第4章 一閃、全ての因縁を断ち切って明日へ

第68話 向かうべきは底ではなく

 暗く冷たい水底へどこまでも沈んでいく。

 もがこうにも身体が動かない……いや、それ以前に感覚が喪失していた。


 ——どこだ、ここ?


 何も分からない。

 唯一、分かる……というより直感しているのは、このまま底まで落ちていったらもう二度とは戻ってこられないということだ。


 でも、俺には何も抗う術がない。

 ただ沈んでいくのを待つことしかできない。


 とはいえ、別にこのまま身を委ねても良いんじゃないかと思う。

 なんとなくだけど、沈みきった先には親父と母さんがいる気がするからだ。


 ——だったら、いいや。


 足掻いたところで何か良いことがあるわけでもない。

 それよりも久しぶりに顔を見せて、俺もデカくなったんだって、成長したんだって報告する方が大事だ。


 親父と母さん、どんな反応すんだろうか。


 喜ぶ、驚く……それとも、悲しむのかな。

 ——ちょっと待て、なんで悲しむんだ。

 折角、十年振りに再会できるっつーのに、どこに悲しむ理由があるってんだよ。


 困惑するも、ふと素直に喜べない自分もいることに気が付く。

 

 ……どうしてだ。

 会えて嬉しいはずなのに。


 今はまだ会うべきじゃないと、直感が囁いてくる。


 じゃあ、俺はどこに行けばいいんだよ。

 ただ下へ沈むしかできない身体でどこへ——。


 思った瞬間だった。


 頭上から光が差し込んでくる。

 優しく包み込むような、柔らかく温かい一筋の光。


 見上げれば、誰かが必死に手を伸ばしていた。


 ——誰だ……?


 顔が見えない。

 何か呼びかけてきている気がするが、声が全く聞こえてこない。


 だけど、気がつけば自然と腕を伸ばしていた。

 完全に無意識での行動だった。


 もう少しで差し出された手に触れる直前、俺は水底の方へ視線を向ける。

 そこには、親父と母さんの姿があった。


(悪い、そっちに行くのはもうちょっと後になりそうだ)


 小さく謝れば、二人は安心したように微笑んでいた。

 そして、差し伸ばされた手を掴むと、視界一面が光に包まれた。






 目を覚ますと、まず真っ白な天井が飛び込んできた。


 外は薄暗く、微かに雨が窓を打つ音が聞こえてくる。


 硬いベッド、部屋中に漂う消毒液の匂い。

 左腕には、点滴が繋がれている。


 ここは……病院か?


 辺りを見回そうとした瞬間、全身に激痛が走った。


「っ……〜〜〜!!?」


 あまりにも痛過ぎて、叫ぶことも指先一つ動かすことすらままならねえ。


 ——なんだ、これ……!?

 頭から足の指先まで漏れなく全身が痛え……!!


 この痛みには覚えがある。

 これは——魔力の使い過ぎによる反動だ。


 まあ、仕方ねえか。

 あの時、肉体の限界を超えた魔力を使っちまったんだから。

 寧ろ、生きているだけでも僥倖というべきなのだろう。


(——そうか、生き残ったのか……)


 自覚した刹那、胸の奥底からドス黒い感情が沸き上がってくる。


 蛇島——両親を殺した仇。


 事故だと割り切っていた感情が全て憎しみに変わっていく。

 この身を犠牲にしたとしても、必ず復讐は成し遂げてみせる。


 固く決意し、俺はベッドからゆっくりと起き上がる。

 激痛は何一つ和らいでいないが、蛇島への怨讐が身体を突き動かしていた。


 しかし——、


「……ん」


 すぐ隣でくぐもった寝息が聞こえてくる。

 それと一緒に誰かが両手で俺の右手を握り締めることに気が付く。


 ——天頼だった。


 上体をゆらゆらと揺らして舟を漕いでいた。


「な……」


 声を漏らすと、天頼の瞼がゆっくりと持ち上がる。

 寝ぼけているのか、朦朧としたままこちらを見て——途端、瞳が大きく瞬く。


「剣城くん……?」


 震えた声で俺の名前を呼ぶ天頼。

 頬には、大粒の涙がぼろぼろと流れ落ちていた。


「良かった、目が覚めたんだね……!!」


「……悪い、心配かけちまったな」


「ホントだよ……本当に、心配したんだから」


 それでも、すぐに笑みを湛えて、


「でも、無事で良かった。……怪我は大丈夫そ?」


「ああ、問題な——い゛っ!!!」


「剣城くん!?」


 痛みが急にぶり返してきやがった……!!

 さっきまで耐えれてたのに……なんでだ!?


 俺のあまりの痛がりように天頼は、おろおろと狼狽するも、


「えと、えっと……とりあえず先生を呼んでくるからちょっと待ってて!!」


 急いで椅子から立ち上がり、部屋の外に駆け出して行く。

 激痛に顔を歪ませつつ、天頼の背中を見送っていると、


「よう、目が覚めたみたいだな」


 隣のベッドからの声。

 振り向けば、ヘッドホンを首にかけた海良さんが、ベッドの上で悠々と寛ぎながらスマホを弄っていた。


「……海良さん。無事でしたか」


「まあな。お前と比べたらずっと軽傷だよ。というか、あの時の怪我はもうほぼ完治してるぜ」


 ふっと笑みを溢しながら言うと、


「あ、そうだ。SA……後で天頼ちゃんにお礼言っておけよ。お前が眠ってる間、ずっと傍について見守ってくれたんだから」


「——天頼が?」


「ああ、それもわざわざ配信を休んでまでな。照れくさいかもしんねえけど、ちゃんと伝えなよ」


 そう、だったのか。

 まさかそこまでしてくれていたとは……意外というか、思いもしなかった。


「……うす」


 唖然としつつも、俺は短く答え、頷いてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る