創作短編集

染舞(ぜんまい)

世界一平和な婚約破棄をしよう

「ライア=キャンベル。君との婚約の破棄を、今この場で宣言する」


 その言葉だけを聞いた時、普通ならばどういう感想を抱くのだろうか。

 分からないが、私は……目の前でその言葉を私に宣言した相手、この国の皇太子であるリーガ=レ=ツヴァイが浮かべる『表情』を、不快に思った。

 皇族の証である紫の瞳を、今にも泣きそうなほどに歪めたその顔は、口にした言葉が本心ではないと告げているようであったから。

 それではいけないのだ。宣言するのであれば、心からの宣言でなければならない。

「殿下。私とあなたの婚約は陛下の元で宣誓されたものです。それを破棄する。その意味をおわかりですか」

 いろいろと言いたいことをこらえて淡々と返せば、リーガは体を震わせた。堪えるように拳を握り、唇を噛み締めている。

「君が彼女にしてきた今までの悪行の数々……証拠があがっている」

「ほお?」

 リーガが大切そうに肩を抱き寄せた1人の令嬢。最近彼が仲良くしているともっぱらの噂で、将来は妾にするのではないかと言われていた。

 焦げ茶のくせ毛を可愛らしくまとめ上げ、くるりとしたこれまた可愛らしい青い目を持つ令嬢の名はリルベル=サライ。サライ男爵家のご令嬢だ。

 そう、男爵家。領地すらろくにないような、皇太子の隣に立つにはあまりにも身分が釣り合わない存在だ。

 だからそんな身分の令嬢が婚約者に近づいたのが気に食わなかったのだ、とリーガの隣に立つ眼鏡の男が言う。彼はリーガの乳兄弟で、ゆくゆくは国を支える最側近となるだろう存在だ。一応私とも幼馴染ではあるものの、こちらを見る目はとても冷たい。

 そんな存在が、私を弾劾すべく罪状と証拠をあげていく。

 周囲がざわついた。

 この場は祝いの場。学園の卒業パーティ。有力な貴族の子息・令嬢が集う場である。

 わざわざこの場で婚約破棄を宣言し、その正当性を訴えるのにはデメリットも大きいが、証人というメリットを取ったのだろう。今起きていることの顛末を見届ける証人たち。彼らにはまだ実権はなくとも、将来国を支える有望な者たちであることは事実。

 何よりもこれだけ大勢の前であれば、どれだけ戒厳令をしいたとしても話は広がる。

 まあそれ自体は良い。私が気になるのは、やはりリーガの『表情』だった。どこまでも被害者、という顔をしていた。私に裏切られたと、嘆く顔だった。

――今この瞬間ですら、私にそれらの事実を否定してくれと、そう懇願している顔だった。

「そうですか」

「ッ! なぜ否定しない?」

「否定したところで無意味でしょう? 殿下は私より、そこの男爵家の小娘を選んだ。それをこのような場所で示しておきながら、私に今更なんの言葉を求められるというのでしょうか」

「身分なんて関係ない! リルは素敵な女性だ。それは君だってわかっているだろうっ? なのになぜ!」

「殿下こそおかしなことを仰る。あなたこそ分かっていらっしゃるはずです。あなたはこの帝国を率いることになるお方。そんなあなたの隣に立つ后として、男爵家の娘はふさわしくない」

 ブルッとリーガが体を震わせた。怒りなのか。悲しみなのか。顔を俯かせたのでハッキリとしない。

 しかし拳がギュッと握りしめられたのは見えた。

 リーガが顔を上げた。

 窓から差し込む月光が、そんな彼を麗しく、尊く輝かせる。

「身分が問題だというのならば、私はそれを覆して見せる」

 ざわり、とまた場がざわつく。

 リーガのその発言は、この国の……いや、この世界全体に根付いている身分制度を根本から否定するものだからだ。

 単純に驚く者、面白そうな顔をする者、不快感を必死に隠そうとする者、戸惑う者。様々な反応を確認する。

「何をおっしゃられているのか分かっておられるのですか?」

「ああ。身分のせいで自由になれず、愛を語ることもできず、未来へすすめないというのならば、私はそれを変えて見せる!

