世界背景1 ドイツ第三帝国の大戦経緯

 国内戦意の高まりとメフォ手形返済が困難になった事により、1,939年にポーランド、フランス、イギリスとの戦争を決定。

 ソビエト連邦と共にポーランド全土を占領すると、ノルウェーやデンマークなどの占領に動いた。

 宣戦を布告したにも関わらづ消極的な軍事作戦を行うフランス、イギリスのお陰もあり、ドイツ軍の攻勢スピードに対して損害の方が軽微だった為、好機と見たアドルフ・ヒトラーによるフランスへの攻勢作戦が命じられた。

 オランダ、ベルギーを瞬く間に併呑し、フランス北部の森林地帯アルデンヌを突破したドイツ軍は、混乱しながら抵抗するフランス軍を薙ぎ払い、増援のイギリス軍すらたたき出していった。

 その後、フィリップ・ペタンが主導するヴィシーフランスにより北部フランスを割譲する代わりに停戦を要求し、イギリスもこれに同意して、一時的に戦争が終結することとなった。

 その後、イギリス本土に和平の使者として入ったルドルフ・ヘスの活躍やアジアで起こっていた一連の騒動に伴い、戦争終結への流れを作っていく事となった。

 後の世に「エディンバラ講和」と呼ばれる事となる1940年の講和により、ヨーロッパの支配者は、ドイツ第三帝国とイタリア王国のとなった。

 それから、2年の休戦期間があったものの、再び戦争の火種が東ヨーロッパにて発生した。

 1942年、ドイツの同盟国であるハンガリー王国が、ソビエトと同盟を取っていたルーマニア人民共和国による宣戦布告に伴い勃発した一大大戦「ユーラシア大戦」が始まるものとなっていた。

 ドイツは、圧倒的機動力と情け容赦のない軍事侵攻を行ったことでキエフやレニングラード、などを占領するも、ロシア特有の黒土の多い地形や戦車などのエンジンすら不調にさせる極寒の冬により、一気に進軍の足が低下した。

 その後、ドイツもソビエトも徹底だを欠いたままに3年も続いていた頃の1945年、大日本帝国領であった樺太において国境守備隊を含む40名がソビエト側の攻撃により殺害され、近くの集落から250名もの民間人を誘拐するという事件が発生。

 大日本帝国は、これを大義名分にソビエトへと進軍を開始。

 イタリアやフィンランドも参加したことにより、「共討戦線(共産討伐戦線)」が始まる事となった。

 いくら、広い国土を持っているソビエトといえど、アジアとヨーロッパの両戦線を支える事が出来ずにいた。

 1948年、悲惨な戦争状態を憂いたアメリカ合衆国の仲立ちにより、ユーラシア大戦の終結をさせることとなった。

 「サンフランシスコ講和」と呼ばれるこの講和により、枢軸国の勝利となった。

 これら「血塗られた十年」によりドイツ第三帝国は、フランス北部、ネーデルランド、デンマーク、ポーランドなどを実効支配することとなった。

 また、ヴィシーフランス、スペイン、バルカン半島、ノルウェー、バルト三国、ウクライナ、白ロシア、トルコ、アラビア半島北部に傀儡・同盟国を作り圧倒的組織となった。

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