(10)真夜中の追跡
結局、再び地下室のオフィスに集合した魔法捜査課の三人であったが、アーネットは落ち着いているとも、ソワソワしているともつかない様子だった。
「失敗したかも知れん」
そう、ぽつりと呟くアーネットだった。ナタリーとブルーは顔を見合わせて肩をすくめる。
「何が?」
とブルーはたずねる。
「あいつの前で、魔法でワーロック伯爵に変装して引っ掛けただろ」
「うん」
「つまり、目の前に伯爵が現れてももうあいつは警戒して、何も言わないかも知れない」
それは仕方ないのではなかろうか、とブルーは思った。魔法による完璧な変身は、本人の声色まで再現できるのだ。動揺させて情報を引き出す事は成功したが、種明かしをしなければ、伯爵を捜査に引っ張り出した事にもなってしまう。
「じゃあ、アーネットは伯爵を利用してあいつをまた引っ掛けようとしてたの?」
ブルーは、話の流れから当然の質問をした。
「ああ」
全く悪びれる様子がない。もう、変装で相手を騙すという行為に慣れてしまっている。
「困ったな」
「あの変身魔法を指示したの、アーネットだからね。僕は上司に従っただけですよー」
アーネットはしかめっ面をブルーに向けた。
「具体的には、どう引っ掛ける予定だったの?アダムス医師を」
ナタリーが腕組みして尋ねる。
「どう、という事もない。ただ、変身という方法が使えなくなったな、という話さ」
「そんなの、問題ないんじゃない?それとも、アーネット・レッドフィールドはそんな姑息な方法に頼らないと、事件を解決できない刑事だったかしら」
言う言う、とブルーはナタリーに敬服の目を向けた。アーネットはそれが、ナタリー流の激励である事を長い付き合いで知っているので、何も言わなかった。
「でもまあ、今の所は状況証拠しか並べられないのが不利よね。目撃証言でもあれば別なんだけど」
「アダムスが伯爵に催眠をかけたのが事実なら、傍目には伯爵が金庫室まで行って戻って来たようにしか見えない。アダムスは診療室でそれを受け取ればいいだけだ」
なかなか、盗みとしては華麗ではある。
「一歩も動かず盗みをはたらく、か。まるでセルピーヌ・アレンだ」
セルピーヌ・アレンとは、東の海を渡ったプロンスという国でヒットしている、怪盗アレンが主人公の冒険小説である。それを地で行く盗みだとブルーは思った。
「待てよ」
アーネットは、ブルーの言葉に何かピンときたようだった。
「そうか。そういうやり方もあるな」
「あら、何か閃いたの?名探偵アーネットさん」
ナタリーは片肘をついて、アーネットに目線を送った。いつも見ている、方法を思いついた時の顔だ。
「ブルー、ナタリー。とりあえず買い出しに行くぞ」
アーネットの唐突な提案に、二人は顔を見合わせて肩をすくめた。
その日の夜。パーシー・アダムス氏が入院している国立病院は静かだった。
二階の入院病棟。一人の白衣を着た医師が、アダムス氏の病室から出てくる所だった。
「それじゃアダムスさん、あと何日か経過を見ますからね。首はそれほど痛めてはいませんが、姿勢には気をつけてください。医師のあなたには言うまでもない事でしょうけどね」
医師は病室に向かって声をかける。
「はい」
ベッドから、患者の情けない声がした。首のコルセットのせいで、どのみち寝返りも上手くできないようだった。
医師はようやく一日の仕事が終わって疲れたのか、首や肩を伸ばして溜息をついた。更衣室に入ると白衣をロッカーに仕舞い、外の寒さに備えてマフラーを厚く巻いた上にジャケットを羽織ると、ゆっくり階段を降りて病院関係者が利用する裏手の出入口へと向かった。
病院の外に出ると、医師は冷たい風に身を震わせた。春とはいえ、夜はまだ冷え込む。ジャケットの襟を立てて、裏門へと向かった。夜の病院というのは怪談もよく聞くので、裏庭の木や茂みが一瞬人の姿に思え、慣れたものであっても不気味だった。
同じ時刻、リンドン市内の公園。ベンチでナタリーとアーネットが、前もって買い出しておいたサンドイッチを食べていた。近くには屋台もあるのだが、どうしてわざわざ買い出しして来たのかと言うと、リンドンの庶民の屋台はまずロクなものが食べられないからである。この国は技術の発展こそ華やかだが、その陰で環境汚染の悪化が著しく、特に労働階級の住む地域は感染症などの不安に常にさらされている。今いるこの公園は、緑地が空気汚染への対策になると何十年か前に学者が政治に働きかけて、緑化推進の一環でできたものである。
「ブルー、大丈夫かしら」
ナタリーがボソッと言った。
「大丈夫だろう。あいつもそれなりに要領いいからな」
「夜に子供が一人でうろついてて大丈夫かって話よ。スラム街までそんな遠くもないのよ」
ナタリーは少々きつめの口調で言った。ブルーは現在、単独行動で離れた所にいるのだ。
