クリスマスループは終わらない
雪味
第1話 クリスマスループは終わらない
街の喧騒、忙しなく歩く人々、空高く昇る太陽。
その喧騒は、人々は、空は——今日も等しく廻り続ける。
「さて、今日も今日とてクリスマスの始まりだ」
高い背丈、ボロボロの制服と髪の毛。体中至る所に包帯と絆創膏が貼られ、痛々しい。彼は自宅のベッドの上で目を覚ました。現在は12月25日午前6時。手短に学校の用意を済ませると、すぐに家を出た。授業開始は9時からなので、かなり早い出発だ。そのため、より道をしながら学校へ向かっていた。
飲食店で朝食を済ませ、近くの雑貨屋で文房具を購入し、本屋に立ち寄っては面白そうな漫画を立ち読みしていく。
おもむろにポケットから電話を取り出すと、学校へと連絡を入れた。今日は休むという旨のことだけを伝え、雑に電話を切る。
「さて、今日は何をしようか。もう簡単に思いつくことはやり尽くしたからな」
そう言って、人気のない路地へ向かうとそっと後ろを振り返った。
「ところで、さっきから僕をつけてる君は何? 名乗ってくれないかな」
「……バレてたんだ」
「うん。まぁ、人の視線には敏感だからさ」
その先にいたのは、同い年くらいの少女だった。少年よりも頭一つ分くらい身長は低く、肩下まで伸びる黒髪が特徴的な少女。燃えるような赤い瞳は、揺れるように少年を見つめていた。
「まぁ、いいや。私は
「僕は
「見ればわかるよ」
痛々しい包帯を見つめる。
「で、朝木さん。わざわざこんな人気のない路地までついてきて、なんのよう?」
「話が早くて助かるよ。単刀直入に言うね。夜長くん——あなた、どう言うわけか“この世界をループさせている”でしょう?」
「ご名答。よく僕だってわかったね」
朝木から口をついて出た言葉は、非現実的なものだ。しかし、それを肯定したのが少年夜長。
……この世界は、ループしている。12月25日を延々と繰り返している。それを、なぜか朝木は知っているのだ。
「最初はわからなかったよ。ただ、時間をかけてそれっぽい人を探したらさ、制服に学校指定のバッグを持ってる人が学校に行かずに寄り道ばっかしてる人がいたもんだから。怪しいと思ってずっと調べてみたらビンゴだったってわけ」
「ふぅん、ま、驚きはしないよ。たまにいるんだよね。君みたいに時間遡行に耐性を持った人がさ。流石に僕が引き起こす時間遡行そのものを跳ね除けるみたいな芸当は無理みたいだけど、知覚されるんだ」
いわば、天性の能力のようなものだ。辛いものを食べても平気だとか、痛みに慣れているだとか元々そういう素質があっただけの話。たまたま時間遡行に慣れていると言うだけ。ここがファンタジーの世界ならば、きっとそんなイレギュラーは起こり得ないだろうが、そうもいかない。ここは何もかもがうまくいかない現実世界なのだから。
「それで、本題なんだけど、夜長くん。悪いんだけどこの世界のループを止めてほしいんだ」
「無理だね」
強く否定する。
「悪いけど、僕は明日が嫌いだ。明日は等しくやってくるが、僕にとってそれは苦痛でね。今日という日を繰り返すことに意味がある。みんなが楽しくイベントに興じるクリスマスの今日を延々と続けることにね。明日や未来なんてのはドブにでも捨てておけばいい。僕は“今日”という、くだらない日がずっと続いてほしいんだ」
いじめられっ子のプロ、夜長廻。彼にとって、未来とは絶望そのもの。明日がやってきたとして、それを拒んだとして。その先に待っているのは自己の破滅。昔親を亡くした彼にとって、高校での勉学は将来に関わる。どれだけいじめを受けようが、学校には通わなくてはならない。だからこそ、彼は“明日“が嫌いだった。嫌なことを強制される事項が必ず回ってくると言うのが、苦痛でならなかった。
「気持ちはわかるけど、それは困るんだよ」
「どうしてさ」
「私、死にたいんだ」
「………………はぁ」
突然の告白に、夜長は硬直する。
「いや、ごめん。誤解を与えないようにいうと、別に私はいじめられてるわけじゃない。むしろ環境に恵まれてると思う。友達もわりといるし、親も私に愛情を注いでくれる」
無自覚だろうが、その言葉はわずかに夜長を逆撫でした。
「じゃあ、なんで死のうなんて思うのさ」
「さぁね、私にもわからない」
「は?」
「だって、しょうがないじゃん。みんなは当たり前のように『生きていたい』て思うんだろうけど、私は当たり前のように“死にたい”って思うんだ。物心ついた時からそれはあって、正直今更どうこうできるようなものじゃないもの」
「よくわからない」
夜長からしてみれば、そのささやかな幸福は手に入れようと思っても絶対にできないものだった。わずかに苛立ったような表情になっている。気付いたのか、すぐに朝木が訂正した。
「ごめんなさい。別に、あなたへの当てつけじゃないの。これは本心、本当にごめん。配慮が足りなかった」
「いや、別に……」
「お詫びと言ってはなんだけど、何か奢るよ。表道にある喫茶店とかどう? 私おすすめのスイーツがあるんだけど」
「……じゃあ、少しだけ」
はっきり言って、この世界で金というものはほとんど意味をなさない。いくら使っても、またループすれば元に戻る。だから、夜長とて奢られても大したメリットがあるわけではない。それでも、彼は顔に微笑を浮かべて彼女の後をついていった。
表道に出ると、すぐに喫茶店についた。真新しい看板と外装が目に飛び込んでくる。時間が時間だからか、客もまだ少ない。すぐに二人は相席についた。
「ほら、これ、美味しそうでしょ?」
「そうだね。じゃあそれをお願い」
朝木が店員にスイーツを二つ頼むと、あらためて夜長に向き合った。
「それで、やっぱり世界のループを終わらせることは難しいのかな」
「そっちが目的か。お詫びって言ったくせに」
「まぁまぁ、半分くらいはお詫びも兼ねてるよ」
「半分だけなのか……」
お冷やが先に運ばれてくる。会話続きで乾いた喉にちょうどいい。
「……そもそも気になってたんだけど、君はどうやってこの世界をループさせてるの?」
「うん? 僕のこと調べた割に、それは知らないの?」
「あいにくね。色々嗅ぎ回って、ようやく元凶が君だって確信できただけ。判断材料は……まぁ、色々ありすぎるから言わなくていいか」
「ふぅん、まぁ、ループの原理くらいなら教えるよ」
そう言って、夜長はバッグに手を突っ込んで、迷うこともなく“それ”を取り出し机の上に置いた。
「……何この、“砂時計“」
「これは“時戻りの砂時計”……って僕は呼んでる。これを逆さまにすると、ちょうど一日分——というより、その日の時間を0時まで巻き戻せる」
彼が取り出したのは、砂時計だった。
質素な装飾が施された、砂時計。一見するとどこにでも売っているような砂時計だ——ただし“砂が常に上にある”という点を除けば。
彼が出した時戻りの砂時計は、空の容器を下にしているのにもかかわらず、砂が落ちていなかった。まるで重力を嫌っているように、その砂は落ちてこない。
「この砂時計が原因なんだ」
「おっと、壊そうとか奪おうとかは考えない方がいいよ」
「どうして?」
「これは絶対に壊せないんだ。僕も何度か試したけど、走行中の電車に投げ込んでもなお無事だった」
「じゃあ壊せないとして、奪ったらどうなるの?」
「僕が殺す」
「……………………」
目が本気だった。
「……え、と……さっき、自分で壊そうとしたって言ってたけど、なんで? だってそれ、明日を嫌う君からしたらとっても大事なものでしょう?」
「それは……明日がやってこないという確証が欲しかったから」
「え?」
「だってさ、もしかしたらいずれ壊れてしまうかもしれないってものを持って、ビクビクしながら生きていくのってすごい嫌じゃない? だから、僕は確証が欲しかった。何が起こっても、絶対に明日はやってこない。今日という日が永遠に続くんだっていう確証が欲しかった。だから壊そうとした。壊れなければそれが僕の“確証”になるから」
「……なんというか、君ってすごいへんな人だね」
「君には言われたくないかな」
