第4話 成立

「ふむ……ふむ」

「あ、あの……玉藻の前さま?」


 人の姿となった玉藻の前に至近距離でジロジロと観察されて、俺は戸惑ってしまう。

 言葉で表せないような絶世の美女がすぐそばに居るというだけで、状況を忘れてしまいそうになる。


「思ったよりも細いのう。まあ我はこの位の方が好みではあるが。さて匂いは?」

「ちょ!?」


 玉藻の前は俺を観察し終えたかと思えば、次は匂いを嗅ぎ始める。

 整った鼻を動かしながら匂いを嗅ぐその姿は、不敬ながらどこか小動物を想像してしまう。


「汗の臭いで隠れてはいるが、善人の匂いがするのう。誇って良いぞ」

「に、匂いだけでそんな事が分かるんですか?」

「意外と分かるものじゃぞ。あと微かに良き匂いがするが、何じゃろうな?」

「あ、多分それ柔軟剤の匂いです」


 玉藻の前は嗅ぐのを止め、一度俺から離れる。

 そしてもう一度俺の全身を観察するように眺めると、ポツリとこう言った。


「合格点、じゃな」

「ど、どうも?」


 何の事かは全然分からなかったが、取り敢えずそう答える俺に玉藻の前は微笑みながら再び近づく。


「あのような事を言った手前、気に入らなければどうしようかと思うたが。杞憂じゃったな」

「あ、あの……玉藻の前さま? これは一体」

「待て。最後に一つ、聞いておく事がある。叶夜、お前は伴侶はおるか?」

「……はい?」


 思わぬ事を聞かれ、思考が固まる俺。

 それに対し玉藻の前は、言葉が伝わらないと思ったのか言葉を重ねていく。


「現代ではどう言うのかのう。ほれ、愛しい者同士が行動を共にしたりするアレじゃ」

「い、いえ。言葉の意味は理解出来てるんですけど、質問の意味が」

「ん? 特に意味のない話じゃな。やるべき事は変わらんしのう」

「……生憎と出会いが無かったもので」


 信二と違って恋人が欲しいと思った事も無いが、言葉にするとどこか気恥ずかしさを感じる。

 一方で、玉藻の前さまは俺の言葉を聞くと満足そうに頷く。


「それは良かった。これで不貞には当たらんのう」


 気づけば玉藻の前さまは再び至近距離まで近づいていた。

 どこか色気を感じさせる目線を向けながら、俺と視線を合わせる。


「そ、それは一体どういう……!!」

「ん」


 気づけば俺の唇と玉藻の前の唇が重なっていた。

 経験した事がない柔らかな感覚が脳を支配していくようで、抵抗しようにも動けないでいた。


「!!」


 さらにキスを続けていると、唇から何かが俺の中に染みわたっていく感覚が伝わってくる。

 それはまるで紙に水が染みこむが如く、俺の末端をも支配していく。


「ん。まあこんな所でいいじゃろ」


 結局、玉藻の前が俺から唇を離したのは伝わる感覚が当たり前になってきた頃であった。


「い、一体何を」

「叶夜の体を戦いに耐えられるように少しばかり妖力を送っただけじゃ。あの程度じゃったらまだ人間じゃから安心せい」

「は、はあ」


 いろいろと分からない事が多かったが、とにかく今は話を聞いた方が良いだろうと黙る。


「さて、確認とやるべき事は終わった。そろそろ交わした契約について話そうかのう」

「……」


 いよいよである。

 何を対価に差し出せばいいのか。

 既に頭の中ではその考えで一杯であった。


「そう身構えるな。別に命を取ろうとは思っておらん」

「……それでは何を差し出せば」

「うむ。叶夜、お前が我に差し出すもの。それはお前の人生そのものじゃ」

「それは……仕えろ、という意味ですか?」


 聞こえた言葉の意味が分からずそう質問するが、玉藻の前は笑いながら答える。


「まさか。これはもっと単純な契約じゃ。これから我の力を貸す代わりに、お前の人生をすぐそばで見させてもらう。それが契約の中身じゃ」

「……それって、釣り合っているんですか?」


 聞いた限りでは俺に有利に感じるその内容に疑問を口にすると、玉藻の前は軽く笑いながら説明してくる。


「全然分かっておらんのう。一度この世界に踏み込めば、そこから抜け出す事などできぬ。我がそばに居るという事は他の化生の者、人間には妖怪と言ったほうが良いか? とにかくそいつらとの戦いの日々になるじゃろうな」

