第8話 ハッピーバースデー”レイドヴィル” 一
十月某日、四季のあるアルケミア王国において少し肌寒くなってきたある朝の事。
清々しい朝日を取り込む気配も無い、やや勿体無い暗い部屋の中、六人の大人達がちょっとした悪巧みを行っていた。
「いよいよ今日がやってきたわね、ヴィルの喜ぶ顔が早く見たいわ」
美しい銀髪をボサボサにした女が、やや眠気を残しながらも期待に胸を膨らませる。
「ああ、いつもあまり構ってあげられていないからね。この特別な日くらいは何事も無く一緒に過ごしたいものだ」
切り揃えられた鮮やかな金髪の男が日々の罪悪感を吐露し、胸の内の不安を語る。
「今日のために騎士団の仕事を全部調整したんすから、心配ないっすよ」
短い青髪のこの部屋で最も緊張している男が、計画の綿密さをもって慰める。
「ええ…舞台は整いました…存分にレイドヴィル様をお祝いするとしましょう」
暗闇と同化したような女が生まれてきてくれた事への感謝を伝えようと、改めて皆の意思を確認する。
「今日一日はヴィルくんが主役の日。全力で楽しんでもらわないとですね!」
橙色の髪を持った女が、自分を慕う男の子の為の幸せな未来を描く。
「こちらの準備は万全です。我々も微力を尽くさせていただきます」
この場で一歩引いた立ち位置に立つ女が、使用人の総力をもって協力する事を宣言する。
「さあ、始めましょう。プロジェクト
こうして大人たちが集まったのは他でもない、本来受ける事ができるはずの扱いを受けられない、極めて特殊な立場にある少年の誕生日を祝うため――
志を同じくした、文字通りの同志が六人。
屋敷の中、運命の一日が、始まる。
―――――――――――――――――――――――
同じ日の朝、レイドヴィル・フォード・シルベスターはちょっとした違和感に眉を顰めた。
それらは全て本当に些細な事、大らかな人物であればそんな事もあるかと受け流してしまいかねない些事だ。
例えば、普段のルーティーンとは違う動きで使用人たちが仕事をしていたり、妙に忙しい筈の騎士団員達の姿をよく見かけたりと、その程度の事に過ぎない。
レイドヴィルは常日頃から、よく人間観察を行っている。
これは趣味ではなく、父であるヴェイクに教わった事である。
曰く、「その人の歩き方、仕草、表情などを見ればおおよその
ヴェイクは剣の達人である。
彼は旧姓をジュラークといい、代々優秀な騎士を輩出してきた由緒ある名家の出身だ。
ヴェイクはそこの次男として生まれながら、兄を上回り剣聖にも届こうかというその剣の腕から将来を有望視されていた。
その時のヴェイクは王国正騎士団に所属していたのだが、
幾度かの見合いを経て結婚へと至り、入り婿という形でシルベスター家へと名を連ねる事となったのだ。
そんなヴェイクは戦闘経験も豊富で、剣士魔術師を問わずある程度観察をするだけで、相手の実力を見抜く事の出来る観察眼を手に入れるに至っている。
実際に尊敬する父が色々な人の、見ただけで分かる事から分からない事まで言い当てたのを見て、真似を出来るようになろうと日々データ収集を行っていた。
そんな日々が彼に違和感を覚えさせたのだ。
しかしだからといって、レイドヴィルの毎日の訓練の何かが変わる訳ではない。
いつも通りの準備運動、いつも通りの訓練内容、いつも通りの平凡な日。
その筈だったのだが――
「ベル姉、なんで今日の授業は闘技場なの?」
「どきり」
習慣となっている人間観察が生きたのか、的確に違和感を指摘され、作戦の第一段階を任せられたイザベルの額に冷や汗が浮かぶ。
「い、いや~、今日は…………そう!ヴィルくんがまだ魔術を使いこなせてないって聞いてね。アドバイスやら何やらをしようと思ったんだよ!うんうん、さっさ始めよー」
汗をだらだらと流しながら、目線をあちらこちらへと泳がせながら話しているイザベルはもはや動揺を隠しきれていないが――
「ベル姉がそう言うならお願いしようかな!なかなかうまくいかなくてさ……」
なんちゃらは盲目というあれだろうか、かなり無理のある状況だったが何とか誤魔化す事が出来たらしい。
イザベルがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は別の事に頭を悩ませる。
それは、
「って言ってもなぁ、固有の魔術となると感覚は人それぞれだからね。どの辺が難しいの?」
「無詠唱はなんとかできるんだけど、まだ実戦で使える状態じゃないっていうか……どうにも魔法陣の変数部分が複雑すぎるんだ。構築にも時間がかかるし……」
この場合の魔法陣とは"魔法"を発動する"陣"を指すのではなく、"魔"術の"法"則を示した"陣"である。
レイドヴィルの言う変数部分とは、魔術を発動する際の基礎となる記述ではなく、その場その場に応じた掛ける対象についてや、消費魔力や威力の設定についての事だ。
普通魔術師は無意識にその変則部分を入力しているのだが、レイドヴィルの持つエネルギー操作魔術は基礎の記述が複雑過ぎて、素早く変数を入力する構築の段階で術式が負荷に耐えられなくなってしまうという問題を抱えていた。