そんなこんな言っているうちに、店員がパフェを二つ持って席へやってきた。胸から目線の高さまであるパフェが机に置かれ、思わず目を見開く。二人ともまじまじと見つめ、スプーンを取り出して食べ始める。
「……あ、そうだ。名案を思いついたんだけど、私が今日死ぬから、君は明日からまたループを始めるっていうのはどう?」
「嫌だよ。僕は今日、クリスマスをループしたいんだ」
「どうして?」
「美味しい物がいっぱいあるし、何より街全体がお祭り気分でいてくれると少しは僕の気もまぎれる」
「困るなぁ。私もクリスマスに死にたいのに」
お互い、子供の駄々のように言い合い続ける。
ついに決着がつかなくなり、スイーツも食べ終えた二人は支払いを済ませて店を後にした。
「朝木さん」
「何?」
「聞きたかったんだけど、どうして君は今日死のうと思ったの? 物心ついた時からって言ってたよね。だったら、なんで今年のクリスマスなのさ」
「単純な話だよ」
最寄駅の方に向かいながら、二人は横並びで話していた。お互いに、視線は交わさない。
「ずっとずっと想い続けてきた。まるでラブストーリーのヒロインのようにね。そのせいで、今年になってその気持ちが抑えられなくなったってだけ。たまたま気持ちが器から溢れ出たのが今年のクリスマスだったってだけだよ」
「偶然とは思えないね」
「うーん……まぁ、強いていうのなら花の女子高生なのにクリスマスまでに彼氏ができなくてカップルが妬ましいからかな」
「めちゃくちゃ俗っぽいじゃん」
なんにせよ、夜長にとって運の悪い話だった。
彼が時戻りの砂時計を手に入れたのはクリスマスの朝のこと。まるでサンタが彼にプレゼントを渡したかのような巡り合わせだった。本当にたまたま、拾ったのだ。学校へ行く途中に。気分転換も兼ねて、たまには別の通学路を通ってみようと思った矢先にその砂時計を拾うことになった。
その日中にはその効果を確認し、砂時計は時戻りをしても夜長の手元から消失しないことを確認すると、すぐさま世界のループを決行した。
タイミングが悪すぎたのだ。
せめて去年だったのなら、こんな朝木というイレギュラーに出会うこともなかっただろう。
「夜長くん」
「何?」
「オススメの遊び場とかないの? この世界を何度もループしてるんだし、そのくらいは知ってるでしょ」
「……死にたいんじゃないの?」
「どうせ、説得しても聞いてくれないんでしょ。せっかくだし遊ぼうよ」
「僕ら、そんなに仲良くなったっけ」
「女子にパフェ奢らせておいて、その言い方はないんじゃない?」
「……なんかごめん」
自分からお詫びも兼ねてと言った割には図太い人だ。強かとも言えようか。
「僕、遊び場そんなに知らないけど」
「………………」
「そんな目でみないでよ。僕、友達いないからさ」
「じゃあ、とりあえずカラオケでも行こうよ。ちょっとスカッとしたい気分」
朝木がそういうので、夜長は大人しく彼女に従った。駅に着いて、二駅も隣に行けばかなりの都会に出る。そこならカラオケはもちろん大きなショッピングモールやその他の娯楽施設だって有り余るほどにある。
駅に着くや否や、朝木は夜長の手を掴んで飛び出した。
「ちょっと……そんなに慌てなくても」
「人ごみそんなに好きじゃないから」
駅を出て5分ほど歩くとすぐ、カラオケが見えてきた。慣れた手際で店員と朝木が話すと、これまた慣れた様子で指定された部屋に向かって入った。
「よし、これで人に聞かれづらい話もできるね」
「それが目的か。スカッとしたいとか言ってたくせに」
「半分だけね」
これまた慣れた手際で選曲を始める朝木。夜長はジュースを頼んでいた。
「……僕からも聞きたいことがあるんだけどさ」
「何?」
「なんで君、僕なんかと遊んでくれるんだ。ほら、僕ってどう見てもやばいやつじゃないか。包帯でぐるぐる巻き出し、体中傷だらけだし」
純粋な疑問だった。確かに、朝木には夜長による世界のループを止めてもらうという目的があるが、それでも不自然ではあった。夜長とこうして娯楽に興じる理由や義理などないのだ。本人は説得が難しそうだからと言っていたが、それでもおかしな話だ。夜長のような見た目の人物と行動を共にするというのは、ある程度のリスクもつきまとうことになる。単純に、デメリットの方が大きすぎるのだ。
「いや……別にいいじゃん。確かに最初はやばいやつかもって思ったけどさ、話してみたら案外普通だし。もっと内気な感じなのかと思ってた」
「それにしたって……あと、ループを止めたくはないの?」
「そりゃあ止めたいけどさ、せっかくだし死ぬ前に目一杯遊ぼっかなって。時間は君がいくらでも作ってくれるし」
すると、視線をディスプレイの方に移して歌い始めた。流行りの歌で、夜長にも聞き馴染みのある歌。何より、彼女は歌がうまい。歌い始めから引き込まれるような歌い方、歌声。透明感のある声と力強さ。夜長も聞き惚れていた。
間奏に入ると、再び朝木は夜長の方へ視線を戻した。
「まぁ、確かに色々言いたいこととかあるのかもなんだろうけどさ。——せっかくだし楽しもうよ、“今日”を。それが君の願いなんでしょ? 君が楽しまなくてどうするの?」
「……僕は、ただ明日が来ないで欲しいだけなんだけど」
「あら、そうだっけ。まぁ、そんなに変わらないでしょ」
「それもそうだね」
夜長も、タッチパネルをつつく。おぼつかない手つきで、探り探りに曲を探しながら、お目当ての一曲を選ぶ。
「お、何を選んだの?」
「聞けばわかるよ」
そう言って彼が歌った歌は、朝木の知らない歌だった。だからと言ってつまらなそうな顔はしていないが、どこかおかしそうに笑っていた。後から聞くとどうやら一昔前に流行った曲らしく、朝木があまり音楽に興味のない時に生まれたものらしい。悔しそうな顔をしている夜長が少し面白かったと話す朝木。
彼もまた、居心地の良さそうな顔をしていた。
しばらく歌い尽くして、二人はカラオケを後にした。時間はすでに夜8時を回っている。近くのファストフードに入って、二人で談笑しながら食事を済ませた。
「それじゃあ、また明日」
そう朝木が言ったものだから、夜長が苦笑した。
「また明日って……どうせ“今日”なのに」
「あ、確かに」
「と言うより、また明日も会うつもりなの?」
「パフェ奢った分の元を取らないと」
「どうせ今日巻き戻るけど」
「気のもちようだから」
それだけいって、二人は駅で別れた。朝木と夜長は反対方向に歩き始める。街頭をくぐり抜け、暗がりが多くなり、人の気配が少なくなっていき——
「人につけられるのは、今日でもう二度目だよ」
夜長は、そこで振り返った。
「……ちっ、バレてたか」
「あぁ、あなた、一条さんですか、どうも」
「どうもじゃねぇよ、クソガキ」
その暗闇の中にいたのは、成人男性だった。タバコを咥え、鋭い目つきをした中肉中背の男性。彼は、いわゆる時間遡行に耐性のある人のうちの一人だ。朝木と同じように夜長の時間遡行を知覚できる人の一人で、彼に時間遡行を止めさせようとした一人。
「懲りないですね。今回で四回目になりますけど、心の整理はつきました?」
「前みたいにはいかねぇからな」
「それ、三回目の時も聞きましたよ」
冷徹に、冷酷に、無表情に、無感情に、夜長は目の前の成人男性を見つめる。人ならざるものを見るような目で。まるで、人をモノか何かだと見るかのような目で。
その雰囲気はそう、まるで——
「——“後何回殺せば、あなたは僕を諦めてくれますか”」
——まるで、殺人鬼のようだった。
「一回目は大通り、二回目は交差点、三回目は喫茶店。そして今度は人気のない夜道ですか」
「はっ、律儀に数えてるんだな」
「そりゃあそうでしょう」
こともなげに、言い放つ。
「だって、それを忘れてたらまるで僕が
「十分イカれてるだろ。いくら時間を巻き戻せるとはいえ、人を殺せるやつを
夜長廻は、人を殺す。
そして特に、今回現れた一条という男——夜長の時間遡行を邪魔しようとするものは必ず殺す。ただ、その理由は彼が苛立っているから、と言う訳ではない。
“これが最善の方法だから”
