貯金箱

平川はっか

貯金箱

 お財布に千円札が一枚だけあります。自動販売機で百五十円のジュースを買いました。さて、お財布にはいくら残るでしょうか。答えは三百五十円。なぜならお釣りで出てくる五百円玉は貯金箱に入れないといけないから。


 さっきのお釣りの五百円玉を貯金箱に入れようとしたら口のところでつっかえてしまったので、眠っていたこうちゃんを揺り起こして報告した。

「こうちゃん、とうとういっぱいになったよ」

 寝ているところを起こされたのだから怒ってもいいのに、こうちゃんはわたしを抱き寄せ「おお、おお、やったな」と言うと、再び寝た。温かいこうちゃんの腕の中から抜け出し、ついにやったな、と貯金箱の丸い頭をなでる。指先にひやりとした感触が伝わってきた。


 こうちゃんと暮らし始めて一年七カ月。貯まったら旅行に行こうと始めた五百円玉貯金。お財布に五百円玉が存在していたら必ず放り込むというルールを設け、今までせっせと貯めてきた。週に数回、多いときは一日に三枚も入れる日もあった。所持金は四千円でも、五百円玉が四枚もあったせいで実質使えるお金は二千円なんて時もあった。そんなこんなで貯め続け、ようやく成就する日を迎えたのだ。喜びをかみしめ貯金箱を抱き上げる。

「おっも……」

 思わずうめき声が出た。お腹にずしんとくる重さだ。高さ二十センチ程の円筒形をした貯金箱は、頭のてっぺんが丸く、掌を乗せるのにちょうどいい。わたしがご飯を作る間手持ち無沙汰のこうちゃんは、よくスマホをいじりながらもう片方の手ですりすり撫でていた。小銭の量に応じて日に日に重たくなっていく貯金箱はまるで我が子のようだ。それはこうちゃんも同じみたいで、お金を入れる時「大きくなれよ」と声をかけていた。

 昼過ぎに目覚めたこうちゃんに

「ところでこれっていくら入ってるのかな?」

 と訊ねたら、「いくらって?」と聞き返された。

「ほら、よく三十万円貯まるとかってあるでしょ」

 この貯金箱は買ってきたものじゃない。引っ越し当日、こうちゃんの段ボールに入っていた。まだ眠そうなこうちゃんは「いくらだろうなあ」と首をひねった。開ければわかるよ、とさっそく開封に移る。しかしある問題が発覚した。貯金箱を斜めに傾け底を確認したこうちゃんが青ざめた顔で「開けるところがない」と言った。

ゴムかプラスチックの蓋がついているはずの底は、つるんとまっ平だった。それならと全体を確認するが、取り出し口は見当たらない。もちろん切れ目や突起などもない。この貯金箱は側面の一か所に小銭を入れる薄い口がある以外、穴がなかった。

「取り出せない」

「そんなあ」

 お腹もすいたので、昨日の残りの焼きそばを食べながら今後のことを話し合った。取り出し口がないので、壊すしかない。だけど表面は硬く、トンカチでもないと壊せそうにない。そして家にはトンカチがない。

「ホームセンターで買って来るか」

「お金を出すのにお金を出すなんて、もったいないよ」

「そもそもこれは何でできてるんだ?」

 こうちゃんが爪でつつくと、こつこつと音がした。硬くてひんやりしていて、光沢がある。プラスチックや陶器、ガラスでもない。金属でもなさそうだ。

「……大理石?」

「まさか」とこうちゃんは貯金箱の頭をぺしぺしと叩く。わたしがじっと黙っていると、もう一度「まさか」と言った。


 知り合いに石に詳しいやつがいるから聞いてみよう、とこうちゃんは貯金箱の写真を撮った。しばらくして、おそらく人工大理石だから、丸ノコで切れるという返事がきた。

「ノコギリなんて家にないよなあ」

 調べると近所にDIYスペースが借りられるホームセンターがあった。自転車に乗り、さっそく向かう。結局お金がかかってしまったが、その倍以上のお金(おそらく)をこれから取り出すのだからいいだろう、とこうちゃんに説得された。

 木材の香りのする店内を進み、図工室みたいな小部屋で借りてきた工具を準備する。こうちゃんが貯金箱に丸ノコの刃をあてると、耳をつんざく不快な音とともに、大理石の削りカスが舞う。「おお、本当に切れるんだ」とはしゃいだ声を出す。

ノコギリの振動で手元が狂うと危ないから、こうちゃんは力を込め、慎重に作業する。何度も貯金箱をなでたその手で押さえつけ、額に汗を浮かべながら。その横で、わたしはなんだか残酷なことをしている気分になる。わたしたちと一年以上を過ごした貯金箱。我が子のように思った貯金箱。今、目の前で切断されていく。

しかし、もうじき中からこぼれ出てくる大量の五百円玉たちに、そんな罪悪感もたちまち消えてしまうのだ。

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