急いで入力しなければ発動は出来ようが、それでは実践で使えるレベルには程遠い出来になってしまうと、レイドヴィルは悩んでいたのだ。
うんうんと声を出しながら頭を悩ませるレイドヴィルの為にも、何とかアドバイスをしてあげたいと、サプライズを誤魔化す事も忘れ、一教育者として考える内にイザベルはふと思う。
「ん?詠唱は省けるんだ?それならさ、術式を構築する前に魔力を練ってから発動して魔力を流し込めばいいんじゃないかな?」
イザベルの言葉を聞いてハッとした表情を浮かべたレイドヴィルが、早速試そうとばかりに両手を目の前にある石に向かって突き出した。
流石レイドヴィルというべきか、少しものを教えただけでもすぐに自分なりに理解し、実践に移ってしまう。
ただ今回ばかりは唸りながら集中するレイドヴィルも、あまり上手くはいっていない様子だ。
手を向ける石には僅かばかりの変化も見られない。
それを見かねたイザベルは、もう一段階先の助言を送る。
「自分の中にある魔力をそのまま使うんじゃなくて、より魔術用に特化した魔力になるように工夫するんだよ。強力な魔術師なら無意識でやってることなんだけど、私の研究過程でそこの理論化に成功してね。今から私もヴィルくんに魔力を流していくから、そこから感じ取って」
レイドヴィルの肩に軽く手を置き、じわじわと練られた魔力を流してゆくイザベル。
その柔らかな女の子特有の感触に少し体を強張らせたレイドヴィルだったが、魔力を感じ取っていく内にそれも段々と気にならなくなってくる。
意識を、自分の内の魔術演算領域へと潜らせていく。
次に魔方陣を描く。
複雑怪奇な魔術式が刻まれる様子を外ではなく内にイメージして、形作る――。
すると、最初は掌の上に浮かんでいた魔法陣がゆっくりと薄れていく。
それと同時に目の前の石が世界の理に反し、徐々に持ち上がって浮き上がる。
レイドヴィルは成功を喜びたい衝動に駆られるが、今は我慢、魔術の継続に全力をつぎ込む。
それから十秒と少し、魔力供給の途絶えた術式が掻き消え、浮遊していた石が地面へと落ちた。
「やった!できた!」
興奮した様子で拳を握るレイドヴィルを見て、イザベルも自分の事のように嬉しそうに微笑む。
「うん、よかったねヴィルくん!」
「ベル姉のおかげだよ!ありがとう!!」
満面の笑みを浮かべるレイドヴィルだが、まだ気は早い。
あともう一つ重要な課題が残っている。
「あとは常に魔力を練った状態で維持する練習をしないとね。体内で魔力を生成する端からどんどん練り上げていくんだ。私もまだ意識してやるのは難しいけど、これだけ呑み込みが早いヴィルくんならきっとすぐにできるようになるよ」
指をふりふりと振りながら説明するイザベルに対して、レイドヴィルは素直に頷く。
その反応に満足の頷きを返し、イザベルは思い出したかのように時計を見ると、わざとらしく空を指差し大声を上げる。
「よぉし、そうとなったらさっそく特訓だぁ!見ててあげるからどんどんやってみよう!」
「おー!」
ノリ良く一緒に拳を天に突き上げる二人。
危うく忘れる所だった、与えられた任務を無事達成したイザベルは思った――これで何とか時間は稼げそうだ、と。
―――――
時は夕刻。
レイドヴィルとイザベルが魔術の模索をしている内に、日が沈み掛ける程の長い時間が経過していた。
あーでもないこーでもないと話し合っている二人の下に、メイドのエマが到着する。
言うまでも無い事だがエマもまた今回の計画を知り、サポートするメンバーの一人だ。
その彼女をちらと見たイザベルが目にしたのは、あらかじめ決めておいた準備完了のハンドサイン。
舞台は整った――
「っと、少し早いけど夜ごはんの時間だね。さあ行こー!」
「――ふむ」
だが肝心のレイドヴィルが手を顎に当て何か考え込んでいる様子だ。
もしや何か勘づかれたのか。
「そうだレイドヴィルさま~、訓練の進捗度合いはいかがでした~?」
「ん?ああ、かなりいい感じだよ。これまで悩んでたのが噓みたいな進み方だった。これもベル姉のおかげだね!」
「ふふん、よせやい。この借りはヴィルくんが大人になったときにでも返してくれればいいからねー」
「うん、絶対返す!」
「そういえば今日は――」
イザベルとエマ、二人がかりで話しかけることでレイドヴィルに考える隙を与えない。
しかし今日はレイドヴィル本人の誕生日。
いつまでも誤魔化せるものではなく、寧ろここまでよくもったものだろう。
けれどもう誤魔化す必要はない。
舞台である南棟はもうすぐそこだ。
「レイドヴィル様。今日の夕食は南棟で行いますから、ささこちらへ~」
「――ふむ」
案内されるがまま南棟へ入り、もう誤魔化すのも面倒になったのか畏まった服装へと着替えさせられて、レイドヴィル、イザベル、エマの三人はダンスホールへと向かうのだった。
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