自分の邪魔をしようとする者には、恐怖を植え付けて関わろうとさせなければいい。どうせ時間はいくらでも巻き戻せるのだから、心が折れるまで殺して、二度と顔を見せたくなくなるようにすればいい。
それが、夜長廻という少年の出した結論だった。
その思考に至ったのは、天性ゆえか、はたまた歪んだ生活を送っていたからかは、定かでないが。
「三回も耐えた人はあなたが初めてですよ。褒めてあげます。だから死んでください」
「そううまく行く訳ねぇだろ」
そう言って、一条という男は拳銃を取り出し構えた。
「ん……日本で拳銃を所持しているなんて……正直驚きです。ループ前から持っていたんですか? 今日中に仕入れるには少し無理があるでしょう」
「あぁ、まぁ、少しツテがあってなぁ……今まではサツを呼ばれるのが面倒だったから使わなかったが、どのみちループするんだ。それに、人気もないここなら存分にぶっ放せる」
一条は引き金に指をかけた。
「……ふむ」
「余裕ぶっても無駄だ。どう足掻いても、お前は——」
「撃ってみてくださいよ」
「は……?」
夜長は、手を上げたまま近づいた。まるで、抵抗する意思がないと言わんばかりに。走りもせず、ゆったりと歩いて近づいてくる。
「別に、撃ってもいいですよ」
「なに、言ってんだ」
「だから、撃ってみてくださいって。その度胸があるのなら」
段々と、彼は一条に近づいていく。やがて、ゼロ距離まで近づいた。眉間を一条の銃口に押し当て、わざわざ避けられないようにしている。
「何してんだ……!? う、撃つぞ……」
「いいですよ〜。ただし」
彼は、これまた無表情に。
「その引き金を引いた瞬間、あなたは“正真正銘の人殺しです”」
「は……?」
「だって、そうでしょう? 眉間に銃弾を撃たれたら、僕とて時間を巻き戻す前に絶命します。そこで世界のループは終わり。目の前に残るのは僕の死体と自ら人の命を奪ったという事実だけ」
「ぁ……」
一条から、微かに声が漏れる。
「全く、こんな簡単なことにも気づけないなんて。情けなくないんですか、殺したいほど憎い相手自身を人質にされて殺せないなんて」
「お、お前……」
「ちょっと貸してください」
そう言って夜長は一条から銃を奪い上げた。一条は込める力もなかったのか、簡単にすっぽ抜ける。そして、彼は迷いもなく彼の足に発砲した。流れるような動きで、まるで、それが日常の一部みたいに滑らかだった。朝コップに水を注ぐみたいに、玄関を開けるときにノブを回すみたいに。彼はいともたやすく引き金を引けるのだ。
「あぁぁぁぁっ……!!!」
「四回目ともなると慣れてきましたか。じゃあ、拳銃はやめていつものナイフにしましょう」
「や、やめ……」
「被害者ヅラしないでくださいよ。襲ってきたのはそっちなんだから」
——きっと彼は、何も感情を抱いていない。
ずっと表情が変わらないのも、抑揚がないのも。全部全部、人の命を奪うことに何も感じていないからだ。その夜よりも深く暗い瞳には、何も写っていない。目の前の、瀕死の人間さえ。人の命を奪うという行為さえ。奪っているのが自分自身だということさえ、見えていない。
□□□
朝木巡は、その現場を見た。
「ん、あぁ、朝木さん。戻ってきたの」
血に塗れた少年は、真っ黒な瞳を彼女に向ける。
「夜長くん、この人は誰?」
「一条さんって人。僕のループを止めようとして、何度も何度もつっかかってくるんだ。だから殺して僕のとこに来ないようにしてるの」
「死んでるみたいだけど」
「殺したからね」
意外にも、朝木は冷静だった。
惨殺現場を見ても取り乱すことはなく、むしろひどく冷静に目の前の殺人鬼と話している。
「もしかして、私も殺される?」
「いいや、朝木さんは悪い人じゃないってわかったから。あくまで一条さんみたいな力づくで僕をどうこうしようって人を殺してるだけ」
「そっか」
返す言葉もない、という様子だった。
「ところで朝木さん、どうしてこっちにきたの?」
「銃声みたいなのが聞こえてきたから、ちょっと気になって」
「聞こえてたんだ」
血まみれの少年は、頬についた血を拭って立ち上がった。
「夜長くん、人を殺すのは怖くないの?」
「どうして?」
「……私は怖いから。いくらループができると言っても、やっぱり人の命を奪う行為っていうのは怖い。殺す殺すと口では言えても、やっぱり実行しようとしたらすくんじゃいそうで」
「……………………」
しばらく、夜長は黙り込んだ。癇に障ったのか、はたまた別の理由なのか。やがて彼は口を開いた。
「僕、ループできるようになってから初めに三人殺したんだ」
「誰を?」
「僕をいじめてた三人組。もちろん、最初は怖かった……というより、そんな度胸は僕にないと思ってた」
淡々と、彼は独白を始める。星空のもとで、月明かりに包まれながら。
「僕も、まぁ、躊躇うと思ったんだ。人を殺せる度胸なんてないって。それにさ、返り討ちに合うと思ったから、やられたらすぐに砂時計を使ってやろうと思ったんだ。でも、あいつら一人後ろから刺されたらさ、すぐに動けなくなっちゃった。誰でも死ぬのは怖いんだなって思ったよ。で、もう後にも引けないからさ。全員殺した」
日記に書いたことを読み上げるみたいに、彼の調子は平坦だった。恐ろしいほどに、何も感じられなかった。
「僕が思ってたより、度胸なんて要らなかった。ていうか、夢の中みたいだった。非現実的すぎて、なんとなく夢見心地の気分だったよ。だから、あんまり怖いとかはなかったかも」
「じゃあ、他の人は? 一条さんみたいな、夜長くんを止めようとした人」
「変わんないよ。人間死んだらみんな同じだから」
それだけ聞けて、満足したのか、朝木は小さく笑った。
「そっか。じゃあ、夜長くん、明日何しよっか」
「急に話が変わるね」
「聞きたいことは聞けたから。それで、明日はどうする?」
「うーん……ボウリングでも行きたいかな」
「わかった、じゃあ、おやすみ」
「うん」
そうして別れの言葉を告げ、朝木が見えなくなったことを確認してから夜長はバッグから砂時計を取り出した。時戻りの砂時計。それを血まみれの手でひっくり返す。それと同時、砂が上向きに落下し始める。重力を無視した運動。それが時戻りの合図だった。段々と夜長の意識が遠のき、闇に消える。
次に意識を取り戻した時には、12月25日の0時だった。
時戻り成功の証。夜長は日付が変わってから眠るので、時間遡行直後でも起きている。これから彼は寝床に着くのだ。夜中の1時キッチリに眠りにつき、6時に目を覚ます。それを毎日繰り返している。ループ直後の一時間は自由で、夜長はゆったりと過ごす。
朝木の方はというと、すでにこの時間には眠っているため、ループ直後は連絡すら不可能になる。大人しく起きるのを待つしかない。
そして、“今日”は繰り返される。
12月25日、朝6時に夜長は目覚め、軽く朝食を済ませ、制服のまま寄り道を繰り返し学校へ休みの連絡を入れる。その後路地へ入れば……
「おはよう、夜長くん」
「やぁ、おはよう、朝木さん」
打ち合わせでもしていたかのように、二人は再開した。同じ路地、同じ時間、同じ状況で。今日も“今日”は繰り返される。
「じゃあ、ボウリング行こっか。あそこ……隣駅のとこの。確かあそこならゲームセンターも入ってるから、一日中でも遊べるよ」
「流石に朝から晩までは辛いかも」
そうは言いつつも、二人は駅へ向かう。隣駅まで着くと、そこから歩きでボウリング場へ行く。受付を済ませ、待ち時間を適当にゲームセンターで潰し、呼ばれるとレーンまで案内された。
「朝木さん、聞けなかったんだけどさ」
「どうしたの? クレーンゲームのコツ?」
「それは聞いても実践出来る気がしなかったからいいや」
朝木が一投目を投げた。長い黒髪をなびかせながら腕を振る。ガーターだった。
「……ボウリングのコツを教えようか」
「いや、まだ調子でてないだけだから。それで、聞きたいことって?」
「あぁ、それなんだけど」
今度は、夜長がボールを持ち、レーン前に立つ。
「ほら、僕、昨日一条さんを殺したじゃない。こんなのと一緒で怖くないのかなって」
おおきく振りかぶって、ボールを投げた。スリットを抜け、ピンのど真ん中へ向かったボールはピンを薙ぎ倒す。綺麗なストライクだった。
