第33話 8月6日。「また海に連れて行ってあげる」

  3


8月6日。

小雪と暮らし始めて、あっという間に数日が経った。

最近は入れ替わりが全く起こらなくなった。俺のそばにはずっと小雪がいてくれた。

結局、もう一つのトリガーが何かはわからないが結果的には良い方向に向かっているということだから、いつも通り過ごしていこうと思う。そして今日は、前から約束していた海に行く日だ。

「海に行くぞー!」

「お、おうー?」

「湊音テンション上げてこー!」

「上げてこー?」

小雪が拳を上に掲げて気合を入れる。俺も腕を引っ張っられ手を上に掲げる。

現在時刻は朝7時ちょうど。今日の小雪は寝起きもよく、くっついてこなかったので朝の準備はすんなり終わった。

ちなみに、最近は毎朝のルーティーンかのように俺にくっついてきて、嬉しいが少し大変だ。

何より、今日の小雪はいつもよりテンションが高かった。

それもそのはず、小雪が海に行くのは人生で今日が初めてらしい。俺たちの住んでいる山梨県は内陸で近くに海がない上に、河口湖周辺は山に囲まれていて海に行きにくかった。父親が忙しかった小雪は海に行く機会がなかったみたいだ。

「江ノ島にしゅっぱーつ」

小雪がそう言って、鍵を閉め家を後にする。外は仕組まれたかのようにも思えるほどの晴天だ。そういえば、最近はずっと晴れていたな。天気予報アプリは、予測不能という初めて見るアイコンで埋まっていたが、海に行く日に晴れていてすごく運が良い。

