第4話 長谷川との再開
勉強会を始めて1週間。
進藤の雰囲気が変わっていた。
仕事について望月に相談するようになり、勉強の成果もあってヒアリングの力が高まった。
もともと人懐こい進藤なら、聞き出すこと自体は造作もない。
”的確に”聞き出せるかなのだ。
ヒアリングがきちんとしていれば、自然と提案内容は良くなる。
「進藤くん、変わりましたね!たった1週間で、さすが望月さん!」
個人主義の根源はこの痩せメガネ課長だ。
だが、彼ばかりを責めるのは酷な話だ。
成績がいい営業マンが、人の世話までうまいとは限らない。
この痩せメガネだって、こんな風に進藤の変化を察するくらいわかっている人なのだ。
自分は、長谷川という先輩との出会いが大きかった。
彼に営業をならい、可愛がってもらった。
丁度、今の自分と進藤くらいの年の差だった。
そんなことを思い出してると、メッセージが入った。
まさに、長谷川からだった。
来週の月曜日に出張でこちらに来る予定だから会えないか、という内容だった。
もちろんOKした。
進藤には、月曜日の勉強会を無しにするようお願いした。
長谷川とは数年ぶりの再会だ。
久々に楽しく飲めそうだと思った。
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望月と長谷川は居酒屋に入った。
「お互い、ちゃんと歳をとるものだな。」
「それはそうでしょう。長谷川さん、心労が顔に出てますよ。本社の営業部長で気楽にやってる人なんていないでしょうけど。」
長谷川は50歳だが、当時と変わらず溌剌としていた。
「まあ仕事はね、1人でやってるわけじゃないから何とかなるんだけど、息子が大学受験でね。そっちが大変というか。俺が心配してもしょうがないんだけど。」
2人はビールはそこそこに日本酒に入った。
寒い日だったので、熱燗を頼む。
「君の後輩になりそうだよ、無事に受かれば。」
「それは嬉しいですね。きっと大丈夫ですよ。」
「今時は受験の仕方も手続きも複雑なんだよな。ビックリしたよ。全部妻がやってくれてるから、ありがたいことだけど、早く受験なんて終わってほしいな。平穏な日々が恋しいよ。」
長谷川はつまみのほっけをつついた。
「お前も随分がんばってるじゃないか。再興請負人なんて呼ばれて。」
「その通称、恥ずかしいんですよね。自分で名乗ってるわけじゃないのに。まあ、最初は嫌がられましたが、今は仕事を丸投げされるくらいには受け入れられてますね。今は、資格試験合格に向けて、若者に勉強を教えてました。」
「はは。随分細かい仕事までやってるね。まあ、君の雰囲気なら若者も接しやすいだろう。」
長谷川は望月をチラリーと見た。
「結婚する気も彼女を作る気もないのは変わらずか?」
望月は長谷川に酒をついだ。
「当たり前じゃないですか。俺はもう女という生物とは決別したんです。」
「そうか。歳をとると、人肌恋しい気持ちにもなるんじゃないかと思ってな。お前は友達もいないタイプだろ?心配なんだよ。親心だ。」
そう言って長谷川は笑った。
「たしかに、友達もいないですね。みんな転勤族でバラバラだし、結婚してますから。まあ、いいんです、俺は会社の働き蜂で、社会の貴重な労働力の歯車として生きていきますよ。俺ががんばって会社に貢献すれば、間接的にでも長谷川さんの力になれるでしょ?」
望月は長谷川の方に身を乗り出して微笑んだ。
「相変わらず頼もしいな。」
長谷川は優しく笑った。
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望月が20代前半の頃、長谷川はトップセールスマンであり、若手育成担当をしていた。
長谷川は休日ともなれば、その地域の名所や有名店に若手たちを連れ出した。
ぐだぐだと人の家で飲み明かすこともあった。
勉強ではわからない、地元の誇り、人の気持ち、人と人の縁の不思議さを体験させることが目的だったようだ。
ある日、望月のマンションで、長谷川と、望月を含む若手3人と飲んだ。