「…………」
「な、何?」
「別に」
朝木は分かりやすく唇を尖らせた。
「まぁ、怖い怖くないで言えば、怖いかもね。人殺しってことだし。でも、私を殺す気はないんでしょ?」
「うん。こうして遊ぶのも楽しいしね」
「じゃあ別に関係ないかな。私、事故のニュースとか衝撃映像みたいなの見てもどうにも感情移入できないからさ。あぁ言うのを見ても、なんとも思えなくて」
「同感」
ある種、この二人は似たもの同士なのだろう。
潜在的にあった、天性の人殺しの才能が開花した夜長廻。希死観念を抱き続け、誰よりも“人としての死”を乞いし恋し続けた朝木巡。違いはあれど、どちらも人の死に密接に関わる思想を抱いている。
だから、希死観念を受けても夜長は否定しない。
だから、人殺しの現場を見ても朝木は拒絶しない。
人の死を誰よりも身近に感じることができる二人だからこそ、通じ合うことができる。
「ふんっ」
「あ、一ピン」
「スペアとってあげるよ。私にまっかせなさい」
ガーターだった。
「………………」
「え? 僕見ないでよ」
「なんで夜長くんはストライクとかとれるの」
「そんなこと言われても……こう、ほら、ピンじゃなくてそこのスリット——三角のやつを狙うんだよ。朝木さん左利きだから、左から三番目くらいのやつを狙うといいかも」
「お手本見せて」
夜長はおもむろに立ち上がり、ボールを持ってレーン前に立つ。後ろに大きく腕を振り、二、三歩足を動かし、そっと置くようにボールを投げる。
「八ピンか」
「ふっ」
「ストライク取らないと笑われるの? 僕」
「まだまだだね」
「一ピンの人に言われたくないよ……」
その後も投げるが、惜しくもボールはピンに当たることはなかった。
「ガーターだね」
「あれガーターって呼ぶ人初めて見た」
笑いながら、夜長はレーン後方の席に戻る。彼がふと隣に視線を送ると、朝木が不思議そうな目を送っているのとかち合った。
「な、何?」
「……いや、夜長くんみたいな仏頂面でも笑うことってあるんだ、と」
「そう? 元々僕はよく笑う方——」
そこで、少しだけ彼の顔に曇りが見える。
「……中学までは、か」
「高校からは……って聞くまでもないか」
包帯まみれの腕を見つめた。
「まぁね。けど朝木さんのおかげで、結構楽しいよ」
「私と遊んでおいて“結構”とはいいご身分で」
「……最高だよ」
夜長廻が高校で手に入れることができなかった、“ささやかな幸せ“。
友人とボウリングやカラオケに行って、くだらないことで話したりする。それだけのことだが、それほどのことなのだ。不幸と辛酸を舐め続けてきた彼にとって、このループし続けるクリスマスと朝木は“飴”そのものだった。
甘いひととき。
そう称するのが、最も適当だろう。
「あれ、もうこんな時間か」
そう夜長が口にした時には、すでに夕方ごろになっていた。日も傾いて、すでに時間も多く残されていないということで、帰りにゲームセンターにまた寄ってから食事をして解散することになった。
家に帰ったら、夜長はまた砂時計をひっくり返す。
空へと砂が落ちるその不思議な砂時計の力で、また時間は逆戻りする。それを繰り返すことで、夜長と朝木はクリスマスをループする。何度も何度も何度も何度も——打ち合わせをしたように、同じ路地でであい、遊んで帰って砂時計をひっくり返す。
カラオケに行った。ボウリングに行った。ゲームセンターに行った。海へ行った。テーマパークへ行った。夜景の綺麗なレストランでリッチな気分を味わった。バンジージャンプへ行った。映画館へ行った。ショッピングを目一杯した。ヒッチハイクをしてみた。キャンプをした。富士山を登った。美味しい食事がしたくて遠くの県まで行った。クリスマスイベントに参加し尽くした。ホールケーキをお互い一人一つで食べてみた。
あえて何もしない日もあった。雑談だけする日。朝木の家でゲームだけする日。本を読む日。一日中寝る日。
そして今日——夜長と朝木は夜の街を歩いていた。
朝木から提案したことで、せっかくだからと深夜0時——ループ直後に起こしてくれと言ったのだ。
連絡先はあらかじめ夜長が聞いていた。
「それで、なんで急に夜の街を歩こうって?」
「んー別に。だってなんかワクワクするじゃん」
「それはわかるけど……ふぁ……」
「眠そうだね」
「そりゃあね」
「ふぁ……」
「……朝木さんもね」
ループするクリスマスの中で、深夜に出歩くのも少なくはなかった。しかし、あらためて夜を歩くことを目的をしてみるとまた違う心持ちがした。
「ねぇ夜長くん」
「何?」
「今日は寒いね」
満面の笑みで、朝木は振り返った。
「空気も冷たいし、星も綺麗だよ」
「いい夜だよね。僕が好きな夜だ」
そう語る夜長は、複雑な表情をしていた。その表情の奥には、無数の思考が見える。何か、複雑に絡み合った思考回路を処理しているような——
(——僕は、ループを終えるべきだろうか)
それは、このループするクリスマスを過ごす中で、夜長の最大の問題だった。
このループの原因は時戻りの砂時計——もとい、夜長廻だ。彼がこの繰り返されるクリスマスを作り上げた。だが、そんな彼にも心変わりはあった。
朝木との出会いで、彼の錆び付いていた心は絆された。気の置けない仲と言ったら良いだろう。夜長と朝木はそういう関係だった。
だからこそ、夜長は悩んでいた。朝木の願いは“クリスマスに死ぬこと”だ。だから、夜長がループさせている以上彼女の願いは叶うことはない。
——それが、夜長にとって大きな罪悪感を作ることになった。
少なからず、夜長はこの延々と続く中で朝木に惹かれていた。それが親愛なのか、それとも恋愛によるものなのか。今の夜長には区別をつけられない——いや、つけようとしていなかった。しかし、どちらにせよ、夜長は朝木のことを非常に好意的にみているのには変わりない。
(だから困る。僕としては、朝木さんの望みを叶えたい。けど、それ以上に……)
“クリスマスだけじゃなくて、いろんな日を一緒に過ごしたい”
……その言葉を胸に吐くのすら抑え、夜長は頭を振った。
「どうしたの、夜長くん」
「いや……少し、考え事を」
「いいね。夜の散歩に考え事、イカしてるよ」
「こっちは真剣なんだけど」
そこで、ふと思い出したように夜長は口を開いた。
「朝木さん」
「どうしたの?」
「朝木さんって、どうして死にたいの」
「それ、前にも話した気がするよ」
「覚えてるよ。“みんなが当たり前に生きたいと思うように、私は当たり前に死にたい”でしょ。でもそれだけじゃないと思うんだ」
夜長は、その“核心”を狙った。
「生きるのにも多少は理由がある。例えば家族や友人のため、僕だったら生きているうちにとびきり美味しい海鮮を食べたいから。だったら、逆も然りだと思うんだ。死ぬのにもあるはずなんだよ。“ほんのちょっぴり、ささやかな理由”がね」
「…………なぁるほどねぇ」
人は、生きるという行為に対して疑問を抱かない。まして、強烈な違和感を覚えることもない。だからと言って、何も考えずに生きているわけじゃない。何か、生きることに対する意義のようなものがあるはずなのだ。いずれやってくる死を恐れる命になんの意義もなければ、人は狂ってしまうのだから。
だから、死ぬことにも意義があるのだ。
死ぬことが当たり前の人生だというのなら、生きている時間は死ぬよりも辛い苦痛に他ならない。気が狂う、なんてものじゃない。死へと至るプロセスである生を、その苦痛を肯定するためにはもはや死に意義を見出すしかないのだ。意義ある死を夢想することで、意味なき生を昇華し消化する。
ならばその意義ある死とは何をもって意義あるものとするのか。それを夜長廻は朝木巡に求めていた。
「夜長くんは、不幸は嫌い?」
「そりゃあね。いじめられっ子のベテランからすると、幸福というのは何も変え難いものだと思うよ。綺麗事みたいだけど、これは本心だ」
「そっか」
朝木は、どのクリスマスの時よりも寂しそうな表情を浮かべた。
「私はね、幸福が嫌い。不幸が好き。まるでマゾヒストのようだけど……いや、実際そうなのかもしれないね。だけど、私は不幸を不幸のままで好きなんだ」
