(5)事件現場
狙撃事件の現場となったローバー邸の門には、警護の制服警官が二人立っていた。
「魔法捜査課のレッドフィールドだ」
「ブルーウィンドだよ」
二人は手帳を示すと、軽く敬礼した。
「はっ、ご苦労様です」
警官も、少年であるブルーに怪訝そうな視線を向けながらも敬礼で返す。二人は簡素な庭を通り抜けて、年月を感じさせる邸宅に入った。この邸宅は殺害されたジミー議員の父親の代から何度か修繕、改築を重ねられてきたものである。
外観も内装もあまり凝った所はなく、庶民派と言われたローバー議員のイメージそのままである。ただ絵画は好きだったのか、壁のそこかしこに品のいい風景画や果物の絵などが飾られていた。
「ごめんください」
刑事が入り浸っているとはいえ、挨拶もなしでは失礼なので、アーネットはひと声かける事にした。ほどなく、メイドが一人奥から現れた。20代前半といったところか、若いが警察への対応で疲れているのが見てとれる。
「はい、警察の方でしょうか」
「部署が違うんですけどね。現場はどちらに?」
「はい、こちらです」
メイドはトントンと階段を上がり、建物の南西にある部屋に二人を案内した。歩きながら、アーネットは邸宅の構造を観察していた。
議員が殺害された部屋は、南窓のため昼近くになると日差しが入って暖かかった。被害者が倒れた姿勢を示すチョークのラインが、何やら前衛芸術めいて見えるのが不気味である。血痕はすでに乾いて黒く変色し始めていた。
部屋は10畳あるかないか、という広さで、北側の壁の西寄りにドアがあった。東西の壁は書架で埋められている。読書家であったのだろう、様々な分野の本が並んでおり、ブルーは目を輝かせた。
南の壁中央に弾丸が貫通した窓があり、その手前にデスクがある。デスクに座ると、北側の壁のちょうど正面、立った目線の高さに撃ち込まれた銃弾の痕があった。銃弾は現在、本庁の鑑識の手元にある。壁の弾痕の下には、架けられていた風景画が弾丸で穴を開けられた姿で置かれていた。
「ふむ」
アーネットは腕組みして思案したのち、窓の弾痕から外を眺めた。
弾丸が開けた穴の先には、ほぼ草原や点在する背の低い茂み、低木しか見えない。ずっと遠くに、農家の廃屋らしい、小屋とも塔ともつかない中途半端な高さの建物があった。いちおう窓はこちらを向いているが、距離は捜査情報どおり700mほどあるようだ。
「仮にライフルで撃ったとしても、ここに届く頃には頭蓋骨をぶち抜くような威力はなくなってるか。デイモン警部の現段階での報告書によれば、あの建物に人が踏み入った様子はないそうだ。足跡も、何もかも見つからなかったらしい」
「その向こうに見える、ちょっと小高い丘は?」
ブルーが指したのは、その建物のさらに向こうの、東西に走る丘である。
「ちょっと、君。あの丘は調べたのかい?」
アーネットは、手近な背の高い捜査員をつかまえて確認した。
「ああ、はい。まあ無駄足だろうと思いましたが、いちおう調べました。しかし、狩猟シーズンでもないですし、あの一帯に人が立ち入った形跡じたいが皆無でしたよ」
捜査員はそう言って立ち去る。
「そりゃそうだろうな。しかしブルー、お前の推測なら、魔法を使えばあの距離からでも拳銃による狙撃は可能なはずだよな」
「でも、人がいた形跡がなかったんでしょ」
つまり犯人は今回の狙撃で、仮に魔法を使ったとしても正面奥の丘は狙撃地点に選ばなかった、ということだ。
「木の上にいたとか」ブルーは適当に言った。
「あり得るが、それだって結局条件は一緒だ。いちばん手前の木だって、見ろ」
アーネットが指さした木々は、700m地点の小屋の手前、数十mという所だった。
「調べるだけ調べてみたら?木は見てないんでしょ、警部は」
ブルーの勧めで、アーネットはその木が生えている所まで歩いてみた。微妙に勾配がついていたようで、辿り着く頃にはけっこうな運動になってしまう。