「……」

「それに加え、我を狩ろうとする人間もおるじゃろう。つまり同族とも戦う事になるかも知れんぞ?」


 そこまで言うと、玉藻の前は表情を引き締めて俺に問いかける。


「さて叶夜。引き返すなら今じゃぞ? 今ならまだ平和な世の中を謳歌できる。それに背を向けて戦う道を選ぶのじゃったら」


 玉藻の前はスッとその細い腕を俺の方に差し出す。

 俺にはそれがまるで勇者を導く女神の手に見えた。


「我の手を握れ」


 おそらくコレが自分の運命を決める分水嶺なのは理解していた。

 きっともっと悩むべきなのだろう。

 もっと考えるべきなのだろう。

 頭の隅で止めておけと何かが訴える。

 だが、体は玉藻の前に向かって歩き始めていた。


「俺の人生、つまらないかも知れませんよ?」

「安心せい。我が面白くしてやる」


 その答えで、俺の心は決まってしまった。

 俺は差し出された玉藻の前の手を固く握る。

 きっと世の中の人間は、俺を愚かだと言うだろう。

 けれど、そんな事が気にならないほど俺はワガママを通したいのだ。


「契約、成立じゃな」


 俺と玉藻の前を中心に、光が包んでいく。

 段々と意識が途絶える中で俺が最後に見たのは、大妖怪とは思えないまるで慈母のような表情を浮かべる玉藻の前であった。



「本当にいいのか? 兄者」

「何がだ? 弟者」


 弟分である足長に問いかけに、俺こと手長は思わずぶっきらぼうに答える。

 だが弟者は気にした様子もなく質問してくる。


「下手したらあの人間、九尾に喰われているかもだぜ? 別の人間を探した方がいいんじゃないのか? 兄者」

「かも知れないが、九尾が飽きて手放す可能性もある。諦めるにはまだ早いぞ弟者」

「流石兄者! 不屈の心を持つ妖怪!」

「ふっ! 照れるぜ弟者」


 俺たち手長足長は二体で一体の妖怪。

 例えどんな敵に会おうとも、俺たちの絆に敵う奴なんている訳がない。

 そんな自負はあるが、流石に九尾とやり合うには分が悪い。


「とは言えこのままだと九尾を敵に回す。もう少ししたら離れるぞ弟者!」

「了解兄者! ……ん?」


 そう弟者と確認しあった時であった。

 九尾の縄張りである神社から凄まじい妖力の柱が迸り、天を貫く。

 その余波で、建物が次々に吹き飛ばされてガレキとなっていく。


「おおお!? 兄者!!」

「踏ん張れ弟者!!」


 凄まじい妖力の余波に吹き飛ばされそうになりつつも、弟者は踏ん張って耐える。

 何とかその余波を耐えきり、目の前を見れば人間が作った建物は消え去り更地となっていた。

 その中心には白い鉄に覆われた、美しいとも言える俺らと同じ『怪機』が立っていた。


「あ、兄者! アレは九尾の『怪機』なんじゃ……!」

「落ち着け弟者! よく感じろ、アレからほとんど妖力を感じないぞ!」


 理由は分からないが、あの怪機からは妖力をほとんど感じない。

 むしろコレは目障りな九尾を倒す絶好の機会だ。


「行くぞ弟者! 九尾に勝って俺たちが最強になるぞ!」

「お、おう! 兄者! 俺たちが最強だ!」

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