「……ごめん、どういう意味かわからなかった」
「そうだね。例えばだけれど、今みたいに私が不幸を好きだと言ったら、夜長くんはどう思う?」
「どうって……うーん……」
「じゃあ、聞き方を変えるよ」
朝木はくるりと振り返って、夜長に背を向けて歩き出した。小さな歩幅で、ゆっくりと歩いていく。車通りもない静かな道だった。彼女の足音が、やけに大きく響く。
「不幸が好きだと言っている人間は、果たして不幸をいい物として捉えていると思う?」
「そりゃ、そうなんじゃないの? そうじゃなきゃ好きとは言わないでしょ」
「だけど、私みたいな人たちは違う。不幸を悪いもののまま好きであり続ける。皆が不幸を嫌うように、皆が不幸を恐れるように、私だって不幸は辛いものだと思う」
「だったら、どうして」
なかなか話の核心を離さない朝木に痺れを切らしたのか、夜長が前のめりになった。ぼやけた輪郭だけを見せられているみたいで、まどろっこしくなってきた。
だが、とうとう彼女は話した。
——彼女の、彼女にとっての死を。
「“不幸じゃなきゃ、死にたがりは死ぬことを許されないから”だよ。私みたいな人間に自死はあってはならない。『お前より苦労している人はいるんだ』とか『何が辛いの?』だとかね。とどのつまり私は、私にとっての死ぬ意義ってのは——」
彼女は、立ち止まった。
「——死にたがりとして死ぬこと。誰からも認められる死を、万人から受け入れられる死を迎えること。夜長くんが海鮮を食べるために生きるというのなら、さしずめ私は“自分の死を全面肯定するために死ぬ”ってことになるね」
「難しい話だね」
その解釈は、誰にも許されない。そう、死を許されなかったものだけが理解の範疇に収められる。
「ま、わかってもらえるとは思ってないよ。夜長くんに限らず、世界中誰にでもね」
「悔しい話だね。これでも、朝木さんとはかなりの時間一緒にいる自負があるんだけど」
「……じゃあ、そうだね。これだけは伝えておくよ」
少しつまらなさそうに、朝木は言い捨てる。
「“幸福であることの不幸”——それは、私みたいな幸せな死にたがりにありがちな不幸で、私はその不幸を抱えて死のうとしている。それで、私は私の死を肯定する。不幸の最中で死んだのだと、声高らかに告げるために」
まぁ、死人に口なしではあるけどね、と苦笑しながら朝木は言った。
「なるほど、少しは合点がいったよ。確かにそうだ。死にたがりは不幸の中でしか死ぬことを許されない。だから、朝木さんは不幸と自死を証明し肯定するために生きている。そういうわけでしょ?」
「概ね正解。どうやら、私には説明力があるらしいね。まさかそこまで理解してくれる人が出てくるとは思わなかったな」
「僕の理解力が高いだけじゃない?」
冗談を言いつつ、二人は散歩を続ける。少しだけ遅くなった足なみで、夜の街をさらに奥へと進んでいく。
(幸福であることの不幸……か)
不幸だから死にたいのか、死にたいから不幸になるのか。卵が先か鶏が先かのような話ではあるが、今回はその例が最もわかりやすいだろう。通常の死にたがりであるのならば、不幸から死にたがりになるところを、朝木はそのプロセスが逆転した。
生来の死にたがりだったから。
そのせいで、彼女は不幸であることを求めざるを得なかった。彼女が語った通りに。だが、彼女は恵まれていた。家族に友人に囲まれていた。余計に彼女生来の姿から遠のく幸福は、結局のところ彼女からすれば不幸そのものでしかないわけだ。
だからこその“幸福であることの不幸”なのだ。
(なおさらループを終わらせるのを躊躇うな……もし僕が朝木さんの自死を止められたのなら、と考えたけれど、そもそも彼女は生来の死にたがり。止めようにも原因がない。止めようがない)
彼の目的は——ループ終了時に朝木巡を生かすこと。
明日をこの上なく嫌っている彼にとって、朝木巡はすでにそれを凌駕するほどの存在となっている。ループを終わらせる理由は彼女たり得るし、明日を生きる理由にもたり得る。だが、逆を言えば彼にとってループを終わらせ明日を生きる理由はそれだけなのだ。それ以外がない。
「……朝木さん」
「どうしたの」
「もし、もしもなんだけど。僕がループを終わらせる……と言ったらどうする?」
「もちろん死ぬよ」
その声には一切の迷いも感じられなかった。同時に夜長にとって最悪の返事でもあった。
その日、そのクリスマス、夜長は思考する時間に費やした。朝方まで二人は散歩を続けると、電車を使って元の街へ戻った。朝木は少し眠ると言って家に帰り、夜長は眠い頭を回転させながら帰路に着いた。家に着くや否や、強烈な眠気が襲い、眠る時間すら思考に当てようとして再び街へでた。眠らないために。
昼頃になると朝木の方から連絡があり、今日はショッピングモールで過ごしたいとのことだった。
夜長は何も言わずその提案に乗り、途中で体調の不調からフードコートで籠るようになる。コーヒーで微睡んだ頭を回転させながら、さらに思考する。
——どうにか、彼女の死を止めるために。
後から合流する予定だった朝木がフードコートを訪れる。連絡しても夜長から反応がなかったため、心配して戻ってきたのだ。
「……でも、杞憂だったかな。寝てるだけじゃん。珍しい。寝てなかったのかな?」
やがて彼女が夜長を見つけると、彼は深い眠りについていた。机に突っ伏すような形で、寝息を立てている。
「せっかく人の少ないフードコートだし、私もゆっくりしようかな」
スマホをいじりながら、そのカメラを夜長へ向ける。
「へへ……残らないのが残念だな」
ほとんど口をつけていないコーヒーを含みつつ、朝木は彼が起きるまでリラックスしていた。
——そして夕方。
「へぁっ!? ぃ、今何時……」
「やー、ぐっすりだったね。おかげさまで溜まってた漫画を全部消化できたよ」
「六時半じゃん……寝過ぎた……目覚めのコーヒー……ってないし」
「余ってたし、飲んじゃった」
「僕のなんだけど」
「まぁまぁ、今更じゃない? それとも、ウブな夜長くんはそういうの気にするタイプかな〜?」
「よくも僕の200円を」
「……あぁ、そっち」
反応の悪い夜長に不機嫌そうな表情を浮かべる。
「こんなところでこんなに寝るなんて、もしかして、今日寝てないんじゃないの?」
「……まぁ」
「どうしたの? 夜長くんらしくない」
「それは……」
夜長は、まだ迷っていた。
今日一日、されど一日を使ってもまだ答えが見つからない。どう足掻いても、朝木が死なないままでループを終わらせることのできる未来が想像できない。
(正直、朝木さんには何も言わないでループを終わらせれば解決する。けれど、そんな理不尽な終わりかたはあまりにも酷い。かといって、それ以外の方法が浮かぶわけでもなし……)
彼が悩んでいると、覗き込むように朝木が顔を出した。
「もしかして、ループに関する話?」
「え、なんで……」
「今日の話を聞いてたらね。それに、夜長くんがそれほど悩むなんて、それくらいしかないでしょ。おおよそ、ループを終わらせようかどうか悩んでいたってところかな」
とうとう隠せなくなった夜長は、正解、としかいうほかなかった。
「でも、急にどうしたの。今までは『明日なんて来なければいい』ってスタンスだったのに」
「そりゃあ、これだけ長い時間朝木さんと一緒にいたら心変わりもするよ。時間は進まずとも、少しは僕も変化するさ」
「ふぅん」
興味なさげに朝木は深く腰掛けた。
さらに夜長を問い詰めるので、彼は仕方なくループを終わらせようかと考えていることを……いや、“終わらせる”趣旨の話をした。
「ループを終わらせるっていうのなら、私、今日死のうかな」
「やっぱり、死ぬんだね」
「うん。あ、どうせなら、私の死ぬとこ見る? なかなか見れないけど」
「いいよ。自殺幇助で捕まりそうだ。……それに、死ぬ時は、人に見られない方が幸せだと思うよ」
「そう? 私は看取られたいタイプなんだけど」
おもむろに朝木は席を立ち、フードコートを出ようとした。
「じゃあ、私は死にに行くよ。場所は……まぁ、その辺のビルで。流石にまだ死ぬには早い時間だと思うから、ショッピングしてから散歩して、それで深夜にでも死ぬ」
