第一話 くずもの屋でお茶を飲む

場:石畳の街路。シャーベット状のぬかるみ

SE:シャリシャリの雪を踏んで馬車が通る音、雑踏音をずっと流す。ブリキの立て看板にぶつかる音


アーサー「うわ、わ、わ、わあっ」


SE:ぬかるみで転ぶ音


アーサー「(間)つっめてーーー!! (間)あー、……ついてないなあ……うわ、泥だらけだよ……」


SE:ぬかるみで立ち上がる音 雑踏から通行人のご婦人の冷笑ガヤ


アーサー「(歯をカタカタ言わせながら)看板倒しちゃった、直さないと……あー、さっむー!!! 」


SE:倒れた看板を直す音、開閉時に鳴るベルのついたドアを開ける音


ファルカ「ねえ、あんた大丈夫?」


アーサー「(凍えた声で)あんまり、大丈夫じゃないかもです」


ファルカ「うちの店の看板にぶつかって転んだんでしょ、見てたわよ」


アーサー「(力なく笑ってごまかすように)ははは」


ファルカ「ちょっと入んない? 服がぐちゃぐちゃじゃない」


アーサー「いや、もう帰りますんで」


ファルカ「風邪引くよ? 貴方の家がどこかなんて知らないけど、そんな濡れ鼠じゃ帰りつく前に凍っちゃうわ、ストーブに当たっていってよ」



アーサー「す、すみません」


SE:店のドアを閉める音


ファルカ「ヒッグス商会へようこそ、私はファルカ・ヒッグスっていうの。こっちは弟のマーカス」


マーカス「……いらっしゃい(ちょっと笑って)見事にびしょびしょだな、床が泥まみれだ」


アーサー「(歯をカタカタ言わせながら)すみません、お邪魔します」


ファルカ「私たち見ての通りここでくずもの屋やってるの。他にも、お金もらってよそのお宅の壊れたとこ直したりペンキ塗ったりして暮らしてるわ」


アーサー「(歯をカタカタ言わせながら)あ、噂には聞いたことあります」


ファルカ「どうせ、ものすごい変わり者きょうだいとかいう噂でしょ?」


アーサー「(歯をカタカタ言わせながら、ごまかすように)あー、えーと」


ファルカ「否定はしないわ。変わり者なのもほんとだもの。……あ、そのドロドロの靴はそこで脱いで」


アーサー「あっ、はい」


SE:泥靴を脱ぐ音、次の台詞の内容に合わせて、室内用ドアを開け閉めする音を入れる


ファルカ「ほら、バスルームはこっちよ。コートとジャケットも脱いで。はい、ちょっとぬるいけどお風呂に入って。タオルとやかん、ここに置いとくから温度調整してね。お湯使ってからこのガウン着て」


