第34話 御守りと餞別
青天の霹靂である。
なんとなく、彼女はこの土地から離れることはないと思っていた。僕の力が及ぶのは彼女の住まう土地がせいぜいといったところだから、彼女は出て行けないだろうと高を括っていたわけだ。胡座をかいていたという方がしっくりくるかもしれない。
一応は神様と崇められる程度には力を持った怪異の類いである。その僕が見初めた相手なのだから、遠くに行けるわけがないと考えていたのだけど……まあ、僕も力が弱くなっているからね、繋ぎ止めることができなかったらしい。
「ええ……」
進学を機に引っ越しをすると聞いて、思わず声が出てしまった。
「そういうことだから諦めな」
彼女の兄である梓は報告に来たらしかった。穏便にことを運ぶために状況を報告し、義理立てしておこうという魂胆だ。
僕は腕を組む。
「諦めるも何も、僕と弓弦ちゃんは相思相愛のはずだけど?」
「今は認識されていないくせに、よく言うな」
梓に呆れられてしまった。
いやいや、彼女と相思相愛なのは嘘じゃないって。僕はその性質上意図的に嘘をつけないんだから、少なくとも僕の認識では間違いなく相思相愛なのだ。
「認識できないようにしたのはそっちじゃないか」
「弓弦はふつうの人間として生きたいと言っているんだ。それを尊重しようと思ったら当然だろう?」
「僕と一緒にいることで、漸くごく当たり前な日常を送れると思うんだけどな」
「どうだか」
軽くあしらわれてしまった。
「僕だって頑張っているのに。伝わっていないようで残念だ」
「オレに言われても、オレ自身はそういう力がどう働いているかなんてわからんからな」
確かにそうだ。梓は倉梯(くらはし)一族でも稀な体質の持ち主で、怪異を寄せつけない側の人間だ。
倉梯一族は怪異に干渉する力を持つ。怪異の力を増強させることもできれば発散させることも可能なわけで、怪異側からは怪異を従わせる者たちとして畏れられ、あるいは取り入ろうと近づく者がいる。僕は従う者であり、隙あらば取り入ろうとする者だ。彼女に拘るのも、そこが取り入るのに都合がよさそうだったからに過ぎないのかもしれない。
「むむ……しかし、外界に出るなんて無謀ではないのかい? みんなで引っ越すわけではないのでしょう?」
「親父たちはここに残る。弓弦が上京するにあたって、オレも向こうで本格的に生活することにした」
「梓くんの心配はしていないよ。でも、弓弦ちゃんは寄せつける体質だから」
「それは対策してある」
「対策、ねえ」
彼女の行動範囲に結界を張っておくつもりだろうか。それならそれで僕の力が必要な気がするのだけども。
梓の表情が曇った。ああ、なるほど。
「――でも、心配なんだね?」
僕が問えば、梓は顔を背ける。怒りで本心を誤魔化さないあたり、彼は少しは大人になったらしい。
「僕に弓弦ちゃんを諦めるように促しておきながら、手を貸してもらえないかって思っているわけだ」
「貴方はほかの怪異と違って友好的だから、な」
「友好的に振る舞っているのは、君の親父さんを畏れているからさ」
彼女の父親は怪異殺しとして名を馳せている。歴代でもかなりの能力者だ。正直なところ、敵に回したくない。
今はおとなしくやり過ごし、彼女を籠絡して力を取り戻すことを僕は画策している。自分からおおっぴらにすることではないので、問われない限りは黙っておこう。
僕が返せば、梓はこちらを真っ直ぐに見つめた。
「だが、貴方はオレの話に耳を傾けてくれる」
「うん。僕は梓くんのことも好きだからね」
さらりと返すと、梓はなんともいえない困ったような顔をした。
「別に好かれるようなことはしていないはずだが」
「弓弦ちゃんが梓くんを大事にしているのはわかっているから気にかけているんだよ」
「……弓弦が、か」
呟いて、彼は大きく息を吐く。次に梓が顔をこちらに向けたとき、彼の目には強い意志の光が宿っていた。
「取引をしないか?」
「取引? 神様を自称する怪異に対して面白い提案をするねえ?」
願うのは勝手だが、叶えるかどうかはこちらの勝手である。さて、何を取引しようというのだろう。
僕がニコニコして待てば、彼は懐から小さな小袋を取り出した。よく見れば御守りらしい。梅の花があしらわれた可愛らしい袋だ。
「この御守りに加護を注いでほしいんだ。他の御守りも用意してあるからそこに混ぜて、弓弦に選ばせる」
「それで?」
「もし、貴方の力が込められた御守りが選ばれたら、弓弦のそばで守ってほしいんだ」
この場での思いつきで持ちかけたわけではないらしいことは、その御守りが彼のお手製であることに気づいて理解した。彼なりに僕を頼ったということだ。
「ふぅん……。でもさ、他の御守りだって、僕みたいな怪異が力を込めたものなんでしょう?」
「ああ、そうだ」
「君が勝手にしていいことなのかい?」
探るように問えば、梓の顔はこわばった。
複数あるだろう御守りって、どう考えても倉梯一族に仕えてきた連中が力を込めているはずなんだよねえ。
別に僕は若い怪異でもないのだが、時代に合わせて強まったり弱まったりしているわけでずっと倉梯一族に関係していたわけではない。そもそも今の僕があるのは、彼女がとても強大な力を秘めていてその力の恩恵を得たからなのだ。
まあ、ちょっと接触の仕方に失敗して、親父さんに削がれてしまった哀れな身でもあるんだけど、そこは都合よく忘れておこう。
梓はわずかにかぶりを振った。
「……貴方が望まないなら交渉決裂で構わないさ。敵対したくない気持ちもわからなくはない。だが、悪い話じゃないだろう? この土地から逃れて弓弦のそばにいられるチャンスなんてそう巡ってこない――違うか?」
渡りに船なのは否定できないだろう。梓が考えに考えて訪ねてきたことは評価すべきだ。
僕は梓の手のひらに載せられていた御守りを手に取った。
「ふふ……恩を売ろうと思っているなら当ては外れたと考えて欲しいけど、面白そうだからね。公平に選んでもらうよ」
そう返して、僕は御守りに力を込める。彼女を守る強い力を、しっかりと念じた。
「はい」
彼の手のひらにそっと置く。梓の表情が明るくなった。
「これが選ばれなかったら、君が持っておいてよ。効果はそれなりにあるはずだから」
「そうやって予防線を張るんだな」
「心外だなあ。君にも頼れるものがあった方がいいだろうって親切心なのに」
倉梯一族宗家の嫡男でありながら、破魔の力も持たないのだ。従わせることができる怪異もいないばかりか、頼れる怪異もいないのだろうと思い至ってしまった。興味があるのは彼女のことばかりだけれど、その彼女が愛する肉親に対して興味を持つのは自然だ。少し手を貸すくらいなら、彼女の笑顔を守る名目で成り立つだろう。
僕がそう茶化せば、梓は少し膨れて御守りを握り締めた。
「親切心……そういうことにしておく」
「餞(はなむけ)さ」
「……感謝する」
用事は済んだとばかりに梓は踵を返して走り去った。僕は彼の背中が見えなくなるまで見守って、ふっと笑う。
二人とも土地から離れてしまったら、寂しくなるなあ。僕も一緒に引っ越せればいいのに。
全部を丸ごと動かすのは制限がついて回る。人の手を借りる必要もあるだろう。
「――自在に動ける程度の力を取り戻すまでは見守るだけだねえ」
頭上で香る梅の花を見ながら、僕は独りごちた。
《終わり》
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