第93話 因縁を断ち切る

『——憎しみに、囚われないで』




 ふと、天頼の言葉が鮮明に脳内を駆け抜けた。


 途端——俺の意志に反して、刀を振り下ろす腕が静止した。

 刃は蛇島の薄皮に軽く触れただけで、肉にすら達していなかった。


 なんで、止まるんだよ……!?


 あとちょっと押し込めば、首を斬り落とせるというのに。

 復讐が完遂するというのに、身体が言うことを聞いてくれない。


 俺の意志と相反する想定外の挙動に、蛇島が怪訝な視線を向けてくる。


「……おや、殺さないのですか?」


「うるせえ、黙ってろ!!!」


 何だよ、今更ビビってんのか……!?


 いや、もうとっくに腹は括ったはずだろ。

 それにこいつを生かす価値が無い以上、躊躇う理由も必要もねえ。


 そのはずなのに——天頼の辛く悲しげな表情が浮かんでしまう。


 どうしてだよ、俺のことなんか放っておけよ……!!

 

 いくら必死に振り払おうとしても、消えてくれない。

 それどころかどんどん俺の覚悟を鈍らせてくる。


 振り下ろせ、叩き斬れ、ぶっ殺せ——!!!


 何度も自分に命令を下す。

 なのに、身体は全く言う事を聞いてくれない。

 どれだけ力を込めても、蛇島の首を刎ねることができない。


 そして結局——、


「あ゛あ゛あ゛あああっ!!」


 断ち切れずに明後日の方向へ遠隔斬撃を飛ばしてしまった。


「はあ……はあ……くそ、クソ……クソが、くそったれが!!! 最後の最後にビビりやがって!!! 全部が台無しじゃねえか!!!」


 堪らず刀を投げ捨て、その場に蹲り両方の拳をを地面に力任せに叩きつける。

 それでも衝動は一向に収まらず、額も何度も思い切り叩きつけ、喉が切れるほどに絶叫する。


 俺が命懸けでここまでやって来たのは、復讐を果たす為だ。

 両親を殺した蛇島をこの手で殺す為だ。

 どんな手を使っても、卑怯者だと罵られようと、蛇島と同じ外道になろうと。


 俺は十年越しの復讐をやり遂げる——そのはずだった。


 でも、出来なかった。

 あと一歩のところで蛇島を殺せなかった。


(ちくしょう……俺の覚悟はこの程度だったのかよ!!!)


 次第に自分自身に対する怒りが込み上げてくる。

 地面に拳と額を叩きつける力が強まる。

 眉間に激痛が走り、血が伝いだす。


 それでも怒りが消える事はなく、頭蓋を割る勢いで頭をぶつけようとした時だ。


「——そこまでだ。これ以上は、君が壊れてしまう」


 突然の背後からの声。

 東仙さんにがっしりと肩を掴まれて制止されたのだと理解したのは、数秒遅れてのことだった。


 それから、ようやく少しだけ冷静さを取り戻す。


「東仙、さん。おれ……俺——っ!」


「……よく、耐えたね、剣城君。君は今、自らの手で止めを刺すことを怖れて逃げたんじゃない。自分自身に根差していた憎しみに打ち克ち、因縁を断ち切ったんだ。仇を討つよりもずっとずっと難しい事をやり遂げたんだよ。だから——その選択を誇っていい」


 振り向くと、東仙さんが優しく柔らかな笑みを湛えていた。


「ああ……ああ、あああっ!!!」


 ——ぼろぼろと涙がとめどなく溢れ出す。

 ぐちゃぐちゃに入り混じって溢れ出す感情が制御できず、気がつけば俺は、嗚咽を漏らしながら声の限りに泣き叫んでいた。


「ごめん……親父、母さん。仇、取れなかった」


 一頻り泣いてから、誰に言うでもなく小さく呟いた瞬間、


「——結局、貴方もそっち側の人間でしたか」


 蛇島が酷く呆れた眼差しを俺に向けた。


「先程まであれだけ殺意と憎悪に満ちていたのに……全くつまらない、興醒めです。貴方になら殺されても構わないと思っていたのですがね。仕方ない、ここは——」


 直後、蛇島から練り上げたれた魔力が漲る。


 ——こいつ……術式を発動するだけの魔力を残してたのか!!


