第2話 九尾

「はぁ……はぁ……!!」


 俺はとにかく手長足長から逃げるために走った。

 もちろん疑問はたくさんあった。

 本物の妖怪なのか? そもそもここはどこなのか? アイツに聞いてしまいたかった。

 だがそれよりもまず頭の中の直感がささやいたのである。


 ――このままでは殺される、と。


 運動不足の体に鞭を入れながら走り続ける。

 どこまでか何て考えていない。

 とにかくアイツ等から逃げれればそれで良かった。

 幸いにも辺りもだいぶ暗くなって……ん?


(月明りは?)


 そう疑問に思って上を見上げる。

 そして俺は、信じられないものを見た。


「……は?」


 思わずそんな間抜けな声が口から漏れる。

 そんな俺を見下ろしながら、ソレは辺り一面に響く大声を張り上げる。


「「ハハハ!! 驚いたか人間!! 幸運だぞ!! この足長手長様の雄姿を見る事が出来たのだからな!!」」


 ソレの正体は、鉄の塊。

 もっとハッキリ言えばロボットであった。

 それもまるでアニメや漫画で見るような、そんな巨大ロボットであった。


「っ!!!」


 生存本能というものなのか、頭はこの出来事に停止していても足は決して止まらなかった。

 ズシン! ズシン! と足音を、そして建物が破壊される音を聞きながらただひたすらに真っ直ぐ走る。

 走る、走る、走る、走る!!

 だがどんなものにも限界というものはある。

 俺の体も段々とその限界を迎えようとしていた。


「ハハハ!! そろそろいいのではないか兄者!!」

「ハハハ!! まだまだだ弟者!! もっともっと疲れさせよう!!」

「「逃げろ逃げろ人間!! 止まったら喰われるぞ!!」」

(クソッ!! 遊んでやがる!!)


 嫌味の一つでも言いたかったが、そんな余裕がある訳もなくただ走る。

 その一方で頭は一つの現実を冷静に受け止めていた。

 あの巨体の長い手をもってすれば、俺を捕まえるなんて簡単な事である。

 いや、そもそもあの足の歩幅だったら踏みつけた方が早いのである。

 それをしないという事は、完全に俺を弄ぶ気だからだろう。


(死ぬのか? こんな訳の分からないところで?)


 避けられない死を目前にして、自然と目から涙が溢れる。

 だが体はそれを拭う体力も惜しんで疲労で限界の足に止まるなと命令する。


(……死にたくない)


 人間はいつか死ぬもの。

 それは避けられない事実であり現実だ。

 でも、だからといって。


(こんな訳の分からない状況で、死にたくない!)


 そう体を振るい立たせ限界、いやそれを越えた力で走る俺。

 だがそれももう辛い。

 スピードも落ち始めて来ている。

 もう何時止まっても不思議ではなかった。


(もう……無理……)


 諦め。

 そんな言葉が頭を支配し始めた、その時だった。


(右に曲がるのじゃ)


 鈴を転がすような。

 だけど同時に力強さを感じる声が頭に響いた。


「!!」


 その声が何なのか。

 考える事もなく俺はその声に従って右に曲がる。


(そこで更に右じゃ。あとはひたすらに走れ)


 罠かも知れない。

 そう頭の隅で考えつつも足はその声が導く通りに動く。

 理性よりも本能が察していた。


 ――この声の主は俺を助けてくれる。


 それは甘い幻想か幻聴かも知れない。

 だがこのまま走っていてもいずれ捕まるのは明らかだ。

 だったら。


(俺は! この声に賭ける!!)