今日の目的地は江ノ島だ。

ここ河口湖から江ノ島までは、電車で3時間30分ほどかかるので過去に類を見ないほどの長旅になるだろう。

でも、どの海に行くにしても山梨から海のルートはどうせ3時間以上はかかるのでどこに行っても同じだ。

小雪は、動画サイトで江ノ島のブログ動画を見つけてずっと行きたがっていて、そんな江ノ島に一緒に行けるのだから3時間くらい我慢しようと思う。

「今日の服、似合ってる」

河口湖駅への道を歩いてる時にふとそう言う。朝からずっと思っていたけど、恥ずかしくて中々いえなかったがやっと言うことができた。

今日の小雪の服は、白っぽい花柄のシーアシャツに明るいグレーのスカートで、とても女の子を感じる服装ですごく好みだった。

家では見られない化粧もしていて、いつもと違う大人っぽい小雪に胸が高鳴る。

「でしょー、湊音が好きそうなお姉さん風の服を選んでみたんだ」

小雪は、今日の服を自慢するように、くるりとその場を回って風邪でスカートがふわりと可憐に舞う。

「ああ、すごく可愛いよ」

「え、ありがと…」

俺の真面目な雰囲気に少し驚いた様子で、もじもじしながら小雪が恥ずかしそうにそう言う。

その様子を見て、つい本音が漏れてしまったことに俺も恥ずかしくて俯いてしまう。それほどまでに今日の小雪は、とにかく可愛かった。

小雪とやりたいこと、行きたいところが沢山ある。時間はあるし、たくさんの思い出を小雪と作っていきたいと思う。


そしてそんな戯れの中、河口湖駅に到着してお供の駅弁を買い電車に乗り込む。

今では、駅弁の店員さんも俺のことが見えているみたいで普通に弁当を購入することができた。 

前まで散々無視されていたから急に誠実な接客をされると不思議な気分だ。まあ、もういろんな人に無視されるのはごめんだけどな。

ちなみに、代金は小雪が払ってくれた。小雪の家に暮らすことが決まって、自分の家に荷物を取りに行ったが何故か銀行のカードもお金も全て消えていた。

だから今は、小雪に養われないと生きていけないヒモ状態だ。今は家事や小雪のお世話でお返しをしている状況だ。もちろんお金が見つかったら還元していくつもりだ。

小雪は、何食わぬ顔で俺にお金を沢山渡してくるので、お金の面で甘えてしまうのは男としてよくない気がする。ダメ男になる前にこの問題はなんとかしなければ。

玄関の鍵も閉まっていたし、泥棒が入ってきた形跡もなかったから盗まれたわけではないと思うが、原因不明でとても不思議だ。

それにこの服も買った覚えがないが家にあったものだ。まあ、小雪がとても気に入っている様子なので良しとしよう。

ちなみに、今日の服は、俺の家にあった服の中から相性の良いものを小雪が決めてコーデしてくれたものだ。

服には詳しくないので、選んでくれるのはとても助かる。俺は、小雪に釣り合うような男になりたいから、もっと自分磨きの勉強をしようと決意したのだった。


そんなこんなで家を出てから3時間くらい経っただろうか。今は江ノ島に向かうため、江ノ電の始発駅である藤沢駅に到着したところだ。

今日の小雪は、本当にいつも以上に元気で笑顔いっぱいだった。小雪は、ずっと窓に張り付いて少しそわそわしながら外を眺めていた。小雪に、もししっぽがあったら、ぶんぶんと横に振っているだろう。


『次は、鎌倉高校前、鎌倉高校前』

電車に乗り込んで数分後、そんなアナウンスが聞こえてくる。

小雪が言っていた、綺麗な海が見られる場所というのはまだかなと思い窓を眺めていると、住宅街を抜けた電車の広げた窓からは今までのレトロな街並みの景色とは一変して、太陽に照らされ輝く海が目の前の窓一面に広がる。

「すごい綺麗…」

「だな…」

二人でそんな窓いっぱいに広がる海に見惚れてしまう。

いつもは、真逆の山という大自然に囲まれている俺たちは、海という別の種類の大自然に感動を覚える。

いつも近くで見えている富士山も、海の地平線の先に小さく見えている。富士山と、綺麗な海を一緒に見れるこの景色は脳裏に焼きついて小雪との一生の思い出になると思い、初めての海がここでよかったと早々に思う。


そんな景色を眺めていたら、あっという間に目的の七里ヶ浜駅に到着した。

「小雪、小雪さーん」

「は、ここは?」

「七里ヶ浜駅についたぞ」

電車のアナウンスすら聞こえないほど、景色に見惚れている小雪に声をかけて電車を降り、七里ヶ浜海岸に向かう。

まだ、海についていないのに小雪はずっとウキウキという感じで足取りが軽いみたいだ。七里ヶ浜海岸近くの、高校沿いを歩いて海に向かう。この高校は、学校から海が見えるわけだから、毎日この海が見られるのはすごく羨ましい。