 咄嗟に俺も東仙さんも攻撃に備えるが、それよりも早く術式が起動する。

 地面から硬質化した毒の刃が突き出ると——、


 蛇島自身の胸部を深々と貫いた。


「なっ……!?」


「戦い以外で死ぬなど……ましてや、牢の中で生涯を終えるなど真っ平御免です。お二人に私を殺すつもりがないのは、よく分かりましたので、私自らの手で他ならぬ私を壊すとしましょう」


 夥しい量の血を吐き散らしながら蛇島は、恍惚とした表情で自身の血に塗れた胸元に手を当てる。


「ああ、これが……私自身を壊す感覚、ですか。——なるほど、やはり吐き出したくなるほど……最低で、最悪で……醜悪、で……最高の、気分……だ」


 そして、天を仰ぎ大きく腕を広げると、そのまま仰向けに倒れ絶命した。






 蛇島の亡骸を階層入り口へ運んだ後、東仙さんは阿南さんの応援に向かう為に八十層へと戻り、俺はこの場で待機となった。


 度重なる術式同士の衝突やアウトブレイクが終息した影響で魔力濃度が大幅に下がった結果、この階層に限ってだが当分の間、モンスターが出現する事はないという。

 なので、待っている時間を使って階層の出口へ置いて来た天頼を迎えに行くことにした。


 辛うじて残った魔力——片道分しか残ってないけど——を振り絞って身体強化を施し、階層を走り抜ける。

 数分かけて出口まで辿り着けば、別れた時と同じ場所で天頼は眠っていた。


「……やっぱ、まだ寝てるか」


 ——でも、無事そうで良かった。


 胸を撫で下ろしつつ、目の前まで移動した時だった。


「——つる、ぎ、くん?」


 示し合わせたかのようにして、天頼が目を覚ました。

 まだ意識は朧げだが、それでも瞳は真っ直ぐと俺に向けられる。


「決着がついたから迎えに来た。蛇島は……死んだよ」


「……そっか。じゃあ……お父さんとお母さんの、仇……取れたんだね」


 憂いを帯びた表情で呟く天頼に、俺は小さく頭を振って答える。


「自決だよ。俺は、殺してない。……というより、殺せなかった。だから、その……マジで寸前だったけど、復讐は——やめたよ」


 言い終えるとほぼ同時だった。

 体当たりのような勢いで天頼に飛びつかれ、きつく抱きしめられた。


「あ、天頼……っ!?」


 あまりに突然のことに困惑していると、


「良かった……本当に良かった! 復讐を果たしたら、剣城くんが剣城くんになるんじゃないかって……私の前からいなくなっちゃうんじゃないかって! そう思えてずっと不安でしかたなかった……本当に、怖かった!!」


 天頼が肩に顔を埋め、涙声を震わせる。

 大粒の涙を溢し、小さな子供のようにわんわんと大声で泣いていた。


 すると、天頼につられるように俺も自然と涙が出てきた。


 さっきのように遣り場がなく混沌とした激情を発散させる為ではない。

 天頼をここまで追い詰めてしまっていた事への罪悪感や後悔によるものだ。


 気づけば、俺も天頼のことを強く抱きしめ返していた。


「ごめん……そんなにまで心配させて、不安にさせて、本当にごめん……!」


「ううん、大丈夫だよ。きみがこうして、きみのままで戻って来てくれた。それだけで私は……十分だから」


 言って、天頼は俺の背中をぽんぽんと叩く。

 ——その優しさが、余計に涙が止まらなくさせる。


「だったら、それは天頼……お前のおかげだ。お前が俺を道を外れるのを引き止めてくれた。俺が修羅になる事を防いでくれた。俺を……変わらず俺のままでいさせてくれた。だから……ありがとう、天頼。お前は俺の——最高のパートナーだよ」


 咽びながら伝えれば、天頼はまた泣きじゃくってしまう。

 それにつられて、俺も更に喚くように泣いてしまう。


 ——それから、誰もいないのをいい事に散々に泣き腫らした俺たちは、いつの間にか揃って泥のように眠っていた。

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