第3話 本当の気持ちは……
秋音は走る。
廊下ですれ違うクラスメイトに話しかけられようとも止まることをしない。
呼吸を弾ませて、腕を振り、全力で走る。
心臓が痛い。
体の熱が収まらない。
思考が鈍り、うまく頭が働かない。
けれど、裕作の言葉が忘れられない。
彼の事を思うと、いつも胸が苦しくなる。
顔は真っ赤に染まり、息もすることがままならない。
いつもは精一杯我慢しているのだが、時々彼の言動や行動でこの気持ちが耐えられなくなる。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えになり、ようやくたどり着いたのは職員室前にあるトイレだった。
ここは各学年の教室から少し遠く、職員以外にはあまり利用されない場所だ。
秋音はそこへたどり着くと、標識などにも目もくれずそのまま勢いよく男子トイレに入っていく。
中には案の定だれもおらず、今日もほとんど使われた形跡もない。
隠れるには絶好の場所といえる。
個室のトイレに入り、ドアを勢いよく閉めた。
その瞬間、溢れそうだった想いを吐き出すように天井に向かって長いため息を吐いた。
「なんなのよ、もう」
閉めたドアに背中を預けると、力が抜けてスルスルとそのまま体を縮めていく。秋音はその場で座り込み、俯いて顔を膝にうずめた。
体を可能な限り丸めた体育座りのまま、秋音は心の中でつぶやいた。
――落ち着け、落ち着け。こんなの、大したことないんだから。
何度も自分を諭すが、この気持ちはちっとも収まってくれなかった。
この気持ちの意味を、秋音は理解していない。
いや、理解しようとしていけない。
この気持ちは◆なんかじゃない。
■■になってはいけない。
裕作の事なんて、■■じゃない。
彼に◆なんて、しちゃいけない。
その理由は至極単純だった。
裕作がこれほどまで秋音の気持ちを察していないのも、
秋音はこれほどまで裕作に気持ちを伝える事が出来ないのも、
一人こうして、男子トイレに籠って自分の気持ちを押し殺しているのも、
それは、早乙女秋音は男だからだ。
声や顔立ちは女の子に引けを取らない程、秋音は可愛らしいが、彼は男だ。
かわいいものを愛する彼は、自分もかわいくありたいと思い可憐な服装を身に着けるようになった。
漫画やアニメに出てくる少女のように生きたい。
テレビで歌って踊るアイドルのようになりたい。
誰かに、可愛いと言われる存在であり続けたい。
努力と苦悩の末に秋音は、数えきれない失敗と忘れられないようなつらい過去を乗り越えて、男の娘になった。
今となっては誰もが認める可憐で完璧な存在となり、男女共に魅了している。
その存在は、幼く可愛らしい少年を表す「ショタ」でも、美形の顔立ちをした「美少年」でも定義出来ない。
彼は男にして女の子のようになりたいと願い、それを叶えた『男の娘』なのである。
男の娘になる為に、彼は色んな覚悟をしている。
努力を惜しまない事、常に自分が思う可愛いを追求する事。
そして、誰に何と思われようとも折れない事。
今となっては他人にどんな暴言を吐かれようとも、どれだけ酷い仕打ちを受けようとも自分が男の娘であることを辞める気はない。
もう何があろうと、自分を偽ることなんてしない。
しかし、たった一人。
親友である裕作には、この気持ちを言ってはいけない。
「だって、卑怯だもんね」
誰に言うでもなく、目元に溜まった涙の代わりに言葉を紡ぐ。
「沙癒、あんたが先だったんだから」
秋音と沙癒。
彼らは二人とも男の娘であり、同じ人を好きになってしまった。
これは運命か、それとも必然か。
神様は心を与えてくれた。
けれど、この気持ちを抑える術を教えてくれなかった。
本当に、この気持ちがフィクションであれば、どれだけ良かっただろうか。
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