最終話 妖精と魔法少女
海。いつぶりだろう。幼い頃は家族で海に泳ぎに行った。父と釣りに行ったこともある。その両親は行方がわからない。何度も探してみようとした。しかし、帰ってこないということは私の両親は気が狂ってしまったのではないか。もし見つけても廃人になっているんじゃないか。そう考えるとなかなか探しに行けないまま、もう何年も経ってしまった。でも、これが終わったら、探しに行こう。祖父母の家まで自転車をこいで行こう。その家で私の家族が見つかったのなら、その時は…………。
「おい史人! 目は開いてっか⁉」
「開いてるがなんも見えない! 永生は見えるか!」
「俺も見えない! でもたぶん海に近づいてるぞ! さっきから海のあの匂いがする!」
自転車で海までかっ飛ばす。海に近づくほど視界には黒いもやがかかり、吹きかかる風は吹雪のように寒い。だが、私はまだマシだった。私の前を走る永生の方がもっと強い風を受けているはずだった。なのに弱音一つ吐かずに私の心配をする。語気の強さと反比例するかのように彼の声は震えていて聞き取りづらい。
限界が来たのは、自転車の方だった。いきなりチェーンが切れて、私と永生の二人は浜辺に投げ出された。浜辺だ! 海は目と鼻の先であるはずだった。私は起き上がれたものの、彼は砂の上でうめいていた。駆け寄ると彼の表皮が異常なほど白くなっているのがわかった。しかも髪の一部が凍っている。
「意識はあるか⁉」
「ああ……大丈夫だ。だからさっさと海に行け。ここでお前がじっとしていると俺は死ぬぞ」
「………………そうだな」
この寒さの原因は、ウロだ。そして私たちはウロを倒すためにここまで来たのだ。目は見えなくても音は聴こえる。歌が方向を教えてくれる。足が思うように動かせない。手がかじかんで割れるように痛い。
「フミト……」
「大丈夫だ。安心しろ。あと少しだ。あと少しで、海だ」
浜辺は緩やかな坂になっている。ただ、平衡感覚を失ってきた。地面と空の区別がつかない。足がもつれて転んでしまう。ならばこのまま転がっていってしまえ。胸ポケットを守るようにして、ハトホーを大事に抱えながら。海は。海はどっちだ。歌に導かれるまま、私はきっとみっともなく転がっている。何もわからない。何もわからない。だが進んでいる。私は進んでいる。私は進んでいるんだ。
ポチャッ。
――――ありがとうフミト、エイセイ。
声が聞こえた。初めて聞いたはずなのに、なんとなく聞き覚えのある声。
――――ウィニーちゃん。待たせちゃってごめんね。
ハトホーなのか? 瞼が重い。重力が何倍にもなったかのように身体が怠くて動けない。
――――今、目覚めさせる。ボクの魔法で。
ふっと優しい風が私の頬に触れた。父が頭を撫でてくれた感触を、母が抱きしめてくれた温もりを、鮮烈に、鮮明に、思い出す。懐かしい。とても、懐かしい感覚。思い出が溢れてくる。身体に波が当たっている。服が水を吸っている。肉体の五感が戻ってきている。
薄く目を開くとそこには、私の知らない少女が身体の下半身を海水につけて、祈るように歌を歌っていた。その言葉遣いを私は知っている。頭の中で響いていた歌と同じ言語だ。それを扱える存在はこの世界に二人しかいない。一人はウィニーちゃん。もう一人は…………ハトホー。
彼女は小動物の姿から短く切り揃えられた緑髪の少女の姿となって、魔法を唱えていた。黒いもやはいつの間にかどこかに消え去り、春のような、心地よい暖かさに周囲は包まれていた。永生の方を振り向くと、顔色が戻っている。その目は驚き見開かれていた。
ハトホーの歌の調子がいよいよ強くなる。一筋の光が海面を走る。と、花びらを撒いたみたいに光が散らばり、海へと溶けていく。溶けた光は渦を生んだ。ゴオオオオオォォォと凄まじい音を立てながら、視界いっぱいに広がる海が球状に丸まっていき、やがてその中心に人影が現れた。
黒髪長髪の少女。彼女が海水の球の中でにぃっと笑えば、とたんに海水の球が霧散し、それが夕陽に照らされてダイヤモンドダストのように煌く。どこかから湧いてきた黒いもやがその少女へ襲い掛かるが、ちょっと指先を動かしただけでもやは別の色に塗り替えられてしまう。
「ハトホー!!!」
ハトホーの歌が終わり彼女が倒れかけると、目にも止まらぬスピードで、少女、いや、ウィニーちゃんはハトホーを抱きしめた。
「よかった。ボク、ちゃんと役目を果たしたよ…………」
「うん! ハトホーえらい! 本当にえらい! 天才! さすが私のパートナー!!!」
「…………えへへ。褒めすぎだよ」
「ねぇ、そこのあなた。えっと、フミトくんだよね。ハトホーのことを支えてあげて。あたしには最後の仕上げが残ってるんだから」
「あ、ああ」
起き上がってハトホーを受け止める。少女の柔らかい感触に困惑してしまう。
「さーて、ウロども。よくもまああたしの世界を侵略できると思いあがったことをしでかしてくれたわね。世界にちょーっと穴が開いたくらいで自信つけやがって。欠片も残さず消したげるわ!!!!!」
ウィニーちゃんが大きく空中で弧を描くように手を動かすと、そこに幾つもの和太鼓が現れた。ウィニーちゃんの手にはバチが握られている。ステッキではなく、和太鼓?
