第26話 人は苦しむため、この世に生を受ける。

 四苦八苦とは生、老、病、死の四苦と、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の4つをあわせたものをいうそうだ。


 愛別離苦 …愛する者との別離。

 怨憎会苦…怨み憎んでいる者との再会。

 求不得苦…求めるものが得られないもどかしさ。

 五蘊盛苦…人間の肉体と精神が思うようにならない様は人間の力ではどうすることもできず、まさにどうにもならないもどかしさである。


 人間は苦しさから解放されることは永遠にない、そう言い切ってしまってもかまわないと思う。


 苦しむため、この世に生を受ける。

 そういっても過言ではないくらい、悲しみや苦しみは日常に溶け込んでいる。


 人はなぜ産まれるのか? 

 そして、なぜ生きるのか? 

 ある日、私はそんなことを考えて、数ヶ月を過ごした。


 答えはすぐには見つかりませんでしたが、ある日、偶然、映画で答えを見つけました。


 人の役に立つこと、それが生きることにつながるのだということを遅れて知りました。


 生きることは、それだけでつらい。

 順風満帆に過ごしているうちは感じない苦しみも、1度、苦しみに取り憑かれてしまうと、なかなか負のスパイラルから抜け出せない。


 苦しみを一度も味わったことのない大人を残念ながら私は知らないし、多かれ少なかれ、人は何らかの悩みを背負って生きている。


 私は今まで、お金で苦労してきました。

 追えば追うほど逃げてゆく札束を求め、20代を過ごしました。


 金持ちになりたい。

 周りに、そう公言していましたし、短い間ですが起業したこともあります。でも歳を取り、お金持ちになることが叶わない夢だと現実的に悟りました。お金よりもっと大切なものがあることも知りました。


 ただ救われているのは、小さな病気こそするものの、命を奪われるような大病とは無縁に過ごせたことです。


 この先どうなるのか、自分にもよくわかりませんが、健康というジョーカーだけは手放したくないなと思っています。


 この世に、もし私の存在が無用だと神様が判断したら、もしくは何か大切なものの犠牲になるよう神様に勧められたなら、私は潔くその誘いを受けることができるのだろうか?


 せめて80才位まで、穏やかに過ごしたいと思っています。

 孫に囲まれ、私の若い頃はこうだったんだよって、写真を見せながら失敗談を語り合えたら、どんなに素敵だろうなって思う。

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