 諦めることなど、しない。

 彼女と――リルベルを始めとした私についてきてくれる者たちとともに、変えて見せる」

 強い眼差しをしたリーガがリルベルの肩を抱き寄せると、いつの間にか彼の周囲には複数の子女が集まっていた。いずれも将来有望視されている生徒たちだ。そこには平民も混じっている。

 リーガの凛々しく高貴な紫の瞳を真っ向から見つめる。リーガもまたこちらをまっすぐに見ていた。先程の弱気な様子はない。ただ、ぎゅっと結ばれた唇が無念さを語っていた。

 口を開く。

「よく言った! それでこそ、我が親友!」

 ぱちぱちぱちっと拍手をすると、リーガは「は?」と間抜けに口を開けた。

 その間にリーガの周囲からも拍手が上がる。

「よっ、殿下! 格好良かったぜ」

「ふん。やればできるじゃないか、弱虫殿下」

「素敵ですわ、リーガ様」

 会場にいる約半数が微笑ましそうにリーガを見て拍手をし、残りの半分がわけがわからないという顔をした。

 リーガの凛々しい瞳が、混乱している。

「は? 一体、何? え?」

「いやぁ、長かった。お前からその言葉を引き出すまで」

「へ?」

 わけが分かっていないリーガに種明かしをする。

「リーガ。私はお前に世界一幸せになってほしいと思っている」

「ライア」

「しかしお前はこの国を大事に思いすぎている。自分のことよりも周囲のことを考えすぎる。それは皇帝という立場ならば正しいのかもしれない。

 だが私はお前に、世界一幸せな皇帝になって欲しいのだ」

 私とリーガは幼き頃から婚約者として過ごしてきた。周囲からそう決められた。

 互いが互いのことを好いてはいたが、しかしそれは友愛であり、家族愛だ。恋愛感情ではない。

 公爵家の娘として、皇太子の婚約者として生まれて過ごしてきたため、皇帝となったリーガを支えることは出来る。出来るが、リーガを心の底から幸せにできる自信はない。そして私自身も、リーガの妻となって心から幸せだったと言える自信はない。

 私達の結婚は国の利益にはなる最良の手段だが、互いの幸せにとっては最良ではないのだ。

「改めて、先程の問いに答えよう」

「問い?」

「聞いただろう? 否定しないのか、と。」

「……ああ」

 悟ったのか。リーガの目が期待に揺れた。私は安心させるように笑う。

「否定しよう。私はリルベル嬢に嫌がらせなど全くしていない。そうだろう?」

 否定はリーガの目を見てまっすぐに。最後は彼の周囲にいる面々に対して、片目をつむりながら言う。

「ええ。先程の証拠はすべて捏造です……まったく。私にこんな低レベルの嘘をつかせるなんて、高く付きますよ。ライア」

「そうです。私、ライア様にいじわるなんてされてません。むしろ、いろいろと教えて頂いてるんです。

 ちょっと厳しいですけど」

「それは許していただきたい、リルベル嬢。私が10年以上かけて学んできたものを数年で君に叩き込まなければならないのだから」

 リーガが何か言おうと口を開き、しかし言葉になる前に膝から力が抜けたように崩れ落ちた。それを察していたので、完全に倒れ込む前に駆け寄って支えれば、声が聞こえた。

「良かった」

「…………」

「君は、変わってなかったんだな」

 声も身体も震えていた。ぽたぽたと水滴が床に落ちているのが見えたので、フッと笑いハンカチを差し出す。

「ああ、すまない。約束を違えぬためとは言え、このような方法しか思いつかなかった。

 お前に、皆にたくさんの嘘をついてしまった」

「いや、いいんだ。私が、私が情けないからだろう」

「お前は優しすぎるからな」

 リーガが悩んでいたのを知っている。私を皇妃としての身分から開放しようとしていた。だけどそれが難しくて苦悩していた。私はそれが嫌だった。リーガはこのままでは私を開放することに囚われてしまう。

