手が冷タI人
目の前には妙な目付きで僕を見るムク、首の横には剣身、
そして「……シムは私がどれだけ重くても、受け止めてくれるよね?」という質問……付き合ってもいない僕に、病んでいる。
どうして、こうなった?
《あんな出会い方は奇跡だったよ。あれが役割破壊の原因になったと言ってもいいだろう》
上から落ちてきた記憶喪失の少年が、苦戦していたモンスターから助けて、縛られた身から自由になろうと言う。
やりすぎた、明らかにやりすぎた。もっとゆっくりと詰めるべきだった交流を、一気に詰めて成功してしまった。
だから今、反動が来る。
ムクは強力なスキルを持っている。瞬間移動、影のような魔法、重力の魔法。一つだけでも強いのに、合わせて使うこともできる。そこにオーブがあれば、最強だ。
それを仲間にできないのは、攻略が遅れる。
《それじゃ、ここで返すしかないね》
どう返して、どう部屋まで帰す。
そりゃ、こうなるのも仕方ねえよな。
お前はオーブを守ってたのに、それが実は必要無かったんだからな。
お前が閉じ込められた十六年間は、無駄になっちまう。
だが、まるっきり無駄にはしない。
「ねえ……っシム!」
剣が、震える。
僕も震えている……!
「……っっっうっ……!」
思考する時間もなく、あの詰問と同じ、僕は咄嗟に切り返す。
「受け止めてやる……!!! お前の全てを!」
口から言葉が出た瞬間、僕の腕は抑える意味も込めて、その意味を悟られないよう、剣を避けてムクを抱き締める。
「だからお前も、俺を受け止めてくれ」
嘘で塗り固めた行動で、
「そういうことは、なかったんだよね……」
「ああ、不安にさせたな」
剣が止まるかは分からなかった。
「俺を、許してくれるか?」
「……うん」
けれど、剣は退いた。
「それじゃあ、この痛みも受け入れてね」
浅く、それでいて深く。
切っ先が、腹部に刺さって、抜かれた。
「……は?」
痛みと不快感と、死に近づく感覚で、倒れそうになってしまう身体を、支えるように、抱きしめるように、ムクが縛る。
影で腹部を圧迫され、大事には陥らない。
だが、これは、マーキングだ。
我慢しろ、我慢しろ、我慢しろ。
「大好きだよ、シム」
数分、抱き締められて、一難は去っていった。
部屋に入って、扉を閉めて、ベッドに飛び込む。
枕に顔を埋め込んで、うつ伏せになった。
「…………」
腹の当たりをまさぐる。影のような魔法があるので、怪我に触れることはできない。
《なかなか、厄介なことになったね。シムくん》
た……
「助かった……!」
《えっ……?》
僕はこのまま寝てしまおうと、目を瞑る。
《ああ、ちょっと待ってよ》
「……なんだよ、噛むぞ」
このまま眠って、現実世界で起きるつもりだが……
《聞いておきたいんだ、
「言うまでもないだろ」
こんなもん………………
《それでも、聞かせてくれよ》
正眼に構えて言うなら、言うに事欠いて、言うに牙生えて、言わせてもらうなら。
異端で不快に滲み出る僕の、この異世界ライフを評価するなら。
「すっげー楽しかったし面白かった! ファンタジー世界は見てるだけでも鮮やかだった! 魔法やらオーブはワクワクしたし、これで全く世界観がわかってないんだから底無しだ! 攻略を早めたくなった!」
純粋な本音だった。
僕が言ってはいけないだろう事を、僕は心から思っていた。
「正直これから楽しみで仕方ない。死んでも魂は無事って分かってからずっと楽しめたさ」
《……驚いた。もっと叩かれるものだと》
「あぁん? その議論は終わらせたと思ってたんだが……まずぼくは異世界小説は好きだし、こういうファンタジー世界は滅法弱い。僕が嫌がってたのは、そこに死んだら責任やら魂がどうなるのかって不安があったからだ」
だが、今は違う。
死んでも魂は現実に残る、完全なゲーム感覚で遊べる。
「最高だったぜ……!」
《……あ、うん。そうか》
幸福に満ち溢れた表情で、僕は眠る。
そして、現実世界に戻る。
意識を、
手放した。
午後6時16分。伊深家のソファで、長い夢から僕は目覚めた。
「お、やっと起きたか。シム」
鼻の痛みが蘇る。起きて最初に見たのは、
「顔、怪我したんだって? 大丈夫かよ」
《あ、こっちの肉体は怪我してるよ》
自称神、メップの声が頭に響く。
「えおっ……!?」
思いっきり変な声を出してしまった。
お前居んのかよ!?
