第42話 いい音楽、良質な文学に触れる。

  人はなぜおいしいものを食べたがるのでしょう?

 いい音楽に触れ、いい映画を観るのにはわけがあります。


 人はただ生きればいいというわけではありません。

 よりよく。

 より少しでも進歩ある暮らしを望んでいます。


 だから安くておいしいものを食べようと食堂を回ったり。

 いい映画、いい文学に触れようとお金を払って時間を買うわけです。


 ごはんなんて、何を食べても一緒だ。

 食べられればいい。

 そう思う人は少ないでしょう。


 やっぱり人であるからには、少しでもおいしい料理に触れたいと思いますし、心を豊かにしたいと思うのではないでしょうか?


 感情を豊かにするという行為は、どこかで心を分かち合いたいという思いに、つながっているような気がします。


 すぐれた文学、情緒豊かな音楽、歌詞に触れ、誰もが心を豊かにしたいと切望し、感情を共有したいと願うわけです。


 そこには当然、そうそう、その気持ち。

 たしかに理解できる。

 とか。


 そんなに恐ろしいことが果たして人間にできるのかしらとか。

 未知なるものに触れたい願望へとつながる。


 人が、もし進歩を望まない生き物なら、新しい音楽を聴きたいとも思わないでしょうし、真新しい文学に触れることも、映画を観て感情豊かになりたいとも思わないでしょう。


 人間は心のどこかで進歩を望んでいて、感情を他の人と共有したいと願っている。


 つらいときには、つらい気持ちをわかってくれる歌。

 また悲しいときには悲しい心を代弁してくれる歌。


 心を鼓舞してくれるような、自分を癒やしたり、励ましてくれるような映画を望むわけです。


 もし何もしたくない。

 自分は変わりたくないし、音楽にも映画にも文學にも興味がない。

 マンガなんてくだらない。

 なんにも影響を受けたくない。


 もしそういう人がいるとすれば、少しお疲れモードで、心を患っているのかもしれませんね。


 良質な音楽に触れ、良質な文学書を手に取り、心がゆさぶられるような映画で身を焦がす。


 それらはすべて自身への成長へとつながり心を豊かにします。

 心のチャクラは常に開いておくべきです。


 そして心の成長に合わせ、目に触れる音楽や文學も縦に横に範囲を広げていくべきだと思います。


 心は八の字のように、末広がりでなければいけません。

 収束するように閉じてしまっていては未来は永遠に開きません。


 1点に、とどまってはいけません。

 1点突破、全面展開です。


 転がる岩には苔が、はえぬといいます。

 多くのものを吸収し、そして不要なものを体からそぎ落としてゆく。

 その繰り返しで人も心も磨かれるのかなと思います。


 体に付着した苔を落とす作業が、いつの時代も必要になってくるように思います。


 転がる岩になってください。

 苔で体が覆われることのないよう気をつけてください。

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