鉄壁(6)

「うっ……!」


 眼前に迫る刃物に一瞬エルミアの顔が映ったように感じて、シュターレンベルクは身を強張らせた。

 驚愕から彼は、戦場では決して許されない行為をしてしまう──攻撃に対し、目をつむってしまったのだ。

 己の首を貫く刃を想像する──いっそ、楽になれるのでは? そんな考えが脳裏を過ぎる。

 殺気を前に立ちすくむシュターレンベルクの背を、その瞬間。強い力が押した。


「シュターレンベルクッ!」


 悲鳴にも似たその声に我に返る。

 陵堡に尻もちをついたシュターレンベルクを庇うように、小柄な姿が覆いかぶさってきた。


「大丈夫? ケガはない?」


 フランツだ。

 顔を真っ赤にして、必死の形相である。

 叫び声と共に、赤い雫が跳ねた。


 飛んできたナイフが陵堡の内壁に跳ねて落ちるのを横目で確認しながら、シュターレンベルクはそっと手を伸ばす。

 幼さの残るフランツの柔らかな頬に指を触れた。


「すまないな、怪我を……」


 パン屋の頬に一筋の赤が走ることに気付いたのだ。

 咄嗟にシュターレンベルクを押し倒して危険から救ってやった代わりに、自身が刃を受けてしまったのか。


「へ、平気だよ、これくらい! 掠っただけだよ。シュターレンベルクが無事で良かった」


 袖で乱暴に頬を拭って、フランツは跳ね起きる。

 シュターレンベルクの腕を引っ張るようにして助け起こした。


「それよりも、シュターレンベルク!」


「あ、ああ」


 危機的状況を察知した指揮官は階段を数段飛ばしで駆け下りる。

 背後に数人が続く気配。

 フランツとバーデン伯、それから陵堡の兵士が数名。

 シュターレンベルクの後を追ったのだ最後の数段を飛び降りたところで、門兵がこちらに一歩、二歩……近づいてくるのに気付いた。

 やけに遅い歩み。


「閣下……」


 兵士の表情は強張っている。

 シュターレンベルクがマスケット銃を抱えたと同時に、彼はその場に崩れ落ちた。

 背に大きな切り傷。

 たちまち石畳に血だまりが作られる。


 通用門は開いていた。

 そこから抜き身の刀を持った男が一人ずつ入ってくる。


「グイードを呼べ!」


 見張り兵にそう叫んでから、シュターレンベルクはまず一発。

 マスケット銃をぶっ放した。

 刃から血を滴らせた先頭の男が、どうと倒れる。


 やはり敵兵だったか。

 何故、指示を出す前に扉を開けたのだ。

 そんな早計な男ではない筈なのに。

 すでにこと切れた様子の門兵に視線を送る。


 いや、そうじゃない──避難民には門を開けるべきだと自分が一瞬躊躇したせいだ。

 指揮官としての迷いが、この男の命を奪ったのだと後悔が押し寄せる。


 待て──。

 シュターレンベルクの脳裏を嫌な残像がよぎった。

 巡視路への階段を登ろうとする瞬間。

 視野の端に捉えたのは、路地へと消える灰色の影だ。

 一瞬だったが、細くて背の高い姿は見えた。

 それは、ここにいる筈のない見慣れた姿。


「シュターレンベルク、爪噛むのやめなよ。赤ちゃんみたいだよ。しっかりしてよ!」


 フランツの声に我に返った。


「あ、ああ……」


 親指を、慌てて口から放す。

 今は目の前の危機に集中しろ。

 疑惑を追う暇はない。

 見張り兵から銃を奪うと、フランツに向けて放る。

 ついでに腰に提げた袋も。


「弾を込めろ」


「分かった! 任せて」


 こくこく頷く少年の様子を確認する余裕もない。

 マスケットを奪った見張り兵に対しては、広場(アム・ホーフ)の備蓄天幕から銃と弾をできるだけ多く取ってくるよう命じた。


「二十歩下がれ。そこで迎え撃つ。扉から入ってくる敵を順に撃つ」


 今度は上方の見張り兵に向かって怒鳴る。


「外には何人いる?」


 通路を巡視していた兵士が数名、慌てて陵堡に駆けつけてくる気配。


「さ、三十……いや五十近くいます」


「陵堡の兵を集めろ。上から外の敵を撃て」


 通用門の入口が狭いのがせめてもの幸いだ。

 入ってくるところを狙い撃てば、市内へなだれ込む敵の人数を絞れる。

 しかしこちらも銃兵の戦力は乏しい。

 自分とバーデン伯、それから見張り兵のうち二名だけだ。


 市内でオスマン兵お得意の白兵戦に持ち込まれては敵わない。

 後退しつつ銃で対応。

 援軍を待つ。


 だが、門からあまり離れられないという矛盾も。

 通用門から入った敵が、すぐ脇の階段を登って陵堡に上がることは絶対に許してはならなかった。

 鎖を巻き上げ、ケルントナー門の巨大鉄扉を開けられたら都市はお終いだ。

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