第9話 世界が変わった瞬間1

 ある休日、雪子は正太郎の家を訪れ、勉強を教わっていた。

「次、この問題を解いてみろ」

「……解ける気がしないんですが」

「前のページの問題が解けたんだから、考えればわかるはずだ」

 二人で言い合っていると、正太郎の部屋に、正太郎の母親である聡子さとこが顔を出した。

「正太郎。今、小百合さゆりさんと圭子けいこさんがいらしているの。降りてきて挨拶なさい」

小百合さんと圭子さんとは、聡子の親友で、堀宮家と家族ぐるみの付き合いがあるらしい。

「……わかりました」

正太郎は、雪子を部屋に残し、一階へと降りて行った。


「あらあら。正太郎君、久しぶりね。立派になって」

「勉強頑張ってるんですって?偉いわね」

「お久しぶりです、小百合おばさん、圭子おばさん」

二人は昔から正太郎の事を知っているので、まだ子ども扱いする所がある。

 仁科にしな小百合は、少しふくよかな体型で、眼鏡を掛けている。その柔和な笑顔は、人を安心させる効果があるようだ。

 大島おおしま圭子は、黒い髪を後ろで一つに束ねている。瘦せ型で、凛とした印象を与える。

 挨拶を済ませると、聡子の親友二人は、テーブルに写真を広げ始めた。

「物置を整理していたら、昔の写真が出てきたの。そしたら、久しぶりに昔の話をしたくなって、持ってきちゃった」

小百合が言った。

「これが、女学校を卒業した頃の写真。これは、正太郎君が生まれる少し前の写真でしょ。こちらは、正太郎君が生まれた後みんなで集まった時の写真……」


 何となく居間を離れるタイミングを失った正太郎は写真を眺めていたが、気になる事があった。聡子やその親友二人以外に、頻繁に写真に写っている女性がいたのだ。

「……この方は?」

正太郎は、オシャレな洋服を着た、肩くらいまで髪の毛を伸ばした女性を指さした。

「この子は、私の妹の明美あけみよ。……もう病気で亡くなったけど」

圭子が、少し微笑んで答えた。

「そうでしたか……」

正太郎はそう答えると、写真をじっと見つめて、何か考え込むようにしていた。

「今度、明美さんのお墓参りに行こうと思っているの」

聡子が口を開いた。

「正太郎、墓参りに同行しなさい。……無理にとは言わないけど」

「……行きます。行かせて下さい」

正太郎は、はっきりと答えた。


 部屋に戻った正太郎は、引き続き雪子に勉強を教えていたが、どこか上の空だった。

「どうしました?正太郎さん」

「……何かあったように見えるか?」

「はい」

「……そうか。まあ、今度機会があったら話す」

 勉強が終わり雪子が帰ろうとしていると、玄関で聡子に呼び止められた。

「雪子さん」

「はい」

「……今度、私の亡くなった親友の墓参りに行くのだけれど、正太郎と一緒にあなたも同行してくれないかしら」

「私ですか?」

「ええ。……あなたが良ければだけど」

何故関係ない雪子を誘うのかわからなかったが、雪子は「わかりました、行きます」と答えた。


 数日後、雪子達三人は大島明美の墓の前で手を合わせていた。雪子がちらりと横を見ると、正太郎が真剣な表情で眼を瞑っていた。

「今日は付き合わせて悪かったわね」

帰り道、聡子が二人に言った。正太郎は、真顔で答えた。

「いえ、お墓に行けて良かったです。……今度、明美さんの話、もっと聞かせて下さい」

聡子は歩みを止めた。

「正太郎、あなたやっぱり、気付いてたのね……」

正太郎は、何も言わなかった。

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