《アドバイザーだからね》
まじかよ……
僕がソファを丸々占領していたので、対面にあるテレビを見る為に、背もたれとして使っていたようだ。
「……まぁ……大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ!」
耳を疑った。鼻が曲がって耳までも壊れたら耳鼻科案件が進むな、と。
声のした方を見た。次は目を疑った。
於保塚ノノハがソファの横で、僕を見下ろしていた。
頭の方だ。顔が近い。
「ノノちゃん!? なんで家に」
「心配だったから来たの!」
顔がもう一段階、ぐいっと近くなる。
「もしかして、寝てた時に連絡してたのか?」
「正解」
ノノちゃんに突きつけられたのは、僕の携帯だった。今までに見た事ない量のメッセージが送られてきている。
「どれだけ心配したと思って……」
「あー……なんかすまん」
曖昧な謝罪の言葉で遮ったことが、更に色をなす。
「シムくん……」
あっ。
「あーーーっ! ちょっと学校に忘れ物が! 今すぐ取りに行かねば!」
ソファから跳んで、走り、玄関扉を開ける。
「行ってきます!」
「行ってら〜」
「シムくん!」
そそくさと外に出て、逃げるでもなく、玄関前でノノちゃんを待つ。
「ちょっと! シムく……ん?」
「ノノちゃん家まで送っていくよ、心配掛けてごめんな」
ノノちゃんは言葉を返さずに、至近距離まで近づいてきて、僕の肩あたりをバシバシと叩く。
「いてぇいてぇ! なにすんだよノノちゃん! 一応僕は怪我人だぞ!」
「すごいムカつく!!!」
「純粋な怒りで殴らないで欲しい!」
それで恨みが晴れるなら、別にいいんだが。
思ってるうちにも、両肩への集中攻撃は止む。
「送っても、いいだろ?」
その言葉が余計だったのか、もう一回、最後の最後と言わんばかりに左肩を叩かれる。
「それは狡い……」
「フェアだろ、互いに送り合ったんだから」
「でも、外寒いし、いいよ……」
そういや、ノノちゃんの手は昔から冷たかったな。僕の手は対照的に暖かかったけど。
それを思い出して、ノノちゃんが白い息で温めている手を握る。
「ノノちゃんの手は、相変わらず冷たいな」
意識的に思い返せば、この時僕は無意識に笑っていた気がする。
「空は暗いし、送らせてくれよ」
──────子供の頃に言われた言葉を思い出す。
そう言われて、納得した。
「私……この手、嫌い」
「僕は好きだ。手が冷たい人は心があたたかいからな」
手が冷たい元友達に、去年言われた。
お前の手はあたたくとも、
お前の心は────だろうな。
その時も、今のような季節で。
その時も、納得した。
「それじゃ、手があたたかい人は心が冷たいってことになるじゃん」
ああ、そうだよ。
僕の心は、冷たい。
「私、シムくんの心が冷たいなんて思ったことないのに。やっぱそれ、間違ってるよ」
「いや、それは────」
「だって、今も暖めてくれたでしょ? それって心が冷たい人のやることかな」
僕が於保塚ノノハに敬意を払う理由を、再度認識させられた。
年上でも、家族でもなく、同年代の高嶺の花の君に。
「家まで送ってって、シムくん」
「……ああ」
僕は、於保塚ノノハを家まで送って、とぼとぼと家まで戻る。
《君ってほんと、異世界とは人格が違うレベルで別人だね》
「敬意を払ってる人間に、対応が違うだけだ」
人を差別しているだけだ。
《君が敬意を払う人間は、一体どんな人間なんだ?》
「……それは」
──────それは。
「手が冷たい人」
手に触れた雪が、融けてしまった。
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