「……………………一応、死ぬ時は僕に知らせて。もしかしたら気が変わって看取りにいくかも」
「わかった」
最後に一緒に遊ばなくてもいいのかと夜長が聞いたが、最後くらいは一人で物思いにでも耽るとするよと返答があった。そうして、朝木は一人でフードコートを後にした。人々の喧騒だけが取り残される。だが、その喧騒の中でも、まるで涅槃静寂のような心地で夜長は机に突っ伏した。
「…………一体、僕はどうすればいいんだ」
だが考えても答えは出ない。
人殺しに、死にたがりの気持ちがわかるはずもなかった。
□□□
「はぁっ……さむいね」
フードコートで夜長と別れてからしばらく。朝木はウィンドウショッピングを終え、満足したのちに夜の街を歩いていた。ショッピングモールの近かった場所から遠く離れ、田舎の様相を呈している。誰も歩いている人はおらず、車も時折通るくらいだった。
等間隔に置かれた街灯は年季を感じられ、道の脇には草木が生い茂る。
「とうとう私は、死ねるんだなぁ」
物心がついてから今まで。年数にして十数年間。彼女は希死観念を抱き続けた。当たり前のように生きる人間の中で生まれた、当たり前に死を求めた人間。幸福であることの不幸を噛み締め生きながらえてきた。
そんな彼女も、もう終わり。
……だが、そんな彼女でも死への恐怖は拭えない。現にこうして一人で思考をめぐらす時間を求めたように、彼女は彼女なりの覚悟を決める必要がある。
——十一回。
それは彼女が死んだことのある回数だった。
ループが始まったクリスマスの日。その日彼女は自死を試みた。転落死、轢死、水死、焼死、窒息死……色々試したりした。だが、死ねなかった。夜長のループが始まったからだ。
最初は悪い夢でも見ているかのような心地だった。いくら朝木と言えど、死そのものへの恐怖は人間である以上本能的に消し去ることはできない。人よりもその恐怖は少なかろうが、足を震わせるくらいにはあるのだ。
だが、その覚悟も無碍にされる。
最初、朝木が夜長を見つけた時、静かな怒りが湧いた。望んでいたこととはいえ、死の痛みを繰り返し味わう羽目になったのだ。自然なことだった。
だが、その怒りは速やかに収まった。
夜長廻は不幸だったからだ。思わず、同情したくなるほどに。体中に張り巡らされた包帯と絆創膏。瞳の中には目の前にいたはずの朝木など映してもいなかった。
——アレは、壊れていた。
とても快活に振る舞っているようだった。だが、節々に現れるそのサインは夜長の本質の異常性を示していた。ループを始め、ループを終えられないと言うのにも無理はないと思った。あの凄惨な人格は、性格は、明らかに人から外れていたから。
その後、一条と言う男が夜長によって殺されたときには、朝木は驚愕していた。
殺人現場を見たから、と言うわけではない。“人はこうも躊躇いなく人を殺せるのか”と、そう思わせるほどの惨状だったからだ。骸の隣に立っていた殺人鬼は、少なくとも人のソレではなかった。いっそ一思いに殺せばいいものを、あの殺人鬼は恐怖を植え付けるために痛めつけてから殺していた。
初めて、命というものに重みがあるのだとわかった気がした。
命の重みなど紙よりも軽かった朝木にとっては、新鮮な光景だった。
——だから少し、興味が湧いてしまった。
「……………………来たね」
「はぁっ……はぁっ……そりゃあ、ね」
「意外だよ、来てくれるなんて」
「……そうだね。僕も不思議だ。こんなことしてるの」
夜長は息を切らして朝木の前に現れた。朝木が指定した場所はビルの屋上。高さにして二十メートルは軽く超える。転落すればまず助からない。その屋上の淵に、朝木は立っていた。
「……私ね、夜長くんと一緒にいて、一つだけ興味が湧いたことがあったの」
「何、それ」
「——私に、命の重みがあるのかどうか」
——それは、朝木巡が死ぬ理由の一つだった。
一条が惨殺され、命の重みはあるのだと知ったあの日。朝木は自分にもその重みはあるのか気になった。今までそんな重量をかなぐり捨ててきた彼女にとって、それは非常に興味深いことだった。
だから、それを夜長で試す。
最も親密で、最も心を許したと言っても過言ではない彼の前で死ぬことで、その価値を測れると思ったから。
「くだらない。あるに決まってるでしょ」
「それを、確かめるんだよ」
「いいよ、確かめなくて。……それより、僕は朝木さんに言いたいことがあるから」
何? と朝木は首を傾げた。
「この際だから、超正直にいうよ。——ごめん、朝木さん。僕は君に死んでほしくないんだ。僕が、このループを終わらせようと踏み切ったのも、朝木さんあってのことなんだ。そうじゃなきゃ、明日が来てもいいかもなんて思えていない」
「……まぁ、多少そんな気はしてたよ」
自意識過剰でも、驕りでもなく。ループの中で夜長と密接に関わったのは朝木ただ一人。消去法的に、そうでなくとも、夜長がループを終わらせる理由に踏み切ったのは朝木が関わっているとわかる。
それでも、夜長は続ける。
「僕は、ループの終わった12月26日に朝木さんがいないなんて考えられない」
「それで、私は今年も死ねないの?」
不機嫌そうに言い放った。
「うん。そこを綺麗事で誤魔化すつもりはないよ。僕は今、どのループの中で言ったことより酷いことを言っている。それは変わらない。僕は、朝木さんに死んでほしくない。……今年も死ねないままでいてほしい」
「いやだ」
強く、震えるような声で朝木は叫んだ。
「もう……もうこりごりなんだよ。私が毎年のように死を願っても、神様は私を殺してくれない。周りの人は私をやたらと心配してくるし……私は、ずっとまともなのに。みんなみんな私を異常者のように扱う」
それは、腹の底から出た本音だった。
「ねぇっ、聞かせてよ……死を願うことは、死を乞うことは——どうして悪なの?」
それが、朝木巡を縛っていたものだった。
死を願う彼女にとって、死は絶対的な悪であり恐怖であるという世界の風潮は、耐え難いものだった。死を願うだけで、朝木は世界の普通から外れてしまうから。
「……別に、僕は悪だとは思わないよ」
「うわべだけのいいことばかり」
「違う、本心だ。僕が嘘言ったことある?」
「めっちゃくちゃあるじゃん」
「そうだけども!」
一つ咳払いをして、あらためて向き直る。
「ならもう、嘘でもいいよ。僕はそれでも朝木さんを死なせないけど」
「……そんなの、簡単でしょ。私が死んだらすぐに時間を巻き戻せばいいじゃん。夜長くんは、それができる」
「できないよ」
降参するかのように、夜長は手を挙げた。
その意図がわからないと言ったように、朝木は目を見開いていた。
「僕は、もう時間を巻き戻せない」
「……どういう意味?」
「今は午後11時30分……日付が変わるまであと三十分だ。ここから僕の家まで、走ったくらいじゃ絶対に辿り着かない」
「まさか——」
「うん、そのまさかだよ。——今この場に、時戻りの砂時計はない。もう、クリスマスは終わる」
時戻りの砂時計——使用した日の時間を0時まで巻き戻す代物。詳しいことがわかっている訳ではない。日付を超えたら巻き戻りの地点が更新されるというのも、あくまで夜長の憶測でしかない。12月26日に使っても、12月25日に巻き戻れる可能性も……あるにはある。
だが、それ以上に大きなリスクをとった。
その日の0時まで巻き戻るという特性ゆえ、まず夜長の推測は当たっていると言っていい。それを承知の上で、彼は時戻りの砂時計をわざわざ自宅へ置いてきた。死を願う朝木の前でループを終わらせると言った以上、心変わりを許さないために。
ひどく狼狽したように、朝木はよろめいた。
「な、なんで……」
「これが僕なりの覚悟の仕方だった。朝木さんが死ぬ覚悟を持って死ぬ以上、僕も朝木さんを失う覚悟をしないと、対等じゃないから。そうじゃないと、朝木さんに顔向けできないしね」
「夜長くんがそこまでする必要は……」
朝木も、遅まきながらその覚悟を理解した。夜長にとって明日を受け入れるとは、今日を捨てるとはなんなのか。