アーサー「え……バスタブ?! 豪華ですね! 」


ファルカ「バスタブがあるなんてお金持ちみたいでしょ。くずもの屋はいろんな建材も手に入るのよ。さ、早くお湯つかって? 冷めちゃう」


アーサー「……ありがとうございます」


ファルカ「あ、服は残り湯でざっとすすいで、絞ってよ? 乾かしたげるから」


アーサー「ありがとうございます」


※19世紀英国は庶民の家には風呂はもちろん入浴習慣もないので、体をお湯で拭いていました。



SE:ドアの閉まる音、濡れた服を脱ぐ音、水音やタオルを絞る音、スリッパの足音、ドアの開閉音


アーサー「さっぱりしました。ありがとうございました」


マーカス「濡れた服はこのストーブの上のロープに干しときゃ乾く。ほら、よこしな」


アーサー「すみません……でも、店内に干してもいいんですか?」


マーカス「気にすんな。干しても干さなくてもどうってことないくらいとっ散らかってるんだからよ。それより、このストーブ、どう思う?」


アーサー「昔の薪ストーブですよね。田舎の台所で使われてた感じの……懐かしいなあ」


マーカス「いいだろ。こいつはメイフェアの居酒屋から買い付けたんだ。ガスのストーブに買い換えるんだとさ。でもこいつは俺のお気に入りなんだ」


アーサー「これは女王陛下でも気に入りますよ。あー、あったかーい……」


SE:お茶を淹れる音


ファルカ「うちの店、暇なのよ。ほら、立て看板に、今日はセールでお茶のサービスもつけるって書いてるのに、誰も来やしないでしょ?」


アーサー「今日は寒いし道も悪いからじゃないですか?」


ファルカ「そうだといいんだけど。はいお茶。ミルクとブランデー勝手に入れちゃったわ」


SE:茶器の音


アーサー「すみません、いただきます……(飲む音)あ゛ー、おいしい。生き返る思いです」


マーカス「そのカップ、ちょっと欠けてるけどロイヤルクラウンダービーなんだぜ」


アーサー「えっ、……ほんとだ」


マーカス「いいものを売ったり捨てたりする人間って案外いるんだよ」


SE:しばらくお茶を飲む音


マーカス「そろそろ芋が焼ける頃だな」


アーサー「え、芋?」


SE:鍋を開閉する音、食器の音



ファルカ「こうやって芋をちょっと割ってー、ここのほくほくしたとこにバターをぶち込んだらヒッグス商店のベイクドポテト完成。スコーンやビスケットよりざっかけないけど、がっつり温まるわよ」


アーサー「いただきます……(熱がって)あっつ……」


ファルカ「あはは、誰もとりゃしないからゆっくりどうぞ。(間)ところであんた、この辺に住んでんの?」


アーサー「あ、自己紹介が遅れてすみません。僕はアーサー・コードウェルっていいます。ブリッグス橋の西側に、ウォルターフォードっていう劇場があるの、知りません?」


ファルカ「知ってる。いい劇場こやだったけど、おととしオーナーが亡くなってから落ち目だって噂ね」


アーサー「その亡くなったオーナーが僕の父で、僕が後を継いでるんです。僕はこの間までただの学生で経営とか演劇については素人ですけど、少ない経営資金とスタッフで何とか頑張ってます」


マーカス「あんた、あそこの劇場主こやぬしか!」


ファルカ「貴方の名前、アーサー王からとったのね、劇場にぴったりの名前だわ。ごめんなさい、落ち目だなんて言って」


アーサー「(笑って)いいですよ、ほんとのことですから。でも、それなりに努力はしてるんです。他の流行ってる劇場にも足を運んで経営のやり方とか、どういう演目が受けるのか、どんな舞台装置があると映えるのかとかを自分なりに分析したり」


マーカス「フィナーレでフレンチカンカンでもやってりゃ手っ取り早く大盛況になるだろ」


アーサー「そういうのはうちの路線じゃないんで……」


ファルカ「で、今日はこの辺で何やってたの?」


アーサー「小道具を安く手に入れられたらと思って、こちらのお店を外から覗こうとして転びました」


マーカス「そういうのは、コヤ借りる劇団が準備するんじゃねーの?」


アーサー「最近はそういうやりかたも増えてますけど、劇場で雇っている役者さんたちをお払い箱にはできませんし、昔ながらの芝居が好きだっていうご贔屓さんもいるんですよ」


マーカス「劇場こや主体で役者抱えて興行すんのって時代遅れだろ。あんた若いわりに古風だな」


アーサー「古風な親に育てられたものですから……あ、そうだ、ちょっと聞きたいんですけど、演劇に興味のある美男子に心当たりはありませんか」


ファルカ「もしかして役者募集中なの?」


アーサー「ちょっと困ったことになってて(ため息をついて)……劇の主演俳優が足折っちゃって、代役を探してるんですよ。来月からって新聞広告まで出してるのに……とにかく女受けしそうな二枚目役なんですけど」


ファルカ「マーカスはどう?」


アーサー「(困ったように)あー……えっと……」


マーカス「(笑って)ははは、俺は無理だろ。優男でもねえし、店ほっぽりだせねえし。金出しゃ優男なんてすぐ集まるんじゃねーの?」


アーサー「正直、お金はないんです……人を雇う余裕がないから、裏方作業は僕と役者さんたちで手分けしてやってる状態で」


ファルカ「劇場主こやぬしさまのコートにもジャケットにも、繕ったところがいっぱいあるくらいだものね……ねえ、それって男じゃないとだめなの?」


アーサー「へ?」


ファルカ「私、主演俳優の代役なんて大それたことはできないけど、かなり有能だと思うの。大道具とか幕の上げ下げとかやってみたいわ。ミシン踏むのも得意だから衣装の方も手伝えるし。上演中に裏方の手が空いたら通行人のご婦人役くらいはやるし、死体役なんかも面白そう」


マーカス「姉ちゃんは人前に出るの好きだもんな」


アーサー「あの、面白いと思ってくださるのは嬉しいんですが……、こんなこと言うと何様って思われそうなんですけど、僕らは真剣なんです。いいものが作りたいんです。みんな、これが最後かもしれないからって」