「ふー」
「歳だねアーネット」
「お前がガキなだけだ」
低次元な言い争いをしながら、二人は一番手前の、ローバー邸が見える木を観察してみた。
「ブルー、登ってみてくれ」
「えー」
「登るんだよ」
ブルーはぶつくさ言いながら、なんとか唯一足場を確保できそうな枝に登ってみた。が、
「こりゃダメだ。こんな足場で望遠鏡と銃を同時になんて使えない、何より葉っぱでローバー邸が見えない」
と、早々に降りてきた。
「魔法を使ったって、標的がいるのを確認できなきゃ撃ちようがないか」
二人は、再びローバー邸に戻って推理し直す事にした。帰りは勾配が逆なので楽なものである。
ローバー邸の事件現場となった部屋に戻り、再びアーネットとブルーは考察を始めた。
「全然違う魔法が使われた可能性もあるかもね。今の所見つかってる例の魔法ペンは、浮遊魔法に着火魔法が二本と、物と物を一時的にくっつける接着魔法だ。他にもあるかも知れない」
ブルーの魔法専門家としての指摘はもっともだった。アーネットは少し考え込んで、
「それもそうだ。だがここにきて改めて思ったが、謎は殺害方法だけではないな」
と呟くように言った。
「どういう事?」
「考えてもみろ。仮に魔法で狙撃できるなら、わざわざこんな捜査が混乱するような、回りくどい方法は必要ない。要するに、殺傷能力を保てる射程内にいる事を確認さえできれば、自宅でなくても市街地でもどこでも狙撃はできたはずだ。違うか?」
「まあ、それはそうだね」
ブルーは頷く。
「つまり犯人には特定の時間、特定の場所でローバー議員を狙撃しなくてはならない動機があった。そう考えるべきだ」
「その動機ってなに?」
「だからそれを調べるんだよ。動機から犯人像が浮かび上がるかも知れんだろう」
言いながら、アーネットは杖を取り出してガラス窓を軽く打った。
「ナタリー、今いいか?」
すると、ガラスが震えて不思議な模様の光が浮かび上がり、ナタリーの声が聞こえてきた。
『何かあった?』
「すまん、さっきの調査は後回しでいい。それより、ローバー議員の死亡推定時刻、朝6時45分頃。この時間が関係してくる、議員に関係がある事件の記録がないか探ってくれ」
『その時間でないとダメなの?』
「でなきゃ、大雑把に『朝』ってことでもいい。事件とか、出来事だ。人が亡くなるだとかのレベルの何かだ」
『ふうん。OK』
ガラスの光が消えると、ナタリーの声は聞こえなくなった。
「そんな事までできるのか」
ドアの方から、しわがれた力強い声が聞こえた。デイモン警部であった。
「相変わらず行動が早いな、レッドフィールド君」
「これは警部。現場でご一緒するのは何年ぶりですかね」
「さあな。ところで、今君が言った件だが、どういう事だ」
警部はアーネットに首を向けて尋ねた。
「なに、大した推測ではありません。ただ、犯人は殺害する時間を選んでいたように思えるのです。暗殺であれば、朝よりも夜の方が向いています。社会に衝撃を与えるのが目的であれば、人が集まっている状況下で殺害するでしょう」
「なるほど」
「人が人を殺害する動機の種類は、そう多くはありません。任務、防衛、嗜虐、利益、あるいは…」
アーネットは、警部に促すように言葉を途切れさせた。
「私怨か」
デイモン警部は顎に指を置いて、自分の知識を総動員した。過去に、何かなかったか。そして、はたと手を打ってアーネットに向き直った。
「レッドフィールド君、さっきの彼女に伝えてくれ。過去3~4年以内に死亡した貴族のリストを洗い出せと」
「貴族?」
「そうだ。その中に特殊な死因、例えば自殺だとかが含まれていないか調べるんだ」
メイズラントヤード庁舎の地下室。ナタリーは、次々と注文をつけてくる相方に悪態をつきながらも膨大な書類と格闘していた。自分のデスクだけでなく共用テーブルの上にも、どこからかき集めて来たのかナタリーにしかわからないバインダー、封筒、雑に紐で束ねられた紙などがうず高く重なっている。