「朝木さん」
夜長は、切望していた。
「——僕と一緒に、来年のクリスマスまで苦しんでほしい。明日を噛み締めて、生きることを甘んじて受け入れてほしい」
夜長は、ゆっくりと朝木へ歩み寄る。彼女はちっとも動かなかった。
「……朝木さんがそれでも嫌だというのなら、僕も今日で終わりでいい。クリスマスも、何もかも終わり。明日はいらない。——だから」
——その言葉は、紡がれなかった。
遮ったのは、夜長自身でも朝木でもない。視界に映るのは鮮血。街のネオンや明かりなんかよりもずっと鋭い光が差した。耳を突き刺すような破裂音。夜長は聞き慣れていた音。
「ぇ……」
——朝木は撃たれた。
背後から発射された鉛玉によって、肩を撃たれた。夜長の言葉を消した発砲音と共に、朝木は重力に従って背後へ倒れる。動揺、恐怖、衝撃。咄嗟の出来事で、踏ん張る力が効かなかった。
一瞬で現実に引き戻された夜長はすぐさま朝木の腕を掴んだ。傷がない左腕を掴み、落下を阻止する。
「はぁっ……はぁっ……!?」
お互いに息を切らし、ひとまず生きていることに安堵した。束の間。
「よぉ、クソガキ。四回目からまたまたやってきたぜ」
「その声……一条さんですか。僕を殺せないと踏んで、女の子を撃ったんですか?」
「いいやぁ、俺にその気はなかった。マジだ。けどな、拳銃ってのは漫画の世界みたいに上手く撃てるもんじゃない。お前も聞いたことはあるだろ。熟練の警察官でも拳銃で犯人を無力化するのは難しいってよ」
朝木を撃ち抜いた犯人、一条はやけに愉快そうな声で語った。どうやら狙ってやった訳ではなく誤射だったらしい。
「まぁ、ついでだ。お前を痛ぶって殺すのに、その女を見せしめで先に殺すのもありだしな。殺るか」
「あれだけ人を殺すのに躊躇ってた人間が、よくもまぁそんな大口を叩けましたね」
「その辺は対策する予定だからな。問題ねぇ」
そう言って、一条は夜長に近づいた。あと大股一歩と言うところで、また拳銃を構える。
(しくじった、しくじったしくじった。朝木さんの方に集中していて、全く気配がわからなかった。……けど、まだ反撃はできる。所詮相手は素人。人殺しという点だけにおいては、僕の方に分がある。分が……ある……)
その時、目線の先にいる朝木と目があった。
潤んだ瞳で、訴えかけるようなその瞳で、見つめられた夜長は思考がまとまらなくなる。
(朝木さんを死なせれば、朝木さんを殺せば、僕は助かる。……朝木さんを、殺す? 僕が?)
背筋が凍りつくような錯覚。
今まさに殺されそうになっている状況でさえ、味わったことのない嫌悪感が襲った。
人を大勢殺した時でさえ、感じたことのない絶望感が襲った。
冷や汗が垂れ、動悸が早くなる。もしも、もしもこの手を離してしまったのならと、最悪の未来が夜長を蝕む。今まで夜長が味合わなかった、“命の重み”が強くのしかかる。
「さーて、お話でもしようか、夜長クン。“時戻りの砂時計をだせ”」
「……はっ、なるほど。時戻りの砂時計を使って、僕を殺した証拠を隠滅しようって魂胆ですか」
「あぁ、それに、オレはお前に味合わされた苦しみを返さなきゃ気が済まないんでな」
撃鉄を下ろす音が聞こえる。
「じゃあ初めに言いますよ——今この場にあの砂時計はないですよ。残念でしたね」
「だったらどこにある」
「どこにあっても変わらないですよ。だって——あれはその日のうちに使わないと意味がないものだ。だから、今更探したって日付が変わる。もう遅いんですよ」
「……あ?」
ドスの効いた声が響く。
「何言ってんだ、お前」
「そのまんまの意味です。日付が変われば、あの砂時計はクリスマスを繰り返すことができない。12月26日を繰り返すしかない。だから、あなたはこれから警察に追われる日々だ。あれだけの発砲音、近隣住民がすぐに通報でもするでしょうよ」
「よほど、死にたいらしいな」
「何を——」
迷いなく、一条は夜長の腕を撃った。痛みで緩んだせいで、朝木を掴んでいた手から力が抜ける。
「ぁ……」
「お、どっちの腕だったかよく見てなかったが、どうやら今の方があの女を掴んでいた腕らしいな」
動かない夜長の上から、一条が顔を覗かせた。その先に広がるのは、虚無。夜長が掴んでいたはずの朝木はそこにいなくて、ただ一面にコンクリートの建物とアスファルトの地面が広がっていた。
「はははは! こりゃ傑作だ。あれだけ人を殺してたお前が、この後に及んで人並みに悲しんでんじゃねぇよ」
「は、ははは……」
夜長は、笑っていた。涙はなく、ただただ、笑っていた。乾いた笑いをこぼして、何も映さないその瞳で。彼の中の鬼が。夜長廻に潜む殺意だけが爆発するように燃えていた。
「——殺す」
「やってみろよ、ガキ」
なぜ一条が殺しに積極的になったのか。砂時計の制約を聞いてさえ、その手を止めない理由はなんなのか。そんなもの、今の夜長にとってはどうでもよかった。目の前の男を殺す。ただそれだけだった。それからは早かった。砂時計どころか、朝木と会うためにやってきた夜長には武器などない。生身で銃に向かう。視線、銃口、引き金を引くタイミング。死を前にしてさえ、脳を冷却され冷静な思考能力を保っていた夜長はそれら全てから狙いを読み取り、回避する。所詮は直線上に対して有効な武器。タイミングさえ掴めてしまえば、避けるのはそう難しくない。むしろ、夜長にとってはいじめっ子からの殴打を避ける方が難しいとさえ思えていた。そのまま肉薄し、夜長は銃を狙う。
——夜長は、鬼神に愛されていた。
殺人鬼という、恐ろしい鬼に愛されていた。人を殺す才の塊。等しく、人に殺されるという事象が手に取るようにわかった。銃口を向けられる、刃物が飛んでくる、轢殺、刺殺、絞殺……全てが、自分に向けられているということにも敏感だった。一条の殺意はことごとく察知され、夜長は回避する。
「……なんだテメェ、一人だけ漫画の世界にいるのかよ」
「何言ってるんだ。結局あんたは素人。銃の扱いも、人殺しもね。そんな奴の弾なんて、当たるわけないだろ」
一発、蹴りを入れた。即座に一条がその足を掴む。
「これなら関係ねぇだろ」
「この……」
体格差——掴まれた足を振り解けず、夜長は二発目の弾丸を身体に受ける。ギリギリ、撃たれていた右腕を盾にして致命傷を免れた。
「今のも防ぐのかよ」
「どーも」
もう一方の足で一条を蹴り飛ばし、拘束を解く。冷静さを取り戻してきた夜長が、先程まで思考には留まらなかったことを聞いた。
「ところで一条さん——あんた、なんでこんなに殺しに積極的になってるんだ。砂時計の話を聞いても、全く恐れずに突っ込んでくるし」
「いい加減むかついてきたんだよ、お前に。だから、オレの人生を天秤にかけてでもお前を痛ぶって殺すべきだと判断しただけだ。あれだけ殺されたし、当たり前だよな……と言うより、お前の方こそいいのか? そんなにおしゃべりして」
「………………なんのこと」
「動きの中に焦りが見えてるぜ。何か、急いでるんじゃねぇの?」
卑しく笑いながら、一条は夜長を見た。
——夜長には、勝利条件が一つある。
現在時刻23時37分。ここから夜長の家に戻ろうとしたのでは、間に合わない。それが夜長の言っていたことだ。
だが違う。正確には“走ったのでは間に合わない”。つまり、車や交通機関を使えばまだ間に合う可能性は十二分にあるということ。この絶望的なクリスマスを、やり直せるということだ。とはいえ車を使ったとしても、夜長の家まで約15分。それを考慮すれば……残り5分以内に決着をつけなければ、やり直しは効かなくなる。
(速攻で終わらせれば、あるいは……)
とはいえ、夜長の利き手である右腕は撃たれ、相手は拳銃持ち。いくら夜長が人殺しに長けているとはいえ、その差を埋めることは難しい。
「さて、もう一度聞くぞ。時戻りの砂時計はどこだ。お前が焦るってことぁ、まだ急げば間に合う範囲にあるんだろう」
「答えられないね」
また一発、一条が発砲する。そして回避する夜長だが、掠った。いくら彼といえど体力は無限じゃない。動き回れば疲れるし、何より銃弾を回避するという神業には常軌を逸した集中力が必要だ。この暗い夜の中で、相手の視線、体勢、銃口を見つめてそれらから弾道を予測する。それを何度も繰り返せば、すぐに体力も集中力も枯れる。