 そう心を振るい立たせると何もかも出し尽くすつもりでひた走る。


「「ハハハ!! どこへ逃げる気だ人間!! ……ん?」」


 ただひたすらに走っていると、突如目の前に強い光が見えた。

 その光の先には何故か神社のようなものがあり、その扉はまるで誘う様に開かれていた。


(助かりたいなら飛び込むといい)

「うっ……ウォォォォォォ!!」


 その声に言われるまでもなく、俺はその神社にぶつかる勢いで走っていく。


「ま、不味いぞ! 兄者!!」

「そ、そうだな! 弟者!!」

「「に、人間!! そっちには行くな!!」」


 何故か手長足長は突然慌てだして俺に必死に手を伸ばしてくる。

 だがそれを気にする事無く走り続け、俺は神社へもう少しの所まで来ていた。


「「と、止まれ!!」」

(誰が止まるか!!)


 例えこの先が地獄だろうとアイツらの慌てる様子が見れただけでも十分。

 そんな気持ちで俺は神社に飛び込んだ。

 気力が切れたのか薄れゆく意識の中で、俺はその入り口が静かに閉まるのを見た気がした。



「……こ、ここは?」


 徐々に覚醒し始めた俺の視界に飛び込んできたのは摩訶不思議な風景であった。

 そこにあるのは一列に並んだ鳥居と、それを囲うように存在する枝垂桜。

 ただそれのみであった。

 だというのに辺りは月明り程度には明るく、床はまるで水面のように俺の姿を映している。


「す、スミマセン。誰かいませんか?」


 まだ体力が回復した訳ではないようで、ガサガサの喉で必死に呼びかけるが返ってくる言葉は無かった。

 このまま立ち尽くす訳にもいかず、仕方なく俺は鳥居を潜っていく。

 京都のとある神社をも超えるであろう鳥居の数に圧倒されつつも真っ直ぐしかない道を歩いていく。


「ん?」


 しばらく歩いていると、ようやく違った風景が見え始めた。

 ただ、そこには本当に何もない。

 水面のような床だけが立っている事を示す、そんな感覚であった。


(随分と、呆けた面じゃな人間)

「! だ、誰だ!?」


 思わず響いたその声に問いかける。

 だがそれを無視して再び声が一面に響く。


(貴様のこの世界に来てからの一部始終、見させてもろうた。あまりに必死じゃったから思わず吹き出すかと思うた)

「あ、アナタが助けてくれたのですか?」

(まあそういう事になるかの。ほれ人間もずぶ濡れの小動物がおったら手を差し出すじゃろ? それと同じじゃ)

「……アナタも人ではないのですね」

(むしろ人かと思うたか? 説明はせんがここに人は居らぬぞ)

「……そうですか。あ、あの。ありがとうございました」


 今まで途切れなかった会話が、俺の感謝の言葉を最後に止まる。

 何か気に障る事でもしたかと考えていると、再び声が響く。


(我は人外の存在ぞ。それを知ってもなお我に礼を言うのか?)

「……はい。アナタがどのような存在かは知りません。けれど、助けられたのは事実なのですから、礼を言うのはそんなに可笑しい事ですか?」

(……)


 俺の言葉に再び黙り込む声。

 だが次の瞬間に響いたのは、間違いない大爆笑であった。


(アハハハハハ!! 確かに確かに! 人間に言い負かされるとは、我も落ちぶれたものじゃな)


 その言葉と同時に、今まで何も無かった空間にまるで霧が晴れるかの如く何かが現れる。


「特別じゃ。我の姿を見せてやろう」


 今まで空間中から聞こえていた声が頭上から響く。

 上を見上げれば、そこには巨大な狐がいた。

 それもただの狐ではなく九つの尾をもった狐である。

 その存在の名を思わず俺は口にした。


「九尾の……狐……」


 妖怪に詳しくない人間であろうと聞いたことがあるだろう存在に俺はただただそれしか言えなかった。


「ふむ。我の存在を知っておるか、それは良き事。じゃがその名は好かぬ。どうせ呼ぶのじゃったら」


 この出会いが俺、いや二人の運命の交差点である事を。


「玉藻、と呼ぶがいいぞ。人間」


 俺も彼女も、まだ知る由もなかった。

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