「究極魔法いくわよ!!! はっ!!!!!」
ドドン!!!!! 太鼓の音に空気が揺れる。一打一打に波が飛ぶ。ドンドドドンドドンドドンドン。もはや空間がうねっているかの如く力強い音が、次元を引き裂いてしまうのではないかと思えるほどに激しく連続して叩きつけられる。情熱的で脈動的で、それなのに繊細で美しく、私にはなんだか計り知れないものに感じる。だが、悪い感じもしない。これは畏怖だ。神や鬼神に向ける、最上位の敬意にして畏れ。魔法少女は神。その言葉に嘘偽りなどなかった。
「ウィニーちゃんの魔法に驚いた?」
「そうだな。とんでもない力だ、あれは。生命力そのものだ」
「おぅい、フミトぉ。あれはなんだ? 俺は魔法少女を助けるって聞いてたんだが」
永生も起き上がってこっちに来ていた。だいぶ回復したらしい。
「どうもあれが魔法少女らしいな」
「ははぁ。アニメとかと比べると随分漢らしい魔法少女だな。で、その女の子は?」
「「ハトホーだ」よ」
「やっぱりそうなのか⁉ なんかそんなにべったりくっついてると恋人みたいだな」
恋人⁉ いや、でも、ハトホーは魔法妖精だ。恋人じゃない。
「フミトはボクの身体を洗ってくれたりしたんだよ?」
「マジかよ」
「語弊がある言い方をするな! 洗ったのは事実だがそれは妖精の姿のときだろ⁉」
ふふふ、となぜかハトホーは勝ち誇ったような顔をして微笑む。これが私の家のテーブルの上でトマトの汁に口を汚していたあのハトホーなのか? 駄目だ。頭が回らない。花火が上がっている。違う。これは太鼓だ。この胸の熱さも、きっと魔法のせいだ。
「はっ!!!!!」
ウィニーちゃんの演奏が終わる。特別に何か変わった感じはしない。微妙に、視界の景色が生き生きとしている…………ような。
「おーわり。虚空の隙間は全て閉じたし、ウロは全部消し去った。はぁ~。あたしが好きだった漫画、完結しないで終わっちゃったんだろうな~。でも、あたし頑張ったよね」
「お疲れ様、ウィニーちゃん!」
「イエーイ! まっ…………あたしがこの世界を滅茶苦茶にしちゃったのは事実だし、責任は取らないとね。ねぇ、歌は止まった?」
そういえば、歌はまだ残っている。以前と比べればずっと小さく微かなものではあるけれども、歌は止まってはいなかった。
「いや、消えてはいない。目を閉じて集中すればまだ聞こえる」
「あたしはこの星の海と同化しちゃったからね~。もうあなたたちはあたしの一部、みたいなものになってるのかも」
「俺はあんたの一部になったのか⁉ 俺どころか、あれも、あの海も、全部⁉」
「うん。いやー、自分以外の存在の意識に触れるって、めっちゃ疲れる。けど、あたしが知らない微生物にも思いがあるのを感じ取れたのは面白かったなぁ。あ。エイセイくんが今考えてることや記憶もわかるよ。どうして彼女に振られたか、とかもね」
「マジかよ⁉」
永生が頭を抱えて砂浜で転がっている。あれは黒歴史だもんな。哀れな親友にかけてやる言葉はない。放っておいてやろう。
「責任を取るって何をするつもりなんだ?」
「そうだねー。人々の意識をちょびっといじって皆が仲良く暮らせるようにする、とか?」
「洗脳か」
「人聞き悪い言い方しないでよ。どうせあたしが生きてる間にしか効果がないんだし、あたしが生きてる限り平和に暮らせるのって別にいいことじゃない?」
「人間は魔法少女の操り人形でも星の操り人形でもないぞ」
「それはあなたがそう信じてるだけでしょ。それに、完全に操れるのならあなたがあたしに反感を抱くことも無いんじゃない?」
それは確かにそうだった。
「あたしがするのは、ヒトの意識にほんのちょっと思いやりを足してあげるだけ。罪を憎んで人を憎まずって言葉があるでしょ? 罪は罪として罰するべきだけど、人そのものは罰しちゃいけないってアレ。あたしはさ、本当は悪意を消しちゃいたいんだよね。でも、悪意をなくしても罪を犯す人はいなくならないだろうね。だって罪の感覚なんて人それぞれだし。だから、せめて皆には思いやりを持っていて欲しい。これっていけないこと?」
