第24話 どこよりも幸せな朝


前日とちがって、余裕のある朝だった。


制服に着替えてくるよう佐久間さんに言って、俺はその隙に朝ごはんへと取り掛かる。


「私、何か作ろっか!?」


と彼女はやる気を見せてくれたが、俺は断った。

一刻一秒が大切なのが朝である。また食材をぶちまけられたら、話にならない。


俺は、六枚切りの食パンを二枚用意し、トースターへとかけた。


一方で、手早くフライパンでは、ベーコンを焼き、その上に目玉焼きを垂らす。


蓋をして一分半程度がいい頃合いだ。火から下ろしたところ、ちょうど食パンが焼き上がる。


パンに、バターではなく、ごま油を染み込ませるのがポイントだ。卵を乗っけたところ、 


「朝ごはんの匂いだ!」


玄関扉が開き、耳かけショートカットの美少女が家に入ってくる。

朝日を背中から浴びて、逆光なのだが、その笑みは輝きに満ちていた。


「手際いいね、こんなに早いなんて!」

「まぁ朝は手抜きだからなぁ」

「手抜きじゃないよ、これだけやってくれたら、絶対美味しいもん」


足を上げてローファーを脱ぎながら、絶賛してくれる。


インスタントスープの用意だけお願いして、ローテーブルを二人で挟んだ。


朝のルーティンでついテレビをつければ、まだまだ話題は『アイドル・佐久杏子』のことで持ちきりだった。


2日くらいで冷めるような話題じゃないらしい。


「久々に食べるなぁ、朝ごはん」


日本中からの関心を受けてなお、彼女の注目は、あくまで俺の用意したタマゴのっけパンだ。


きらきらの瞳で、大きく齧り付いて、熱い熱いと息をほわほわさせる。


口をいっぱいにしている姿も、やはり可愛い。俺的にはこの絵が、一番刺さるかもしれない。


「いつも朝は抜いてたのか? 一流アイドルさん」

「まぁ、あんまり食べなかったかも? そもそも現場入りとか早いとね、なかなか時間も取れなくてさ」

「食べた方がいいぞ、これからは。

 それだけで活力になるし、長生きもできるらしいしーー」


と、自分で言っていて、なんだか中年の説教くさいなと思って、ここで言葉を止める。


たしかに、と彼女は少しだけ口角を上げた。それから一度パンを置き、手に顎を乗せ、俺の顔をとっくりと眺める。


「これからは、ちゃんと食べようかな。一緒にご飯食べてたら、正面から翔くんの顔もよく見られるし」

「……こんなもん見てどうするんだよ」


自分の顔を指して言う。

別に不細工だとも自分では思っていない。


かわりに少し童顔なくらいで、別に後は平均的だと思うんだけど。


「こんなもん、じゃないよ。私にとってみたら、ここでこうして眺めてるだけで価値があるもの」


なんとなく、気取ったようなセリフだ。

そして、俺には思い当たることもあった。


「もしかしてそれ、『アオイハル』の……」

「あ、ばれた? 本当に読んでるんだね、少女漫画」

「そもそもは、姉の影響だよ。まぁ『アオイハル』は自分で買ったんだけどさ」

「それもう、好きって言うんだよ。

 でね、昨日読んだシーンで、イケメン君がヒロインに言ってたんだ。格好いいなぁ、と思ってさ、私も言ってみたのですっ」


十巻で、色んな事情があり、ヒーローの住むお屋敷に引き取られた主人公が、初めての朝を迎えた時。


ヒーローがとろ甘い顔で、たしかそう言ったのだ。

見開き1ページ使っていたと思う。


言われる側ではなく、言う側に憧れるあたりが、押せ押せの佐久間さんらしい。


「でも、本当に思うよ。ここでこうして君の顔を見てたら、幾つまでも生きられるかもしれないなぁって」

「寝ぼけてる……?」

「ないよ、本気。長生きしすぎて、魔女になっちゃうかも!」


立てた人差し指を、魔法を発動するみたいにくるくる回してから俺へびしりと向ける。


かけられた魔法は、うん、俺の寿命を縮める魔法に違いない。さっきから心臓がバクバク跳ねて仕方ない。


「ね。私が魔女になっても、隣に置いてくれる?」

「シチュエーションが分からん。特殊すぎるだろ」

「細かいことはいいから、いいから♪ で、どうなの?」

「…………俺が先に死んでると思う」

「むー、答えになってるようでなってないよ、それ!」


可愛い、なんてものじゃなかった。思わず、パンを手にしていた手の力が緩む。


「危ないっ!」


ぽろりと落とした卵パンは、彼女が皿を下に構えてスーパーセーブしてくれた。ことなきを得たかと思ったが、


「佐久間さん……。自分のパンは?」

「あちゃあ……」


今度は佐久間さんのパンが、ひっくり返って、見事にスカートへオンしていた。


卵を半熟に仕上げていたのが、ここにきて裏目に出た。べったり、黄身がついてしまっている。


飛び散り方も最悪だ。


なんというか、絶妙に触れがたい、いわゆる絶対領域的な場所なんだけど……。


「せっかく翔くんが作ってくれたのに、私ったら……。た、食べるね、ちゃんと!」

「食べなくていいから、早く処理しないと! って馬鹿、ここでスカート脱ごうとするな!」


トマトといい、卵といい、よくドジをやるものだ。


でも、許させてしまうだけの愛嬌を彼女は携えている。


テレビの奥の人も、ファンたちも、彼女のこんな姿を知らないと思うと、妙に誇らしいような気もした。


まったく、騒々しすぎる朝だ。でも、どこよりも幸せな朝かもしれない。

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