杖を振るい、ナタリーが書類の山に向けて一言「死亡した貴族の死因」と呟くと、紙の一枚一枚、書かれた文字のひとつひとつを虹色の光が走査していった。
やがて、空中に何十行もの名前と死亡年月日、死因が光の文字となって浮かび上がる。これはナタリーの得意とする検索魔法で、あるキーワードやテーマに沿って、書類の中からそれに関する情報だけを瞬時に抜き取れるのである。
「老衰…病死…転倒による頸部強打…パンを詰まらせて窒息…」
死因というのも様々だなと思いながらサーチしていると、ひとつだけ気になるものがあった。
「自殺」
これだ、とナタリーは直感的に思った。空中に浮かんでいる文字に指をあてると、紙束の中から一枚が飛び出してナタリーの手元に飛んで来た。3年前の捜査報告書だ。その中の一行に
【マールベル子爵夫人モニカ 聖歴1875年3月16日早朝 自宅にて拳銃自殺】
とあった。
「マールベル子爵夫人?」
アーネットは再び、ガラスを通じてナタリーと会話していた。
『ええ。3年前の3月16日朝、側頭を拳銃で撃って自殺しているわ』
「3月16日の朝だって!?」
それは、まさにジミー・ローバー氏が殺害された日時と一致した。
「なるほど…おそらく間違いないな。今回の犯行は、その子爵夫人が自殺した事と関係があるんだ」
『その当時の事件に関して、調べればいい?』
「頼む」
ナタリーは何も言わず通信を切った。
「という事らしいです、警部の読みが当たりました」
「うむ…3~4年前、何があったか知っているかね」
「3~4年前…貴族に関する何か、ですか?」
話を振られてもアーネットには、即座に思い当たるものがなかったが、どうにか思い起こせるものを総動員してみる。
「貴族…あっ、そういえばその頃、称号を剥奪された貴族がいませんでしたか。名前は思い出せませんが」
大雑把な記憶であったが、正解だったらしい。デイモン警部は小さく頷いた。
「そのとおりだ」
デイモン警部は目を細めて、遠くを見るようにして語り出した。
「産業革命が進むにつれて、かつての貴族たちの権威は段々と資産家や民主主義という時代の変化に押し流されるように弱まっていった。貴族の領地が資本家によって買い取られる事も当たり前になった。そして、やがて小さな貴族たち、あるいは問題ありとされた貴族はその称号を剥奪された」
デイモン警部の脳裏には、まだ若かりし頃の激動する時代が思い起こされていた。
「それは昔の話ではなく、今も続いているのだ。貴族がいなくなる事はないだろうが、貴族の権威はすでに形骸化の道を辿っている。3年ほど前にも、歴史ある貴族のひとつが子爵号を剥奪された」
「さきほどの、マールベル子爵ですか」
「そうだ。マールベル子爵は問題を抱えていてな。勝手な税制を作って住民からの評判は悪く、家族や家臣には暴行をはたらいていたそうだ。その後、国の制度が変わり、マールベル子爵の爵位を剥奪する事に多くの人が賛同した。爵位はなくなり、土地も取り上げられ、一家は遠くの土地へ流されたのだ」
聞けば悲惨な話だが、当主の自業自得という側面も否めない、とデイモンは言った。
「ひょっとして、その称号剥奪に関わったのが…」とアーネット。
「断定はできん。が、今回殺されたローバー議員は以前から貴族制度の廃止論者だ」
アーネットとブルーは顔を見合わせた。
「まだ裏が取れたわけではないので、君の相方の調査を待つ必要はあるが…マールベル子爵はその後、精神に異常をきたして施設に入れられ、そこで死亡。子爵夫人も神経症を患ったすえ、自殺した。当時16歳の息子を遺してな」
「その息子は?」
「わしの管轄外なので詳しくは知らんが、確か国の命令で後見人がついて、その後の生活は保証されていたはずだ」
「では、今回の事件はその息子による復讐?」
