれがアルコール」


「なるほど、つまりあるこーるとは酒のことだな!あれはこうぼとやらによって生み出されているのか!」



喜兵寿はしばらくぶつぶつと呟いていたが、おもむろに筆をとると、パックマンの口に向けて「とう(糖)」と大きく追記し、そこから外に向けて「酒」と書き足した。


「つまり、こういうことか?」


「そうそう!さすが喜兵寿。後こいつはアルコールと一緒に二酸化炭素、えっと、喜兵寿はビール飲んだだろう?あのしゅわしゅわを一緒につくってくれるんだ」


「あの跳ねる液体!それもこやつによって造られるのか!」


初めてビールを飲んだ瞬間のことを思い出したのだろう。喜兵寿は目を大きく見開いた。それを見てなおは満足げに頷く。


「酵母ってすごいだろ。だからこいつらは『酒を完成させる生き物』なんだよ」


「たしかにすごいな……しかしこの酵母とやらはどこで手に入るのだ?」


「それなんだよ!」


なおは姿勢を正し、ごほんと咳ばらいをする。


「酵母は酒蔵にいる。そして喜兵寿たちは酵母という存在を認識していないにも関わらず、酵母を使って既に酒造りをしているんだよ!」


「それは……どういうことだ?」


「『酒の神』だよ。唄によって降ろすと言っていた『酒の神』が酵母なんだよ!」


「……?」


首を傾げたままの3人を見て、なおはもどかしげに頭をかいた。一刻も早く状況を共有し、この興奮を分かち合いたい。


「俺、日本酒のことは詳しくないんだけど、話を聞く限りたぶん、最初の工程で酵母が増えやすい状況を作ってやっているんだと思う」


なおは言葉を切り、紙に酵母を模した点をたくさん描く。


「そこに酒蔵住の酵母が降りてくることで、酒が出来上がるんだよ。つまり酒蔵でビールを醸造すれば同じことを起こるってこと。そこに住んでいる酵母たちがビールを醸してくれるんだよ!」


喜兵寿はなおの書きなぐった紙をしばらくじっと見つめていたが、「酒の神は実在するものだったのか……!」そう呟くと店の中を興奮した様子でうろつき始めた。時折、ザッザッとわらじで地面を削る。


「なるほど、そう考えれば合点がいく部分がいくつもある。酒は神とともに醸すものだと、だからこそ神に捧げるものだと伝え聞いていたが、そうか、そんなからくりがあったのか」


目を輝かせ、早口でひとり言を言い続ける(ひょっとしたら喜兵寿は口に出しているつもりはないのかもしれなかったが)。


「ああ、そうとわかれば一刻も早くこの目で確かめたい。酵母は目には見えないはずだが、きっとどこかの瞬間でその存在を感じることができるはずだ。ああ、2晩でも3晩でも眠らなくていいから、ずっと酒を見ていたらわかるだろうか……!」


「でた、お兄ちゃんの酒狂い。本当お兄ちゃんはお酒のことになると昔から周りが見えなくなるんだよねえ」


つるがため息をつく横で、夏がうっとりと目を細める。


「真剣なきっちゃん……かっこいい」


喜兵寿はしばらく自分の世界に入り込んでいたが、ハッと我に返るとなおに向かって言った。


「つまり俺が今すべきことは、このあたりの酒蔵でびいるを造らせてくれるところを探すことだな!新川屋のねねのところのついでに行ってくる」


「そうそう!それだよ!よろしく頼む」


喜兵寿は「まかせろ」と深く頷くと、颯爽と店を飛び出していった。


「夜には戻る。後はよろしく頼むぞ」

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