「それなら尚の事大丈夫だ。あいつが本気で魔法を使えば、歩兵の部隊をまとめてあの世に送れる」
それはそれで、違う意味で心配になってくる話だ。ナタリーは溜息をついた。
「お前、何だかんだでブルーには甘いよな」
アーネットがコーヒーを飲みながらつぶやく。
「仲間だからね。最初はどう接していいかわからなかったけど」
「それは俺も同じだ」
アーネットは、魔法捜査課が発足した当初の事を思い出していた。何もないオフィスに形をつける事から始まって、11歳の少年刑事に捜査というものを教えながら、こっちはこっちで魔法についてサポートしてもらい、どうにかこうにか多くの事件を解決してきた。
「今思えば、どうやって切り抜けてきたんだろうな、あんな手探りの状態から」
「それは私も時々思う」
ナタリーは笑った。
すると突然、風が強く吹いて短い沈黙が訪れた。しばしの静寂のあと、ナタリーがふいに口を開く。
「アーネット。私の事、恨んでる?」
唐突にそんな事を言われたため、アーネットはぎくりと背筋を伸ばす。どう返せばいいか思案したのち、アーネットは言った。
「君にその事は言わない。魔法捜査課を始めた時、僕はそう約束したはずだ」
「課の人間としてではなく」
そういう聞き方はアリなのか、とアーネットは思う。しかし、答えないわけにもいかない。
「…君を恨む筈はない」
「そう」
短いやり取りのあと、二人は黙ってしまった。
二人でいると、必ず気まずい時が訪れる。ブルーという存在のおかげで、それは不思議と中和されてきた。もしブルーがいなければ、今ごろどんな事になっていただろうか、と二人は思う。
その沈黙は、アーネットの魔法の杖が青色に発光して破られた。
「きたぞ」
ブルーからの合図だ。アーネットは、杖を受話器のように耳にあてがう。
「ブルーか」
『聞こえる?動いたよ。アーネットの予想どおりだ』
ブルーは、動向を追跡する相手に一人で張り込みをしていたのだ。アーネット達がブルーと離れていたのは、目標がどういうルートを取っても先回りして、追うブルーと挟み撃ちできる態勢を取るためである。
アーネットはナタリーと目線で合図した。
「ブルー、目標はどっちに行った」
『今、ベンソン通りを市内中心方向に向かってる。移動しながら合流しよう』
「よし。バレないようにな」
『OK。通信終わり』
魔法の杖による通話をブルーは切った。杖で会話できるのは便利だが、どこでも使えるわけではない。これは地脈のエネルギー流を利用したもので、エネルギーが流れていない場所では声が届かないのだ。
「あいつも何だかんだで頼もしいよな」
「行くわよ、アーネット」
アーネットはうなずき、二人はベンソン通りの方向に小走りに出発した。
「ナタリー、俺が目標に先回りする。君はブルーと合流して、奴を追ってくれ」
「わかった」
ナタリーが頷くと、アーネットはナタリーと反対方向の闇に向かって消えて行った。その様子を見て、やはり元・重犯罪課の刑事なのだなとナタリーは思った。
ブルーは、ベンソン通りを東に向かう。視線の先には移動する人影がひとつ。ブルーは魔法で物音を消しており、物陰に隠れながら確実にその人影を見失わないように追跡を続けた。それでも夜中に人間を追跡するのは、容易なことではなかった。といって消音魔法と同時に追跡魔法を使うのは、体力的にきつい。まして今日は定時を過ぎて数時間経っているので、13歳の少年にはハードだった。
人影はどこに向かっているのか、突然右の横道に入って行った。まずい、追跡がバレたのだろうか。
そうしていると、ナタリーが横から現れて合流した。こちらも魔法で物音を消しており、会話ができない。そのため、目線とジェスチャーで会話するしかなかった。
ブルーが前を指差すと、人影が見えた。暗くてよく見えないが、首をしきりに押さえている。
ひとり先行するアーネットは、夜の闇に覆われた裏路地を急いでいた。リンドン市内はアーネットの庭である。この状況で、目標の人間はどこを目指すか。アーネットは、おそらくあの辺りだろう、と多少強引に見当をつけて、先回りするためさらに脚を速めた。
ナタリーは、ブルーの体力の消耗が厳しそうな事に気付き始めた。「大丈夫?」と、消音が効いている中で口を動かす。どうにか通じたようで、ブルーはうなずいて見せたが、無理をしているのは傍目にもわかった。もうすでにブルーは十分役目を果たしただろう、と思ったナタリーは、「あとは私たちに任せて」とブルーを歩かせ、杖を構えて標的を追跡した。
夜のリンドン市内で、標的の追跡が続く。標的は意外に足が速く、身長からくる歩幅の差もあるうえ、こちらの存在を悟られないよう身を隠す必要もあったので、ナタリーはついて行くのに苦労した。