そんな高校近くの道を歩いていくと、先ほどより近い距離で海が目の前に広がる。

「海だ、本物の海だ。いこ湊音」

「おう!」

小雪に手を引かれ、階段を降りる。砂浜のサクサクという感触を靴越しに感じる。小雪は、その初めての感触をとても不思議がって何度も砂を踏み締めていた。

「ねえ、湊音」

「ん?なんだ」

「私、ここに来れてよかった」

「少し早くないか、これからもっと楽しむんだろ」

「ふふ、そうだね。でも私、この景色を湊音と見れたたけですごく幸せ。本当に、連れてきてくれてありがとう」

「こちらこそ一緒に来てくれてありがとうな。俺も、幸せだ」

昔は、夢のまた夢だった場所。そんな夢を、3年の時を得て二人で掴み取って、小雪とこの景色を見れてとても嬉しかった。

「よし小雪。海、全力で楽しむぞー!」

「お、いいねー湊音。楽しもー!」

こんな陽気な感じは俺らしくない気がするが、せっかく夢が叶ったんだ。全力で楽しまないと損だろ。

「とりあえず着替えにいくか」

そう言って、海に入る準備をするためそれぞれの個室更衣室に向かう。

「湊音、覗かないでよ」

「覗きたいけど、ここにきて警察行きはごめんだ」

「もう、えっち」

そんないつも通りからかってくる小雪に、久しぶりに勝負してみたが、その勢いでとんでもないことを言ってしまった気がする。

小雪はあまり気にしていないどころかニコニコしていたのでよかったが、俺も海を前にしてだいぶ浮かれているみたいだ。

俺は、そんな冗談も交えて小雪と別の更衣室に入る。


そして、水着に着替え終わった俺は更衣室を後にする。小雪はまだいないので着替え中みたいだ。

男の俺は、ズボンを履くだけだからすぐ着替えが終わるが小雪は女の子なので色々と大変だろう。

そういえば小雪はどんな水着を着るんだろうか。頭の中でいろんな小雪の水着姿の妄想が浮かぶ。

うん。どれも可愛いな。あと、絶対えっちだ。そんな妄想をしていると、小雪の入っていた更衣室のドアが開く。

「おまたせ。湊音、この水着、ど...どうかな?似合ってる?」

着替え終わった小雪が、もじもじとしながら更衣室から出てくる。

気になる小雪の水着は、深みのかかった水色のビキニで、露出が高く恥ずかしいのか白いレースの上着を羽織っていた。

いつも髪を下ろしている小雪だが、今回は後ろにまとめてポニーテールにしていた。露出の高い水着だから、いつも見えないうなじが露わになった心臓が高鳴る。

「えっと、変…かな?」

レースの上着が海風でキラキラと舞っている小雪が、海の天女のように美しくて思わず返答を忘れてしまっていた。

「すごく似合ってる」

俺は、そう無意識に呟く。

「ほんと?サイズが合わなくなったから買い替えたんだけど、これにしてよかった」

「確かに昔のサイズはもう入らないな」

「なによー、太ったってこと?」

「いや、そういうわけではないんだけど…まあ、とにかく可愛いから大丈夫だ」

レースからのぞいている胸は、昔の水着のサイズでは収まらないだろう。

「湊音が気に入っているならいいんだけどさ」 

それと、さっきから他の男どもが小雪の水着姿をちろちろみていて気になる。

「よし、じゃあいくか!」

周りの男たちを犬のように毛を逆立てて威嚇しつつ、小雪を連れて海に向かう。

「あ、日焼け止め忘れてた」

海に行こうと日陰から出た時、小雪が思い出したようにそういう。

「じゃあ、そこ座っとくから塗ってきな」

女の子にとって紫外線は一番の敵だと聞いたことがある。

そう思い、近くの椅子に座りに行こうとすると、突然小雪に手を握られて止められる。

「その、日焼け止め湊後に塗ってほしいな…」

そう言われて日焼け止めを差し出される。

「えっと、自分で塗れないないのか?」

「ぬれない…塗ってよ」

いつまでも受け取らないことに痺れを切らした小雪は、日焼け止めを無理やり手渡してくる。

「今日、だけだからな…」

そう言って、近くのビーチパラソルの下に移動する。

今日の小雪は、珍しく強引だった。でも俺が変に意識してるだけで日焼け止めを塗るだけで、小雪も他意はないと思う。たぶん。

「じゃあ、塗るぞ」

「うん…」

ピーチパラソルの日陰にうつ伏せに寝転ぶ小雪の背中に日焼け止めを塗っていく。女の子らしい身体の柔らかさを手で直に感じる。小雪の背中はすべすべとしていて、日焼け止めを塗れているか不安になるくらいだった。

