第43話 愛されたことのない人は愛し方がわからない。
我が子の愛し方がわからない。
そんな声を昨今、耳にします。
テレビドラマでも親子間をテーマにしたものは多いですし、私の小説にもその分野の関心事がたくさん取り入れられています。
親から愛されたことのない子供も、いつかは成長し大人になる。
そして子供を産み、子供を育て。
ぎくしゃくしながらも今度は親となり、子を守る立場になる。
幼少時、虐待されていたり、良い見本となるべき親の姿がない子供たちは、親となり、自分でどうしていいのかわからなくなるという。
子供を愛せず、自分のことが嫌いだからというほんの些細な理由で自分の分身である我が子も遠ざける。
人間は親子関係が原点になっている。
親と子の関係があり。
そして兄弟の関係があり。
父と子。
母と子。
ファミリーとしての自分の立ち位置を学ぶ。
そこから更にコミュニーティーを広げ、仮に学校へ行くことになっても、どこへいっても親子関係が基本になる。
先生と生徒の関係があり。
友達との関係があり。
部活動。
先輩から上下関係を教わり。
そして社会人となり、今度は上司と部下。
同僚の関係を学ぶ。
会社ではお得意様や関連企業との関係を求められ。
お客様の対応、社内での自分の立ち位置。
グループ会社との関連性。
色々なところで人間関係はついて回ってくる。
このリレーションシップができないと、人間関係はとても窮屈なものになり、生きているのが、とてもつらいものになってしまう。
進むも地獄。
さがるも地獄。
息をしているのも苦痛に感じられ。
やがて八方ふさがりになり、ついには精神に異常をきたしてしまう。
つらつらと書きましたが、その根底にあるのは、すべて親子関係です。
この親子関係の部分でつまずいてしまうと、あらゆる対人関係において、良好な人間関係が築けない状態を産みます。
自分のことしか考えない人、自分しか愛せない大人へと成長を遂げるわけです。
絶えず他人に対して攻撃的な目を向ける人は、親子関係、兄弟関係がそもそも破綻しているように思います。
どんなに仕事ができても、このコミュニケーション能力が欠けていれば、社会に出てもやはり成功することはないでしょう。
親から愛された経験のない子供は、そういう意味で心に十字架を背負っているようなものかもしれません。
他人を許容することができず、人を愛することができず、その原因が、親子関係に起因するといったら、あなたは笑うでしょうか?
どんなに家柄が恵まれ、物質面や金銭面で恵まれようとも、愛を受けて育てられなかった子供は、のちのち致命的な欠陥が露呈し、その後の人生を大きく左右する場面に出くわす。
ただし、猫や狐、熊、狸。これらの動物たちは幼少の頃だけしか親と関われず育つので、人間の社会だけが少し、いびつで、過保護なのかもしれません。
愛がなくても、たしかに人は幸せを手に入れることができます。
しかし愛があれば、人生は2倍にも3倍にも輝きを増します。
猫を含め、人間を含めた動物は、いつか親元を離れ自立する時を迎える。ある意味、親と長い時間、同居できるのは人間だけのような気もします。
これがよいことなのか、それとも動物のように、親元を離れて暮らすのがよいのか、私にはよくわかりません。
現代社会は核家族から形態を変え、シングルな世帯が増えつつあると言います。
貴重な体験が親から子供たちに受け継がれることなく、親と子の関係も希薄になってゆくこの現象は、子供たちにとってもとても大きな損失だと思いますが、これも時代の流れなのでしょう。
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