第38話 秋音君はお嬢様! 前編

各々帰り支度を終えた四人は保健室を出て、急いで学院の裏門へ向かっていた。


「黒川が車用意して待ってるから、早く行きましょ」

秋音は早歩きで先陣を切り、その背中を三人が追いかける形で移動をする。


早乙女学院の正門には「桜通り」と呼ばれる歩行者専用の長い通学路が存在する。

今は六月になったということもあり、緑の葉が生え始め、満開の桜から新緑へ移り変わっている。


緑の葉を茂らせた木々はとても綺麗で、暑さなど忘れてしまうような涼しげな空間が広がっていた。

景色を堪能しながら歩くには最高の通学路ではあるが、公共道路へ抜けるまでの道が長く、車で迎えに行くには少し不便利さが目立つ。

その為、自転車に乗ったまま帰る時や、車で送迎を行う際などはそのまま公共道路に繋がる裏門を使うのが手っ取り早い。


「なんか秋先輩、急いでますね」

「あれから結構経つし、黒川さん待ってるだろうしな」


お姫様抱っこの状態で沙癒を運ぶ裕作と、自分も含めた三人分の荷物を持つ七海は急いで追いかけるが、秋音は我先にと足早で裏門へ駆ける。


勿論二人の脚力であれば追いつくの自体訳はないが、裕作は自分の胸の中で眠っている沙癒が気になってしまい、無意識に速度をセーブしている。

一方の沙癒は眠りに入ればどんなことをされても起きる事はほぼなく、暑苦しい筋肉に抱かれる最悪の環境でも穏やかな表情を浮かべて眠っていた。


「ねぇ先輩、さっきから気になっていたことがあるんですが」

「ん? なんだ?」


数百メートル先の角を右に曲がった秋音を追いかけながら、七海は疑問に思っていたことを口に出す。

「黒川って人、秋先輩のご家族の方ですか?」

「あー、まぁそんなとこだな」


黒川という人物は秋音の親族ではなく、赤の他人である。

しかし、秋音とは十年以上の付き合いがあり、今や家族よりも長い時間を過ごしている。

そういう意味では、秋音が身内の中で最も信頼を置いている人物の一人になる。


「急な電話なのに車出してくれるなんて、良い人ですね」

「良い人っつうか、仕事っていうか」

「ん? 仕事って?」

「もうすぐ裏門に着くし、実際に会ってから話すわ」


黒川という人物を口で説明するよりも実際にその姿を見た方が良いと判断した裕作は、すぐそこの角に顎を向ける。

「……なんか、複雑な家庭事情なのかな?」


困惑する七海を他所に、裏門へ続く角を曲がる。


すると、裏門の前で秋音と学院では見慣れない黒スーツを着てきた人物とか口論している現場を目の当たりにする。


「ちょっと黒川! あたしは普通の車用意してっていったでしょ!?」

「はて、これがお嬢様に合う『普通の』車だと思うのですが」

どうやら黒川という人物と秋音が、用意した車が口論の原因になっているようだ。


彼が用意した車は、傷一つない黒い光沢を放つ外装に全長六メートルを超える高級リムジン。


世界各国のVIPや政府関係者が愛用する数千万は下らないであろう超が付くほどの高級車。

下校途中の生徒は足を止め高級車に釘付けになり、ちょっとした騒ぎになってしまっている。


「え……何あれ……え?」


そして、隣にいる七海も困惑を隠しきれず、額から冷汗を大量に噴き出している。

一部の人を除いて、一般人では見る機会がないであろう数千万はするリムジンを見た人間は思考が完全にフリーズしてしまう。


「あれ本物? 嘘、僕初めて見たんだけど? え?」

「――最初はみんなそんな反応だよな」


小学生からの付き合いのある人間にとって、秋音が高級車に乗る姿は特に珍しい光景ではないのが、いざその光景を初めて見る人にとっては衝撃的なものには変わらない。


「おや、あれは――」

そんな七海の姿を発見した黒川が、カツカツと小気味よい靴の音を鳴らしながらこちらへ近づいてくる。


綺麗に整えられた白髪をパリッと丁寧にアイロン掛けがされている黒のタキシード。

白のシャツに黒のネクタイ、そして手には純白の手袋をはめ高級感のある見た目を演出している。

肌の艶や顔立ちから見た目は四、五十代に見えるが、優しそうな垂れ目と立派に携えた髭により実年齢よりも老けて見えてしまう。


総じて、英国紳士のような立派でダンディな格好をした彼……黒川智也くろかわともやは、裕作と七海の正面に立ち、深々とお辞儀をする。


「お初にお目にかかります。わたくしは秋音様の専属執事、黒川と申します」


黒川と名乗る人物は顔を上げ「以後、お見知りおきを」と威圧感すら感じる低音の声であいさつをする。


「沙癒様は……相当お疲れのご様子ですな」

「あぁ、ここ最近無理していたらしく」


立派に生やした顎髭を摩りながら「ふむ」と声を鳴らし沙癒の寝顔を凝視する。

秋音の親友である裕作は何かと黒川と話す機会が多く、最低限の礼儀はあれど、今では仲の良い親戚のオジサンのような存在になっている。


「私にお任せくださいませ。疲労回復の為、私が腕によりをかけた夕食をご準備いたしましょう」


秋音宅には何度もお邪魔している為、彼の作る手料理の腕を知っている。


味、見た目、栄養素。

それをとってもその腕は一流といって差し支えない。

黒川の料理を食べれば沙癒は元気になるだろう、そんな確信が得られるほどに。


「なんかすいません、今日飯作らせるために呼んだみたいになっちゃって」

「滅相もございません。秋音様の友人とあらばこの黒川、なんでも致します故」


普段であれば遠慮をしてしまう所だが、少しでも早く沙癒には元気になってほしい気持ちがある為「お願いします」と小さく頭を下げた。


「一方の裕作様はお元気そうで何よりです。相変わらず素晴らしい肉体美でございますね」

「いえ、俺なんてまだまだですよ」


本人はそう謙遜しているが、久しぶりに自身の筋肉を褒められて嬉しそうに胸筋をピクッと跳ねさせる。


「裕作様のような方がお嬢様の友人で嬉しく思います。今後とも良い関係を築いて頂ければ私は嬉しゅうございます」

「俺が好きでいるだけだよ、別に大したこともしてやれてないですし」

「ふふ、そういうところですぞ」


重苦しい雰囲気から一遍、黒川は柔らかで優しい笑みを浮かべる。


「今後とも秋音様をよろしくお願い致します、一人の友人として」


大金持ちには様々な人間が近寄ってくる。

物乞いの様に金に集る者、将来の為に根回しをする者。家庭環境に妬みを抱く者。

色んな人間が不純な気持ちを抱き、金にあらかろうとする者が後を絶たない。


そして、秋音はその標的になりやすい。

男性にしては小さく弱々しい体つき、そして超が付くほどの可愛らしい見た目。

今でこそ学院のアイドルとしての地位を確立した彼だが、そこへ行くまでの過程には数々の出来事が起きている。


そんな秋音に損得勘定無しで仲良くしてくる友人は、黒川にとって何より大切な存在でもある。


「――さて」

そんな彼が最も注視している仕事……それは。


「あの、僕の顔に何かついてますでしょうか?」

主人が連れてきた人間が果たして早乙女家と関わりを持つにふさわしい存在であるか、というものだ。


※後半に続きます。

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