みえる【2】

榊亨高

プロローグ

 七月初旬の金曜日、午後五時。

 音楽教室のガラス扉が開き、グループレッスンを終えた複数の幼稚園児がレッスンリュックを背負って、勢いよく走り出す。


 子供らの背後に続くのは、レッスン後の感想を言い合う保護者たちだ。廊下を通り、階段を降りていく。



 中学二年生の松本希まつもとのぞみは、すれ違う生徒たちや保護者へ「こんにちは」と軽く会釈と挨拶を交わし、受付へと向かった。



「こんにちは! いつもより三十分くらい来るの早いね」



 受付カウンターから、杉野薫すぎのかおるが時計と希を交互に見つつ声をかける。



「こんにちは。今日は部活が休みだったので早く来れました」


「へぇ、そうなんやね、休みでよかったやん」


 杉野はそう言うと、ニッコリ微笑みパソコン画面へ目線を移し、事務作業を再開した。


 希は背負っていたバックパックを下ろし、レッスン部屋の扉目前に配置されているソファに腰を下ろした。



 老舗の音楽教室のため、築年数が古く、レッスン部屋の扉は密閉度が弱くなり、音が漏れていた。また、通常のレッスンとは違い、音楽教室主催のコンサートが近日中に控えているので、コンサート会場を想定した練習だったからか、普段より大音量だった。


 聴こえてくる演奏は完成度が高く、希は自然とリズムを取った。迫力や勢いのある音がちゃんと出ているなと感心しつつ、バックパックから数学のテキストを取り出し、中学の授業内容を復習することにした。



 時計の針が午後五時三十分を回ったあたりで、レッスン部屋の扉が開き、小学校高学年クラスの生徒数人が受付フロアへ出てきた。


 希は数学のテキストをバックパックにしまい、挨拶を交わそうと顔を上げると、レッスン部屋の中から、モクモクと黒い煙がこちら側へ漏れ出ているのが視えた。



 希は突然の黒い煙に驚いて、身体が硬直した。


「希ちゃん、どうしたの? 顔色が悪いよ?」


 杉野が受付カウンターから身を乗り出して希に声をかけると、希は咄嗟に身体をのけぞり杉野を凝視した。


「ごめんなさい、びっくりしちゃって」


「大丈夫? 何か変だよ? レッスン出来そう?」


「えっと、その……」



 希はレッスン部屋をチラリと横目で見た。


 羽田野静子はたのしずこというピアノ講師が、部屋の中から笑顔で希を見ていた。



「希ちゃん、こんにちは。具合悪い? 大丈夫?」


「うっ……」


「希ちゃん?」



 希は羽田野から目を逸らせない。背筋が凍りつくような感覚で、立ち上がることが出来なかった。



 黒い煙は羽田野の身体から溢れ出し、地を這うように流れていた。

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