マーカス「最後って?」


アーサー「(寂しそうに)銀行に借金があるんです。返済が滞って、あと二ヶ月の返済状況では劇場が差し押さえられることになってて……だから、こんな状況で、物見遊山感覚の未経験者は雇えません。ごめんなさい」


ファルカ「そうだったの……ごめんなさい、私も無神経だったわ」


気まずい間


アーサー「あ、劇場がなくなるかもって話は、秘密にしといてくださいね。うまく行けばまだ続けられるかもしれないし、有終の美を飾ったのにまだやってたりするとカッコ悪いじゃないですか」


マーカス「うん、わかった。誰にも言わねえよ」


SE:立ち上がる音


アーサー「……辛気臭い話をしてすみません。そろそろ帰らないと……服も乾いたみたいなので、バスルームで着替えて来ますね」


SE:ドアの開閉音


マーカス「あいつ、気分悪くしたかな」


ファルカ「(少しテンションを落として)……かもしれないわね」


SE:ドアの開閉音


アーサー「服がよく温まってとても快適です。ありがとうございます。では、僕はこれで」


ファルカ「ちょっと待って、コートはまだ生乾きだわ。こっちのコート着てって。ブラックフェィスのスコッチツイードなの、返さなくてもいいから」


アーサー「えっ……これ売り物でしょう? すごく高いんじゃ……」


ファルカ「高いって言ったってくずもの屋が売ってるレベルよ。虫食いとしみだらけだったのを私が直したの。全然わかんなくない?」


アーサー「ええ、すごいですね。(間。おずおずと)あのー、なんで見ず知らずの僕にこんなに親切にしてくださるんですか?」


ファルカ「私、小さい頃、ウォルターフォードに『ばらと指輪』を見に連れていってもらったの。すごくキラキラして楽しかった。あんたのお父さんに頭を撫でてもらって花瓶のばらを一輪もらったのよ。だからあのときのお礼っていうか……とにかく私のロマンチシズムよ」


マーカス「(笑って)姉ちゃんは人の話にぶわーっと感動しちゃあ店のもんをプレゼントする癖があってさ、言っても聞かないんで、まあもらって行けや」


SE:ぽんと肩を叩かれる音


アーサー「ありがとうございます。お礼に、今度招待券持ってきます!」


SE:店のドアを開ける音


ファルカ「招待券じゃなくて優待券でいいわよ。じゃあ、アーサー、気が向いたらまた遊びに来てね。お茶くらいいつでも淹れるわ」


マーカス「大変だけど、あんたも頑張れよぉ?」


アーサー「はい! ではまた、お二人ともご機嫌麗しゅう」


マーカス「(笑って)セリフっぽい言い回しだな」


アーサー「(笑って)あっ、つい、身に染み付いちゃって。じゃ、失礼します」


SE:ドアを閉める音、雪道を歩いて去っていく音


マーカス「みんな、苦労してるんだよな……で、それを見せないように頑張ってる」


ファルカ「うちは逆なのよね。みんな、うちのことをぼろ着てゴミの中を這いつくばってる貧乏人だと思ってるけど、そのへんの勤め人より物質的には裕福なのよね」


マーカス「裕福は言い過ぎだって」


ファルカ「『外商中』ってウソついて、彼女とどこぞのマナーハウスに三日もしけこむような優雅な暮らしをしてるのは誰だったかしら」


マーカス「……バレてたか」


ファルカ「グラニーって可愛いわよねえ。素直で気も利くし……あんたにはもったいないくらいいい子だわ。いい加減ちゃんとしないと、グラニーが可哀そうよ」


マーカス「俺もいい加減につきあってる気はねえよ」


ファルカ「あんな可愛くて素敵な子、はやく結婚しないと盗られちゃうから。だから私、アーサーんとこで仕事もらおうと思うの」


マーカス「論理が飛躍しすぎだって」


ファルカ「だって、あんたが結婚したら、グラニーはここに住むんでしょ? そしたらあんただっていちゃつきたいでしょ? 小姑なんかお呼びじゃないわ」


マーカス「(照れて)そりゃあ、まあ。でもあのコヤ、潰れかけだって言ってただろ。大丈夫か?」


ファルカ「面白そうだからそれでいいのよ。しばらく食える程度の私名義の貯金はあるから何とかはなるし、どうともならなくなったら日中だけ出戻ってここで店番させてよ」


マーカス「それはいいんだけど、劇場こやに迷惑かけんなよ?」


ファルカ「わかってるって。明日は商談があるから、あさってが勝負ね。とにかくウォルターフォードに直談判しに行かなきゃ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る