脇腹から手のひらを回して、お腹まわりにも日焼け止めを塗っていく。

「こんな感じで良いか?」

「まだ、太ももの内側塗ってないよ」

一通り塗り終えたと思ったやさき、小雪がそういう。

「ここは自分で濡れるだろ…?」

「今寝そべってるからむりかも」

どう考えても無理のある言い訳だ。そこは、意図的に避けていた場所だったが今日の小雪は許してくれないみたいだ。

仕方がないので、他の部位よりも慎重に日焼け止めを塗っていく。小雪の触れてはいけないところに指が触れるか触れないかの距離にも、手が触れないように塗っていく。

そんな小雪は、少しくすぐったいのか然りにビクッと体を震わせていて、触れてはいけないところに指が当たりそうで怖い。

「はい…終わったよ」

小雪にそう言って、日焼け止めの蓋を閉める。体に塗るだけなのに神経を使って海に入る前から少し疲れた。

「まだ残ってるところあるでしょ」

「残っている場所?」

体全体にしっかり塗ったし、残っている場所はもうないはずだが…

「ここ、まだだよ…」

そう言って小雪は、周りに人がいないことをいいことに肩のビキニの紐をほどき始める。

「ちょ、ちょっと何してんの小雪さん!?」

「自分じゃ塗るの難しいの」

「いや、そこは自分で塗ってくれ」

そう言って、小雪が紐をほどき切る前に大急ぎで日陰を走って後にする。まだ塗っていないというより、塗れるわけないだろ。

「ちょ、湊音!私も勇気出したのに…もう、みなとのへたれ」

走り去る前にそう聞こえたが、多分気のせいだ。なんだか、昔に比べてやけに大胆になっている気がする。


そんなこともあり、それからは海小雪ので満足がいくまで遊んだ。

小雪は泳げないみたいでずっと浮き輪で海にぷかぷか浮かんでいただけだったが、すごくたのしそうだった。

小雪は笑っていたが、浮き輪がひっくり返って少し溺れていたのを見た時は流石に焦った。この時初めて、小さい時に水泳を習っていてよかったと感じた。

子供っぽいけど、奢りをかけて砂の城を作って遊んだりもした。最終的には俺が負けたが、金を持っていないので結局小雪の奢りになった。本当に情けない。でも、小雪に買ってもらい食べさせてもらった海の家の焼きそばは世界一美味しかった。

それで、小雪のコミュ力で初対面のカップルを誘ってビーチバレーもやった。彼女さんの胸をチラ見したのが小雪にバレてすごい目で睨まれた。男だからつい見てしまったが気をつけよ。

それと、バナナボートにも乗った。小雪のお腹は柔らかかったけど、言うと怒られそうなので言わないでおいた。

こんな感じで、小雪がやりたいことは全部やれたと思う。

そうして気がついた時には、水色の綺麗な海は夕日でオレンジ色に染まっていた。今は、二人並んで砂浜に足を伸ばしながら座っている。

「あー、楽しかった」

「だなー、もう夕方だって。時間経つの早すぎる…」

やけに時間が早く過ぎたように感じ、そのくらい楽しかったということだと思う。

海を堪能しすぎて江ノ島には行けなかったのは残念だが、海を全力で楽しんでもう俺たちは満足だった。

「また来たいなー」

「じゃあ次、来年だな」

「それって、来年もずっと一緒にいてくれるっていう告白?」

揶揄うようにニヤけた顔で小雪がそういう。

「ち、ち、違うよ。また来年一緒に行きたいってだけ、深い意味はない」

本当は、深い意味しかないよ。小雪の言う通り、本当は、来年もその先も、ずっと俺のそばにいてくれ。そう言う意味で言ったのだ。

「あはは、冗談じゃんか。湊音焦りすぎー」

ほっぺをつんつんされる。

「本当に、焦るからそういうことを冗談でも言わないでくれよー」

告白は、まだ心の準備ができていない。ヘタレな俺だから少し時間が欲しい。

二人で綺麗な海を眺め、オレンジ色に照らされた青春を過ごす。

「来年もこようね」

ずっと海を見ていた小雪と目が合う。

「ああ、来年な」

薬指を交える。キラキラと夕日の色で輝いた小雪はとても神秘的で、天使のようだった。

こうして、小雪との思い出のページがまた1つ増える。来年もまた来られると良いな。

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