とうとう、一条の凶弾が夜長を貫いた。よりにもよって足に銃撃を食らった夜長はまともに動けなくなる。その場にへたり込んだ。
「ようやく当たったか。手こずらせやがって」
「……けれど、僕は吐く気はないですよ。時戻りの砂時計を、あんたなんかに使わせない」
「その辺についてはもう目星がついてる」
動かなくなった夜長の額に銃口を突きつけながら、一条は言った。
「おおよそお前の家だろう。ナイフすらもたない軽装、普段のお前ならありえねぇ。荷物自体を置いてきたと見た。となれば、自宅に置いてきたと考えるのが自然だろう」
「……………………」
「沈黙はYESとみなすぜ」
これで、一条に夜長を生かす理由は無くなった。拳銃を持つ手に力がこもる。夜長を速やかに殺して、すぐさま家を特定したのちに砂時計を使うためだ。
「一つ、最期に」
「遺言くらいは聞いてやるよ」
「じゃあお言葉に甘えて——ありがとうございました。わざわざ僕の芝居に付き合ってくれて」
「…………は?」
言っている意味を理解できず、一条が固まる。
「はじめっから、おかしいとは思わなかったんですか。朝木さんを失った僕が、仇である一条さんと言葉を交えたり。そもそも、あなたが下を覗き込んだ時“死体が転がってなかったこと”とか」
「………………あ? まさか、お前」
その殺人鬼は、人殺しは——嗜虐的に笑った。
「——まだ、クリスマスループは終わらない。時戻りの砂時計を知っているのは、あなただけじゃないんですよ」
「あの女か——!」
——夜長の勝利条件は、即座に一条を殺し時戻りの砂時計へ辿り着くこと……改め。
“できるだけ時間を稼ぎ、朝木が砂時計を使用するための猶予を作ること”
◆◆◆
一条に朝木が撃たれ、絶体絶命の中で、咄嗟に策を思いついたのは朝木だった。
「夜長くん、手を離して」
「いやだ、できない、そんなこと」
一条に聞こえないよう、小声で話し合う。
「さっき、夜長くんは走ったくらい邪魔に遭わないって言ってたけど、車なんかを使えば間に合うんでしょ。だったら、私をさっさと殺して、一条とかいう人も殺して、すぐに家に向かうべきだ」
「……いやだ、それでも、僕が朝木さんを殺すなんてことはしたくない」
すがるような声で訴えかける夜長に、朝木は一つ小さくため息をついた。
「……わかったよ。仕方ない。ひとまず死ぬのは諦めてあげる」
「どういう……」
「私が砂時計をひっくり返してくる。すぐそこの窓からビルに入って降りればバレることもないだろうし、それでこの状況を立て直そう」
「僕はありがたいけど、急にどうして」
「そんなの当たり前じゃん」
大きく、朝木は笑った。
「夜長くんを邪魔したアイツにムカついたんだよ。ただのお返し」
その笑顔は、とても明るかった。
「だから、夜長くんも死なないで。ループするからいいや、なんかじゃない。私も、夜長くんを殺したくない、死なせたくない。私が、絶対に死なせないから」
そう言って、朝木はビルの中へと入った。
駆け降り、血まみれの右肩を押さえ、信号で止まっている車を見つけると乗り込んだ。
「だ、誰だっきみ……!? というか、その肩血まみれじゃないか! 救急車を……」
「そんなのはいいから、送って欲しいところがあるの」
「何言って……子供がそんなこと言うんじゃ——」
「言い方を変えるよ」
空気が、変わった。
「——私の指定するところに行かないと、殺す。と言うより、行かないと拳銃持ったこわーいお兄さんがやってくるよ?」
「そんなハッタリ聞くわけ……」
パン、と近くの屋上から発砲音が聞こえる。
夜長と一条の殺しあいが始まったのだ。唇を噛みながら、朝木は運転手を急かす。
「ほら、早く」
言われるがまま、運転手はハンドルを握り、アクセルを踏む。朝木の予想通り、15分ほどで夜長の家に着くと、手頃な石で窓を破壊し家へ侵入した。階段を駆け上がり、部屋の机の上にあった砂時計を握る。
「これで——!」
◆◆◆
「——僕らの勝ちだ。僕が反抗的な態度をとれば、必ず僕を痛めつけてくれると思ったよ。おかげで、時間をたっぷり稼げた」
「テメェ……!」
一条が発砲するも、夜長には当たらなかった。いくら疲弊しているとはいえ、興奮状態の人間の考えることだ。単調でわかりやすい。最小限の動きで夜長は避ける。
「あいにく、死ぬなと言われてるんだ。ループまで時間を稼がせてもらいますよ」
「なら、次のループで殺すまでだ」
その発言を、夜長は鼻で笑い飛ばした。
「できるもんか。僕は、次のループが終わったらあんたを警察に突き出すとするよ」
「存在しない殺人未遂を証明する気か」
「違う。一条さんは、その拳銃、ループ前から持っていたんだろう? なら、銃刀法違反やらなんやらで突き出せるだろ。家宅捜査でもしてもらいなよ」
「この……!」
「残念ながら、そっちに僕の罪状を証明する手立てはない。0手目を打てるのは、僕だけだ。どうやってもあんたは後手に回る。かわいそうに」
すると、世界の暗転が始まった。一条、夜長、共に意識が朦朧とし始める。
「パーフェクトゲームだ。あんたは僕を殺せず、僕はこのまま世界をループする」
「くそ……くそがぁ!」
「そしてさらに残念な知らせだけど……」
クスリと笑って、夜長は意識を闇に投げる。
「——クリスマスループは、もう終わりだ」
□□□
……街の喧騒、忙しなく歩く人々、空高く昇る太陽。
その喧騒は、人々は、空は——今日も等しく廻り続ける。
「さて、繰り返された今日は……今日で終わりだ」
高い背丈、ボロボロの制服と髪の毛。体中至る所に包帯と絆創膏が貼られ、痛々しい。夜長は自宅のベッドの上で目を覚ました。現在は12月25日午前6時。手短に学校の用意を済ませると、すぐに家を出た。授業開始は9時からなので、かなり早い出発だ。そのため、より道をしながら学校へ向かっていた。
飲食店で朝食を済ませ、近くの雑貨屋で文房具を購入し、本屋に立ち寄っては面白そうな漫画を立ち読みしていく。
おもむろにポケットから電話を取り出すと、学校へと連絡を入れた。今日は休むという旨のことだけを伝え、雑に電話を切る。
人気のない路地へ入ると、そっと後ろを振り返った。
「おはよう、朝木さん」
「おはよう」
朝木は、路地の入り口から夜長に声をかけた。どうやら夜長は前のループで死ななかったらしいことを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした。
「……昨日の話の続きだ、朝木さん。昨晩は一条さんに邪魔されたからね」
「もういいの? あの人、すぐにでもここにきそうだけど」
「もう通報したよ、今頃警察にお世話になってる」
影の中で、夜長は再度伝える。
「改めて——朝木さん、僕と一緒に苦しんでほしい。明日を、生きることを。それができないのなら、死んでくれて構わない。僕も、今日で終わりにする。何もかも」
「……全く、どうせ、全部わかってるくせに」
朝木にも、心変わりはあった。
あの、夜長に助けられた瞬間——ほんの少しだけ、夜長に助けられたことに喜びを感じていた。だから彼女は砂時計をひっくり返すことに躊躇いなんてなかった。
「来年——とりあえず、来年のクリスマスまで死ぬのはやめてあげる」
「……来年」
「うん、だから——」
そこで、朝木は笑った。朝みたいに、夜を切り裂くような明るい笑顔だった。
「——だから、また、私を引き止めてね。いつか私が死ぬまで」
もう、今日と同じクリスマスは訪れない。砂時計を使うことは、おそらくもうない。
けれど、きっと今日のようなクリスマスはいつまでも続く。遊んで、笑って、お互いに命を危険に晒す日がまたくるのかもしれない。繰り返される今日みたいに、毎年二人のクリスマスは繰り返される。
——クリスマスループは、終わらない。死が二人を分つまで。
クリスマスループは終わらない 雪味 @MuenSekai
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