1-7「磔の男」作戦

1958年 ドイツ第三帝国 ウィーン


 衝撃的な命令に困惑の表情を隠せないルセフが外にいる3人と副官の前に出てくる。

 「ルセフ様。お話は終わりましたか?」

 副官が心配そうにルセフへ尋ねるも、当の本人は困惑と動揺、怒りといった感情が入り混じっているせいか、彼の手を振り払うとそのまま下の階へと歩いて行った。

 それを追うようにヴィルヘルムが扉を開く。

 「ルセフ様!・・・・行ってしまったか」

 「見たところ、首尾よく話がまとまってないみたいだな」

 ヴィルヘルムが見据える方向を見ながら、加えたばこをする大尉が呆れたような口調でつぶやく。

 「君たち。すまないが、彼と共にあの者の自宅まで同行してくれないか?荷造りなどいろいろ忙しくなるだろうからな」

 ヴィルヘルムの申し出に少し頭を搔いていた三人は、軽く会釈をしてから彼の下へ向かっていった。

 「やけに素直に聞いてくれたな」

 「事前に大まかなことを話しておきましたので。彼らぐらいの理解力であれば、彼のそばにつくという発想に至るでしょう」

 「お前にはいつも助けられるな」

 「まぁ。長い付き合いですからな」

 二人の男は、走っていった若者たちの背を見ながら少しほくそ笑んだ。

 ルセフは、自身の名前が書いている札を裏返して、そのまま駐車場の方へと歩いていく。

 駐車所に留まっていた彼の車は、ポルシェが作った「ポルシェ・356/1100」であり、滑らかな放物線のボディーと威圧的な黒がドイツ人の力強さを示していると人気のモデルである。

 彼は、それにキーを差し込もうとするタイミングに建物側からたどり着いた三人が前に現れた。

 「一体何の用かな?君たちの任務はすでに完遂しているんじゃないのかな?」

 「まぁ。このまま帰るにはネタ不足でしてね。もうちょっと一緒にどうですか」

 不満な顔を向けるルセフになんとも言えない顔をしながら記者が答える。

 「とりあえずどうでしょう。近のクナイペ《酒場》でも」

 「・・・・」

 ルセフはそのまま扉を開けると三人に目を向ける。

 「ここら辺の店は、あんまりお勧めしませんね。いい店に案内しますよ」

 ルセフの好意的な一言に三人はそのまま車の中へ入っていくと、ルセフの車は勢いのいい排気音がうなりを上げるとそのまま市内に向かって走っていった。

 市内中心部から少し西にそれたところに立っている古めかしい店の駐車場に車はゆっくりと停車する。

 「おや。坊ちゃんじゃないですか。今日は早いお帰りですね」

 「その言い方はよしてくださいよ。今日は客を連れてきているんですよ」

 ルセフを「坊ちゃん」と呼ぶ中年の女性は、奥にいる海賊のようなかっこをしている男と二人で長年ここで店を経営しているらしく、彼が幼いころよりお世話になっているらしいのだ。

 中に入ると、帝国時代よく行われていたパレードの写真や時代を感じる絵画が飾られ、並べられた丸机にも細かいながら装飾としてオーストリア時代の宮廷飾りを模した柄が彫り込まれていた。

 「昔からこの子の母親が内を手伝ってくれている頃から、よく迎えに来ていてね。その時は、よくここでミルクを飲んで仕事が終わるのを待っていたものよ」

 出迎えてくれた”看板娘”てある中年の女性がそのように話していると、ルセフが「もういいですよ!」と言いながら奥の部屋へと入っていく。

 「あらあら。相変わらず恥ずかしがり屋な事ね」

 微笑みながら看板娘は、にこやかな身を浮かべていた。

 彼女が、残っている3人を手前の椅子に案内するとメニューとサービスのファンタを提供してくれる。

 「好きなのを選んでね。大したものはないけれど」

 彼女がそう言って奥に引っ込むとともにルセフがカッターシャツ姿で帰ってくる。

 「すまないね。ただ、そこらの郷土料理店や飲み屋より、安くてうまいんだよ」

 ルセフがそう言いながら腕まくりをしながら前に置かれたファンタを喉を鳴らしながら流し込む。

 「ルセフさん。あの、今日見つけた書類というのは・・・・」

 全国指導員が、恐る恐る尋ねるとルセフがファンタのはいったコップをゴンという音を立てて置いた後に溜息越しに答える。

 「私は大戦前の頃から、なぜか共同教育ではなく専属の家庭教師がついてくれていたり、それなりにいい食事などを食べていたんだ。母の部屋にはアドルフ・ヒトラーを含む友人たちが集まっている写真などが置かれていたのだ。だからこそ、もしかしたら私ん父親でなくとも総統との関りがあるのではないかと思ってね」

 「それが、あの出生届であったのですか。これはスクープだ」

 記者は、目を輝かせながらルセフのほうを見つめて筆を走らせる。

 「しかし、私の父だとはね。確かに私はひとり親で育てられたが」

 ルセフも少し暗い表情で唐になったコップを眺める。

 「坊ちゃん。すまないけどエールを持って行ってくれないかしら」

 「ああ」

 そう言ってルセフは、カウンターへと向かい、4つのジョッキを両手に持って歩いてくる。

 「ルセフさん。それくらい私がやりましたのに」

 動けなかった全国指導員が立ち上がりながら申し出る。

 「いいんだよ。ここでの私は、ただの坊ちゃんだからな」

 ルセフが照れ臭そうにジョッキに入ったエールの結露でぬれた手を鼻にあてる。

 「しかし、本当にどうするのですか?ルセフさん」

 大尉が、当たり障りのない2人を差し置いて尋ねる。

 「正直言って、まだ悩んでいるところだよ。なにせ、いきなりこの国を託されたんだからな」

 ルセフの裏表のない発言に大尉も顔を困らせる。

 確かに、周りから見れば大出世であり、理由も知らなければうらやましいことこの上ないであろう。

 だが、これを受けることは、権力の政治的野心の塊といえるゲーリングと何をしているか分からない狂気集団である親衛隊の親玉たるヒムラーといった厄介な権力者を相手に立ち回らなければならない。

 まともな神経でその事が分かる奴なら、絶対にやりたくない仕事である。

 「しかし、誰かがこの仕事を受けねばなりません。総統閣下は、その適任者としてあなたを選んだんですからね」

 大尉が、難しい判断を理解しつつも、ルセフ以外の適任者がいないと説得する。

 「大尉。あまり押し付けるものじゃありませんよ。ルセフさんだって困っているじゃないですか」

 全国指導員がフォローに入る。

 「だが、ルセフさんが決断しなければ、明日のドイツは滅亡しかないのだぞ。それは、君だってわかっているんじゃないのかね」

 「それは・・・・」

 大尉の正論に全国指導員は、反論できずに沈黙してしまった。

 「まぁ、まぁ。せっかくのクナイペに来ているんです。おいしい料理でも食べて気晴らししましょうや」

 記者が、暗くなった空気を何とか変えようとその場で音頭を取り始める。

 「女将さん。お勧めの料理人数分お願いね。あとエールのお替り」

 こうして4人は、互いの親睦を深めるために酒場にて今日のことを洗い流すように飲み明かしていった。

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