キリンこうえん

空野宇夜

キリンこうえん

「ない」


 本来左右対称のはずのブランコだが、その男児はそのブランコが左右対称ではなくなっていることを知った。


 キリンこうえん。それはとある下町の真ん中にある小さな公園である。キリンこうえんというのは通称で、正式な名称は入り口に掲げてあるはずが、誰もそこに書かれている文字を読もうとしないためにずっと通称で呼ばれている。なぜキリンと呼ばれるかは一目瞭然、門の上部分にキリンの絵が描かれているからだ。


 公園の中には縄で作られた網のような遊具やちょっとしたアスレチック、それに大きなバネのついた動物の遊具、ブランコなどの遊具が所狭しと置かれている。



 かつて、ブランコは二つぶら下がっていた。


 キリンこうえんはいつも、放課後の小学生の溜まり場となっていた。子供たちは、今にも朽ちてしまいそうな木の机でカードゲームを遊んだり、携帯ゲーム機を持ち込んで通信対戦したり、単純に鬼ごっこをしたりしていた。


 とある日のことだった。その日はまだ夏の余韻が残った暑い日だった。


 山ちゃんと呼ばれる少し細身の少年がいた。彼はいつも仲間内で一番早く待ち合わせ場所に来ていた。


 彼は今日も約束の場所、キリンこうえんへ一番乗りで来ていた。時刻は四時前、太陽が少しづつ傾き始めていた。


 彼は門の前で自転車を降り、それを押しながら門を潜った。


 少し進むと町の音が消えた。下町の、商店街の真ん中にあるはずだが、不思議なことにも公園の中では外の音が聞こえなくなるのだ。不思議なことではあるはずなのだが、彼らにとってはもう当たり前のことであり、もう誰もそれを不思議とは思わなくなっていた。


 山ちゃんは適当な場所に自転車を停めると少し周りを見渡して何をしようか考えた。自分一人でできる遊びなど公園ではかなり限られていた。そのため彼はおとなしくベンチに座っていようかと思ったが、それだと味気ないと思ったのかブランコの方へ歩いた。


「え、なんで」


 山ちゃんは思わず口を開いた。本来二つあったはずのブランコが一つなくなっていたからだ。乗れたはずのブランコがない、彼はそんな現実を疑い、ブランコはそこにあるに違いないと信じた。そして彼は真実を確かめようとブランコのあったところへ手を伸ばそうとした。


 しかし、その手は伸び切らずに引っ込んだ。砂の上を走るタイヤの音が聞こえてきたからだった。山ちゃんは振り返り、ブランコに背を向けて歩いた。


「よお〜」


 自転車に乗った少年は片手を離し、山ちゃんへ向けてその手を振った。


「マサ!」


マサはキリンこうえんのある商店街にある店の息子である。小太りしている。

 マサは山ちゃんの自転車の隣に自分の自転車を停めた。


「マサ、あれ見ろよ」


 山ちゃんは消えたブランコを指差した。


「え? ブランコないじゃん」


マサは目をこすった。彼は現実を疑ったようだ。


「まあいいや、遊ぼうぜ」

「そうだな」


 あくまで彼らはここへ遊びに来ただけだ。面倒ごとには足を突っ込まない。


 ショウが公園へやってくると、彼らはブランコのことなど完全に忘れて遊び呆けた。


 彼ら三人が鬼ごっこをしてキリンこうえんの中を走り回っていると、また自転車が砂の上を走る音がした。だが彼らは三人で遊ぶ約束をしていたため、望まぬ客であったことは間違いなかった。


 一人二人と自転車を押しながら顔を覗かせた。山ちゃんたち四人は思わず立ち止まり自転車の音の方向へ顔を向けた。二人はどう見ても山ちゃんたち5年生より幼く見えた。顔見知りなのかショウが口を開く。


「三年か? ここで遊ぶなら邪魔になるからどっか行けよ」


どこか喧嘩腰なショウの口調に三年生の二人は表情を曇らせる。


「え、ここに誰もいないの?」


三年生の一人が勇気を出して聞いた。


「いやいなかったぜ?」


一番始めにここへやってきた山ちゃんがそう答える。


「さ、どっか行け」


するとショウは眉間に皺を寄せ手を振り払った。


「おかしいなぁ、ここで待ち合わせしてたはずなのに。どこ行っちゃったんだろ、コタロー」


彼らは困惑した表情でそのようなことを呟きながらとぼとぼと自転車を押していった。


「ふう、じゃあ行くぞ」


 鬼だったショウはそう言ってマサに向かって走り出した。


「お前マジかよ、やば」


マサもそう言いながら逃げ出した。


 彼らはそのまま夕方まで遊び、各々の家へ帰っていった。



「今日は緊急の朝会ということで、大事な部分だけをお話します」


翌日の朝、普段朝会のない日に校長が全校生徒の前に立った。


「昨日の放課後から3年生の清水小太郎君が帰って来てないと小太郎君のお母さんから電話がありました。どうやら遊びに行ったっきり帰らないそうです。みなさんがもし小太郎君を見つけたら、すぐに学校か、お巡りさんに伝えてください。小太郎君が行方不明になった犯人がいるかもしれないので、自分の身を守るためにも、怪しい人に声をかけられたら防犯ブザーを鳴らしたり、怪しい人を見かけたら、近付かないようにしてください」