一方アーネットは標的を先回りするために、知っている路地をひたすら走る。しかし、日中と違い暗闇が邪魔をして、思うようなスピードで移動できなかった。時折出くわす生気のない酔っ払いが、ゾンビのようで心臓に悪い。
ナタリーがブルーと別れてから5分くらい走っただろうか。人影は、高台に向かって伸びる長い階段に差し掛かった。アーネットはすでに階段上の歩道の左手方向に陣取っている。柱の陰に隠れて、標的からは見えていないようだった。息は多少切らしているようだが、姿勢は全く崩れていない。この辺はさすが、刑事10年だなとナタリーは感心する。
標的は階段を登って行った。ナタリーもアーネットに倣って、柱や壁などに隠れながら追跡する。階段を登った上には小さなホテルがあり、標的はそこを目指しているようだった。
何やら首をしきりに気にしつつ、標的は鞄を手に、足早に階段を登ってゆく。一段、また一段。階段の高さは8mくらいあり、角度もそこそこ急で、石段は古いせいか、ごくわずかに手前に向かって傾いでいた。アーネットは、その様子を物陰からじっと偵察していた。ナタリーもまた、階段の下からじわじわと迫る。
標的は、最後の段に右足をかける。左足をかければ、階段を登頂する。そのタイミングだった。
「あっ!」
標的の声が、階段や路地の石畳に反響する。左足が、階段の最上段に溜まっていた雨を含んだ落ち葉で滑ったのだ。左足は宙に跳ね上がり、バランスを崩した標的の体が見事に後ろ向きに回転した。
このまま落下すれば脊髄を石段に打ちつけて、最下段まで盛大に全身で転げ落ちる事になる。良くて重傷、悪ければ階段を飛び越えて、天国まで登る事になると思われた。
しかしその瞬間。
標的の体は空中で逆さまに静止した。あと2㎝で、石段の角が首にめり込むという所である。
「はれっ!?へええ!?」
標的は―――― パーシー・アダムスは、天地が逆転した視界の中で、何が起きたのかわからず慌てふためいていた。
「やれやれ」
歩道の上で、アーネットが杖を構えて呟いた。
「ナタリー、ナイスアシストだ」
「どういたしまして」
階段の下では、ナタリーも同じように杖を構えている。アダムスの体は、二人の魔法の力によって落下を免れたのだ。ブルーならともかく、どちらか一方だけの魔力では、支え切れるかわからなかった。
背後から、拍手の音が聞こえる。
「お見事。すごいや、二人とも」
それはブルーだった。
「瞬間的に、同じ対象に同時に魔法をかけるなんて、普通はできないよ。よほど互いの波長が合ってなければ不可能だ」
「褒められたと思っていいのかしら」とナタリー。
「もちろん。魔法の先生の僕が言うんだからね」
ナタリーとブルーは、顔を見合わせてニヤリと笑う。
「会話は後でいいから!降ろして!」
逆さまで空中に静止させられているアダムス医師は、情けなくジタバタともがいていた。輝かしい経歴を持つ医師のイメージには程遠い。
「まあそう言いなさんな。このまま尋問させてもらうぜ、アダムスさん」
アーネットの地が出て来たぞ、とブルーは思った。
「どうして病院を抜け出した?まだ入院中のはずだろう」
言いながら、持ち主と一緒に空中で静止している鞄に手をかける。
「あっ!触るな!」
「拾ってやろうって言ってるんじゃないか。このままだと落ちてしまうぞ」
アーネットが手をわざとらしくかけると、留め金が外れて中身が盛大に石段にぶちまけられた。書類や筆記用具などに混じって、小さなケースが落ちる。
「あー、これは失礼。拾おうとしたらつい開いてしまった。いやーこれは偶然だ。不可抗力だ」
ほとんどチンピラの言い分だが、アダムス医師は蒼白になっている。アーネットは、落ちたケースを拾い上げた。
「なんだか小さなケースが出て来たな。おっと、開けるつもりはなかったが開いてしまったぞ」
こういうやり方は許されるのだろうかとブルーは思ったが、アーネットだから仕方ないし、開いてしまったものも仕方ない、と割り切る事にした。そうなったものは仕方がないのだ。
ケースの中に入っていたのは、菱形にカットされた水晶の指輪だった。それはまさに、ワーロック伯爵邸で見せてもらったレプリカと同一のデザインである。
「おっと?これはワーロック伯爵が失くしたという指輪にそっくりだ。これはどうした事でしょうか、アダムス先生」
ようやくパーシー・アダムス氏はゆっくりと降ろされ、階段に座らされた。背後には少年ブルーが魔法の杖を構えて陣取り、前にはアーネットとナタリーが立ちふさがっている。アーネットは、ごく真面目な表情で話しかけた。
「寒空の下で申し訳ありませんがね。このまま、ここで職務質問させていただきます。パーシー・アダムスさん」
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