第二章・優しい追い風



 分厚い石壁の通路を、ひたすら歩く。

 どのくらいの厚みがあるのか外からは判りにくくなっているらしき外部と内部を隔てる石壁は、内部からも判りにくくなっていた。


《――ちょっと壁を叩いたりしちゃ》


《だめよ、四方八方に監視の目があると思って》


 声に出さず、口の形だけで尋ねたアズロを、シェーナは即座に牽制する。

 その牽制もまた、口の形だけで行われた。


 読唇術ができる人間でなければ判別できない、音のない会話。

 二人のそれは、素早く的確だった。


 ネウマはといえば、アズロの後をちょこちょことくっつくように歩いている。

 瞳をきらきら輝かせながらも、アズロの妹を演じることは忘れていない。


「あのさ……」


 二人の会話が落ち着いたらしきところで、フィンは口を開いた。


「僕がナラの実ダメなのは伝えてくれた?」


 当たり障りのないこと、当たり障りのないこと。

 極力自然体を意識して、語る。

 振り返ったアズロは、面白そうに笑っていた。


「あら、もちろん伝えてあるわよ? 心配しないで、フィン。ナラのアレルギーは深刻だし、あなたは一度意識を失ってるからね。シェーナ様が直々に調理場に伝達してくださったそうよ」


「シェーナ様が? 直々に?」


「ええ。私達の家ではなんのもてなしもできてなかったのに、素敵な方よね。調理場のみんなもびっくりしたって……それはそうよね、ラシアンの警備管理も一任されている大隊長が、いきなり料理の手伝いを申し出たら」


「手伝い!?」


「そうなの、それで遅くなったって……」


 今は少し離れて前方を歩いているシェーナを、フィンは呆然と眺める。

 ネウマはフィンの傍で、フィン兄さん良かったねー、シェーナ様すごいねー、とほわほわしているが、シェーナの「料理」を知っているフィンの額からは嫌な汗が吹き出していた。

 それを察してか、アズロはやんわりと語る。


「大変な部分を手伝ってきたって言ってらしたわ。味付けまではできなくて、残念だけど配下に任せたって」


「……そ、そう……残念、だね……あ、いや、そこまでしていただくなんて、僕らにはもったいない……」


 シェーナとアズロ、そして先の戦線に加わった皆は、フィンと会談の場を持ったことがある。

 ルーチェによる召集で、新たな界の守り人となったフィンの紹介と、今後の「タブー」の説明と「それぞれの意志確認」を兼ねた、食事会のようなものだった。


 亡きエスタシオンの旧家で行われたそれに振る舞われた料理は、ルーチェの提案で各々の特色を活かした料理を一人一品ずつ持ち寄ることとなったのだが。

 シェーナの振る舞った料理はとても美味しく、ショーケースに並んでもおかしくないリンゴのタルトで──しかしながら後味は、凄まじいものだった。


 一人、また一人倒れてゆく。

 甘い香りに隠された、半端ない下味……酒の強さは、いまだに記憶に鮮やかだ。

 その前に振る舞われたアズロの黒焦げの料理だか作品だかを忘れさせるほどの、威力。

 あれぞまさに、兵器だ。

 酒に強くないフィンが真っ先に倒れたのは、言うまでもない。


「た、楽しみだなぁ!」


 精一杯の笑顔を向けたフィンを、健気な子を見るような眼差しで見つめてから、アズロはわしゃわしゃとフィンの頭を撫でまくった。



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