ぎっくり腰で、車に轢かれそうになる

第二子の育児休業は、ぎっくり腰とともに幕を開けた。


長女が生まれたのは、長男が2歳の頃だった。0歳と2歳の子供たちは、二人とも赤ちゃんみたいなものだ。どこかへ移動する時は2歳長男をベビーカーで、0歳長女を抱っこ紐に入れていた。


栄養不足、運動不足、寝不足。母親にとって産後は、足りないものをあげたらきりがない。育児給付金もしばらく経たないと振り込まれないから、お金も満足にあるわけじゃない。

当時の私は若く、自分の人生には足りないものばかりだと思っていた。子供が子供を産んだようなものだったのだろう。常に満たされない思いを抱えて、暗くて出口の見えないトンネルにいるような日々を過ごしていた。


ある秋の日、子供たちを連れて散歩していた。特に行く宛があるわけでもない。平日の昼間なので、皆は仕事している。家にいても鬱々として仕方ないので、ひとまず近所のコンビニでも出かけようとしたのだ。東京の空は深い青で、ほとんど秋の空を思わせた。ベビーカーの長男も、抱っこ紐の長女も、なんだかよくわからない理由で泣いていた。


私は「泣きたいのはこっちなんだけどな」と思いながら、空を見上げた。どうしようもなくなると、人は天を仰ぐものである。その姿勢は、実は腰に悪い。教会の天井画を描き続けたミケランジェロもその弟子も、腰痛に悩まされたという話を聞いたことがある。彼らはずっと反り腰でいたからだ。

空を見上げていると突然、腰に激痛が走った。地獄のような痛みだった。人はいつだって手遅れになってから思うのだ。「そういえば」と。


私はその場に崩れ落ちた。立っていられなくなってしまったのだ。そこは横断歩道で、歩行者用の信号は赤信号に変わってしまった。そしてよりによって交通量の多い、駒沢通りだった。


「ここで死ぬのかな」と覚悟した。不思議と静かな気持ちだった。どこか安心してもいた。「こんなに心が殺伐としている母親に育てられたら、子供は幸せにならないだろうな」と悩んでいたので、そんな毎日に終止符を打てることが嬉しかった。夫との不仲も、しんどかった。

覚悟を決めて、目を閉じかけた。すると目の前に、赤いコーンが置かれた。


それは工事現場でよく見かける、プラスチックのコーンだった。「大丈夫ですか?」と男性が声をかけてくれた。彼は近くで工事をしていた、作業員さんだった。


作業員の男性は機転をきかせて、私の周りに赤いコーンを次々と置いてくれた。そして赤く光る棒を持って、交通整理を始めた。何事かと思って寄ってきた他の作業員さんたちが、私と子供をひとまず歩道へ避難させてくれた。

歩けない私を見て「タクシー呼びましょうか?」と声をかけてくれる人がいて、泣きわめく子供たちをあやしてもくれる人もいた。


私は何とかして整形外科へ行った。いつもはイライラする膨大な待ち時間も、先程の作業員さんたちの優しさのおかげで、穏やかな気持ちでいられた。痛み止めをもらい、腰痛ベルトをつけてもらって、家へ戻った。


家に戻り、服を脱いだ瞬間。子供たちがすごい勢いで笑い始めた。彼らの指は、腰痛ベルトを指している。それは黄土色でゴム製の、ぶあついベルトだった。確かにおしゃれとは言えない。むしろ、とってもダサい。もし好きな子がこれをつけていたら、一気に冷めてしまうだろう。


「誰のせいでこれをつける羽目になったんだ」と舌先まで出かかったが、子供たちの笑顔を見ているうちに、なんだかもうどうでもよくなってきた。暗いトンネルの中に少しだけ、光が差した瞬間だった。


あの二年後に次女が生まれるたのだが、その時にもやっぱり暗いトンネルに入りそうになることは何度もあった。でも道路で赤いコーンを見るために、思い出す。どこかに優しくしてくれた人がいたことを。その優しさには、育休を取り、平日の昼間にぶらぶら歩いていなかったら、出会えていなかったのだと。


ちなみに次女の育休中も、もちろんぎっくり腰になった。3人の子供たちは私の腰に巻かれたダサいベルトを見て、痛みでもだえる私の気持ちも知らず、腹を抱えて笑うのだった。

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