2人は先に帰り、長谷川は一服したら帰るということでベランダに出た。
望月も、当時はタバコを吸っていたので、一緒にベランダに出た。
月の綺麗な夜だった。
「彼女は作らないのか?」
「そうですね、仕事に専念したいので。」
「お前は仕事一筋になりすぎるから、彼女がいた方がいいと思うけど。」
「女って、面倒臭くないですか?自分の時間も取られるし。大して興味のないところにもついて行かなきゃいけないし。」
「人によるんじゃないのか?趣味が合う子を選べばいいだろ。」
「俺にはみんな同じに見えます。」
「興味なさすぎだろ。もしかして、男が好きなのか?」
長谷川にだったら、話してもいいかなと思った。
「俺の母親が最悪だったんです。兄が問題児で引きこもり、父は大企業の幹部で家庭に無関心。母親は兄のことでノイローゼになって、唯一まともな俺に依存しました。過干渉に束縛。拒絶すればヒステリーを起こして自殺未遂。俺は、ずっと母を子守をしなきゃいけませんでした。」
長谷川は煙を吐きながら黙って聞いていた。
「何回か母親の相手をするはめになって、気持ち悪かったです。ただのぶよぶよな脂肪の塊ですよ。何より臭いんです。体臭も、化粧品の臭いも、香水の臭いも、臭くて仕方ない。大学時代、彼女もできましたけど、若ければいいというものじゃなかったみたいで。俺は女とセックスは無理なんだってわかって別れました。俺は、女の体も中身もダメなんです。」
長谷川は新しいタバコに火をつけながら言った。
「そんな世界がホントにあるんだな…。今は家族と交流はないのか?」
「ええ、もう縁を切ったようなものですから。いずれ地域職から総合職に切り替えて、全国転勤できるようにしたいです。今どこにいるのかわからない、くらいにしたいですね。」
望月は笑って火を消した。
「変なこと聞くけどさ、男とは寝れるの?」
「案外大丈夫でしたね。大学時代、バイトの店長に迫られて付き合ってみたんです。その後、他のバイトと仲良くしすぎてるとかなんとか言って、束縛してきたんで、怖くなって辞めましたけど。」
「束縛されやすい体質なんだな。」
「なんなんでしょうね。」
「でも、何かわかるよ。お前のことは、何か気になるんだよな。フラッとどこかに行ったまま、ずっと帰ってこないような気がするんだ。」
長谷川は煙を吐きながら言った。
「もしかして、遠回しに俺に告白してますか?いいですよ、俺は長谷川さんのこと好きですから。抱きたくなったらいつでも声かけてください。」
酔いもあったし、カミングアウトした高揚感もあって、生意気なことを言った。
長谷川は静かに笑っていた。
そして数日後、2人で飲みに行った流れで関係をもった。
長谷川は、頭が良くて、かっこ良くて、エロくて最高だった。
望月にとって、長谷川とのセックスはスポーツみたいなものだった。
愛だの恋だの、面倒なものはない。
気持ちいいことを、楽しくするだけだ。
ただ、長谷川に憧れて、好きだったのは本当だった。
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長谷川を見送るため、駅までついて行った。
「何もしないで帰るなんて。期待してたのに。」
「お前もね、50歳になればわかるよ。」
長谷川はあの頃と変わらない、笑顔を見せた。
「体に気をつけてな。」
「そっちこそ。」
「薫…。」
「なんですか?」
「俺はいつまでも、お前を応援してるからな。」
長谷川はまっすぐに望月の目を見た。
長谷川のかっこよさは、あの頃と全然変わらない。
「……また、会いに来てくださいね。」
長谷川の男らしい背中が、見えなくなるまで見送った。
今日のことはたまたま近くに来たから、という言い方だったが、よく聞けばわざわざ俺の様子を見に足を向けてくれたようだった。
生まれ育った家庭を捨て、新しい家庭も持たない俺にとって、長谷川のような存在は自分とこの世を繋ぐ、か細い命綱だ。
今日も、あの日のように月が綺麗な夜だった。
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