 リーガが私に幸せになって欲しいと願ってくれるのと同時に、私もまたリーガの幸せを願っているのだ。

 だからこそ、リーガに自分の口で宣言してほしかった。彼が本来進むべき道を。

 父や陛下にはすでに話を通していた。陛下は少し渋ったものの、父や皇妃の言葉に最後は頷いた。しかしその条件として、リーガが自らの意志と言葉でそれを堂々と宣言したなら、と提示された。

 そのため、リーガの混じり気のない本音を引き出すため、彼には知らせずに周囲を巻き込んで『婚約破棄宣言』をさせることにしたのだ。

 くるりと身体を反転させる。

「皆も、巻き込んですまない。だがここに、一組の素晴らしきカップルが誕生をしたことを、どうか一緒に祝って欲しい」

 指を慣らすと、侍従が動き、飲み物を配りだす。もちろん私も受け取った。

「では改めて。皆、卒業おめでとう。皆のこれからの未来に。そして、未来の皇帝夫妻と、我らの愛するツヴァイ帝国に、乾杯!」

 天井へと掲げられた多くのグラス。

 一口飲んだその葡萄酒が上質なのはもちろんだが、それでも公爵家で出されるものに比べれば味は落ちる。

 落ちるはずなのに、今まで飲んだどんなものよりも美味しく感じた。

 笑った親友と、そんな親友が愛する者たちに囲まれて過ごしたその一夜は、一生の記憶に残るものだった。




***




 リーガは手にしたグラスを天へ掲げ、フッと笑った。

 卒業パーティから2年が経過していた。それを長いととらえるか短いととらえるかは人それぞれだが、リーガにとっては短かった。

「まあ、お前にとっては長かったろうな」

 グラスに入っている葡萄酒を飲む。当然、あの日に飲んだものと同じものではないが、リーガの舌はあの日に飲んだ味を正確に覚えていた。

 単純な質でいえば今目の前にある酒のほうが上なはずだが、彼にはあの日に飲んだもののほうが美味しく感じた。

「殿下! 私です、今よろしいですか?」

 そんな時に、慌てたような女性の声がした。それは彼の愛しい人、婚約者であるリルベルだ。

 ああもちろんだと、彼はリルベルを呼んだ。

 リルベルは泣いたのか。目元を赤くさせ、肩で息をして、リーガを気遣うような顔をした。

「で、殿下。いっ、今報せが……ラ、ライア様が」

「私のところにも来たよ。

 ライア=キャンベルが亡くなった、と」

 穏やかに言うリーガに、リルベルは「そんな」と愕然とした顔をした。

「びょ、病気だなんて。この前お会いした時にそんな様子は」

「あいつは昔から我慢強くて、私みたいに顔に出さないからな。あいつの体調不良を見抜ける者はそう多くない」

 また一口。酒を飲むリーガ。暗に自分は見抜いた、と言っている彼に、リルベルは少し冷静になった。自分よりも悲しいのはリーガなはずであるからだ。

 だがリーガは、どこか嬉しげに笑っている。

「そう悲しまなくて良い。

 今日はあいつにとって良い門出だ。誰よりも『自由』を愛し、あこがれを抱いているあいつが開放された日なのだから」

 リーガが立ち上り、窓のそばに立つ。外は快晴だ。

「ライア=キャンベルはもういない……だから」

 もう一度、リーガはグラスを掲げた。

「ただのライア、君の未来に乾杯」

 そう言って、一気にグラスの中を飲み干した。




***




「さて、と。身軽にはなったが、荷物は重いな」

 帝都からやや離れた平原にて、一人の女性が「ふぅ」と息を吐き出し、カバンを背負い直した。

「隣の町まで女の足だと5日かかると言われたし、まあこれくらいの重さなら誤差か」

 そのうち軽くなるだろう、と彼女は深く気にしない。一つの経験だ、とむしろ楽しそうだ。

 拳を天へと突き上げている。

「冒険者、ライアの旅はこれからだからな!」

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