 教室に戻ると、話題は神隠しの噂で持ちきりだった。


「ねえ知ってる? 今日朝会で言われてたコタローって人、神隠しにあったんだよ」


山ちゃんの隣の席の凛華が彼に話しかける。


「神隠し?」

「うん。キリンこうえんの神隠し。噂だとコタローはキリンこうえんで遊ぶ約束をしてたけどこうえんにはいなかったんだって」

「昨日の3年たちか」

「昨日いたの? キリンこうえんに?」


凛華は山ちゃんに顔を近付けた。山ちゃんは引き気味になって話を続けた。


「う、うん。俺も遊ぶ約束してたんだ、キリンこうえんで。その3年たちはショウが追い払っちゃったけど」

「そうなんだ。え、じゃあコタロー見た?」

「いいや」

「じゃあその時はもう……。でも、まだ神隠しかも分かんないんだよね」

「そう」


山ちゃんは目を逸らした。それでも凛華は続ける。


「これまでの神隠しにはルールがあってね、神隠しがあった時には必ず、ブランコが消えていたらしいの」


ブランコ。その言葉が山ちゃんには引っ掛かり、数秒の間黙って考え込んだ。すると脳裏によぎるのは昨日の記憶。左右非対称のブランコ。消えたブランコ。あの、のれないブランコ。


「うわっ」


急に山ちゃんの口から出たその言葉は凛華を驚かせた。


「なかった。ブランコ。思い出しちゃったよ」


 彼の気付きがまた、彼らを動かした。ショウにブランコの話を聞かせると、「神隠しなんて起こらないって」と聞かず、挙げ句の果てには実際に神隠しが起こるか試してみようという流れにすらなっていた。


 そして放課後、三人はいつもと違いキリンこうえんの門の前に集合した。


「ショウ、お前ビビってんじゃねーのか?」


 一番最後に来たショウを煽るようにマサが言った。しかしマサもそんなことが言えるような立場ではない。無意識の足の震えが抑えきれてないのだ。彼もまた、強がっていた。


 公園の中へ入るとやはり町の音が消えた。しんと静まり返る公園を見て、彼らはいつもと違う感覚に襲われた。


「ショウ、マジでヤバいってこれ」


 山ちゃんが声を震わせた。それでもショウの好奇心は揺らがない。心なしか三人全員の足取りが重くなっていた。


「いいや神隠しなんてないって。そんなデタラメに騙されるなよ。こんなの普通のキリンこうえんじゃん」


 ショウは肩をすくめた。


「普通じゃないからヤバいんだよ。見ろよ、ブランコなくなってるぞ」


 三人の目の向く先には一つだけになったブランコがぶら下がっていた。


「マジでなかったのか」


ショウは苦笑いした。


「ショウ、ここまで来たのはいいけど神隠しの会い方わかんなくね」


マサが苦言を呈して片方だけあったブランコに座った。山ちゃんもマサについて行き、なくなったブランコのあった方の柱へ寄りかかろうとした。すると、異変が起こった。山ちゃんの右腕がひとりでに持ち上がったのだ。


「は?」


 山ちゃんは状況を飲み込めずにいた。確かに誰かに掴まれている感覚があるのに、誰かに引っ張られている感覚があるのに誰も引っ張っている人がいないのだ。


「山ちゃん、お前それマズくないか!?」


ショウが血色を変えて言った。彼は駆け寄り山ちゃんの右腕を掴んだ。


「これが神隠しなのかよ」


マサが目を見開く。そして彼はブランコから飛び降りた。


 山ちゃんの右腕には手形のようなものが浮かび上がり、引っ張る力はみるみる強くなっていった。


「助けて! 死ぬ!」


山ちゃんは死に物狂いで声を絞り出した。今にも浮かび上がってしまいそうな山ちゃんを見てショウは泣きそうな顔で山ちゃんを引っ張った。


「山ちゃん!」


マサも必死な顔で山ちゃんの体にしがみつき、神隠しを阻止するべくこちら側へ引っ張った。


 山ちゃんは言葉にならない声を発しながら神隠しに対抗した。その甲斐あってか山ちゃんの右腕からは手形が消え三人はその場に倒れ込んだ。それも束の間のことだった。


「足! 足引っ張られてる! 引っ張って!」


 今度はマサの右足が取られた。ショウと山ちゃんはマサの脇に腕を通して力一杯引っ張った。マサも足をジタバタさせて得体の知れない何かを振り払おうとした。


「抜けた。助かったぁ」


 なんとかマサは助かり、彼は安堵した。


「何やってんだマサ! 逃げるぞ!」


 山ちゃんはマサを現実に引き戻し、彼を立たせてその場から走り出した。


 だが、山ちゃんは走り出しても思うように走れなかった。混乱で足元がおぼつかなかったのだ。彼はそのまま低木の群れに倒れ込んでしまった。そこで山ちゃんは目にした。地面から生えた右腕。その小ささからまだ子供だろう。その腕は冷たく白い。


「コタロー」


 山ちゃんは息を荒げ、がむしゃらに低木から抜け出した。その後は、目の前に見えた光だけを頼りに、何も考えず走った。光の先には馴染みの商店街の景色が広がっていた。気づけば息切れしていて、隣にはショウとマサがいた。


「マサ、山ちゃん、良かった。もうここに来るのはやめよう」


 皆、ショウの言葉に従った。

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