「現時点でそこまでは断定できん。が、可能性としてはあるだろう。わしも、夫人が自殺した時刻までは把握していなかった」
次から次へと要素が増えて、アーネットはどう情報を取りまとめるべきか悩んでいた。
「警部、お願いできますか。その、マールベル子爵夫人の息子が現在、どこにいるのか」
「すぐに調べさせよう。君たちは?」
「ひとまず、今回使われた魔法の線の捜査を継続します。ただ、そちらの捜査の進展しだいで、人物関係の捜査にも当たります。例の魔法ペン、あれに関しての聞き込みもあるので動くのは我々の方がいいでしょう」
デイモン警部は頷くと、ドアを出て手近な部下に指示を飛ばしていた。
「さて、今のところあっちは任せるとしてだ」
こちらは、狙撃のミステリーを解かなくてはならない。アーネットは改めて、窓の外を見た。
「仮に、子爵夫人の息子が犯人だったとしてもだ。動機の線だけで人を逮捕できるわけもない」
「そりゃそうだ」とブルー。
「だが、さっきまでの調査のとおり、今回の狙撃は発射地点がわからない。弾丸が拳銃のものである以上、使った本人が魔法なんか知らないと言えば、証拠不十分で終わりだ。警部が言ったとおり、証拠が残らないのが魔法犯罪の問題点だからな」
「でもさ、考えてみてよ。発射地点なんてどこでも良かったんじゃないの?極端な話、ぜんぜんこの部屋が見えない所から撃ったって、あの魔法が効いている限り、自動的に弾丸は標的に向かうんだよ」
「なに?」
アーネットはブルーをまじまじと見た。
「あの魔法、一直線に飛ぶんじゃないのか?」
「違うよ。最終的には一直線に飛ぶけど…見てて」
ブルーは手元にあった紙で紙飛行機を作り、左手で飛ばす準備をした。
「あのゴミ箱に入るように魔法をかけるね」
杖を振り、紙飛行機には魔法がかかったが、まだ飛ばない。
「こっちが指示するまで飛ばさないようにする事だってできるんだよ。ほら」
ブルーは、ゴミ箱とは反対方向に紙飛行機を手で飛ばした。すると途中で魔法が効いて、紙飛行機はUターンの軌道を取って飛び、ゴミ箱に収まった。
「ね」
「じゃあ、別にこの窓から直線上に見える場所でなくても、狙撃できるって事か」
「そう言ってるじゃん」
「早く言えよ!」
「知ってると思ってたもん」
「俺たちはお前ほど何もかも知ってるわけじゃないっての」
悪態をつきながらも、アーネットはすぐに気持ちを落ち着けた。ブルーは生い立ちの関係で、そもそも魔法の知識量が違うのだ。
「だが…この部屋に対しては、弾丸は真っ直ぐに入っている。ガラス面に対して直角の軌道だ。そのまま被害者の頭を貫いて、壁にめり込んだ」
「たぶんだけど、今の紙飛行機みたいに、狙撃地点からは全然違う方向に発射されたと思う。それが魔法の力で軌道修正されて、最終的にはガラス面に直角の軌道になったんだよ」
「だが、おそらく殺害状況からして、犯人はローバー議員が窓際にいた事を確認していたはずだ。仮に議員が壁の影に隠れていたなら、さすがに壁を通過すれば弾丸の威力は落ちて、殺害し損ねる可能性はある」
なるほど、とブルーは頷いた。
「しかし、推測の幅は広がった。要するにこの窓の様子を確認できる場所であれば、窓に対して真正面でなくても、どこでも狙撃地点にできるという事だ」
「と言ってもな」
ブルーは、弾丸が通過した窓を開けて周囲をぐるりと見た。左手方向、南東は見晴らしのいい野原と浅い川。右手の南西は、空き地を挟んで民家が何軒かあり、民家の南側はやや低めの木々がごく小さな森を形成していた。
「だだっ広い野原や、民家から拳銃を撃ったら、音でバレるよね」
「うーむ」
つまり、狙撃地点に野原や民家は使えない。他の地点を推測する必要があった。
思案に暮れる二人だが、そこにデイモン警部からの情報がもたらされ、現場の捜査はいったん保留される事になるのだった。
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