答えにくい問だ。皆がみんなを思いやることができれば、確かに世界は良い方向に向かうだろう。自然の摂理から逸れたのだとしても。
「世界と同化してわかったんだけど、この世界を脅かす脅威は他にもある。あたしはそいつらと一生戦っていく。あたしが負けたら世界は終わり。ジ・エンド。その間、人類が同士討ちで滅ぶことは防いでおきたい。あたしがどうして人類の意識に思いやりを足しておきたいかわかってくれたかな」
「そう、だな。私には何も言えない」
「ふふふ。怒ってるわけじゃないんだよ? フミトくんの考えもあたしにはわかる。ねぇ、あなたにはハトホーを任せてもいいと思ってるんだ。あなたの家にハトホーをこれからも住まわせてあげて」
「パートナーじゃないのか?」
「パートナーだけど、いつでも一緒ってわけにもいかないでしょ。あたしはこの世界そのものになって帰る場所なんてもう何処にも無いも同然になっちゃったけどさ、ハトホーには帰る場所が必要なんだよ」
「ハトホー。お前は…………」
「世界と同化して再び顕現化したウィニーちゃんに、もうボクがしてあげられることは無いよ」
「いやっ、でも、お前には故郷の世界が」
「ボクは帰れない。僕の肉体はウィニーちゃんを蘇らせたときにこの世界のものになったんだよ。今のボクが帰っても、女王様以外には誰にも見えないし触れられないんだ」
「そうなのか…………」
永生にもハトホーの声が聞こえているのはそのせいか。ああ、そうか。私も責任を取らないと、な。
「ハトホー。私の家に来るか?」
「いいの?」
「たぶんこれからともに臨時政府の管理下で暮らすことになるだろう。ご飯は配給制だし、おしゃれもできない。あと、いいかげん服を着て欲しい。替えの服が自転車屋の荷物があるから、それまでは私の上着を着ていてくれ」
「うん!」
ハトホーは裸だった。ウィニーちゃんは海藻を服のように纏っていた。その海藻をハトホーにもわけてあげて欲しかったものの、私が服を貸すことを期待していたようだった。
「何があってもあたしが駆けつけるから大丈夫。あと、服は乾かしとくね」
パチンと指を鳴らしただけで、私と永生の服はからりと乾き、干したばかりのフワフワな状態に戻る。これなら風邪を引く心配もなさそうだ。
「ありがとな」
「お礼を言うのはあたし。ハトホーを連れてきてくれてありがとう、二人とも。それと、フミトくん。あなたのご両親がどこにいるかだけど…………」
「教えなくていい。私が自分で探しに行く」
「そう。それがいいかもしれない。覚悟はできてるんでしょう?」
「できてるよ」
私は自信を持って答えた。ウィニーちゃんはそれを見て満足そうに頷くと、海の方に向きなおして、笑った。
「あたしはもう行く。じゃあね、みんな。そのうち会いに行くから」
「ああ」
「おう!」
「ウィニーちゃん! えっと、いまさらだけど、魔法少女になってくれてありがとう! キミのおかげで、ボクの世界とこの世界は救われたんだ。ウィニーちゃんは、最高の魔法少女だ!」
「あたしこそありがとう! 魔法少女にしてくれて! 愛してるよ、ハトホー」
そう言ってハトホーを思いっきり抱きしめてから、ウィニーちゃんはイルカとなって海へと還っていった。沈みかけの夕陽はトマトのように真っ赤に燃え、黄昏に染まり切った空が遠くまで澄んで私たちを見守ってくれている。
「家に、帰ろうか」
「自転車は壊れちまったから、歩きだな」
永生がやれやれという風に歩き始める。私もその後を追うが、その前に。
「ハトホー。足を怪我すると危ない。私の背中に乗るといい」
「わかった。重いなんて言わないでよ、フミト!」
彼女を家に送り届けよう。我が家に。世界はかつての景色をもう取り戻せないけれども、きっと良い方向に向かうはずだ。思いやりだけは忘れずに抱いて。私たちは前に進んでいく存在なのだから。
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