G-17 もういいよ、忘れてよ。

「諦めるんですか?」


 ひとこと、問いかけた。

 一番に碧水さんが振り返って、まもなく俺は場の視線を浴びる。


本州ないちへ人が流出しているなら、それを止める……いいやそれじゃ足りない。逆に内地から人を引き込むほどの魅力をつくるのでは?」

「……何を」

「北海道ならではの魅力なんていくらでも」

「それができたら苦労は」

「出来なければ、JR北日本あなたがたもジリ貧でしょう?」

「っ」


 担当者は言葉に詰まる。


「指を咥えて人口流出を眺めるおつもりですか」

「……それは行政の仕事。我々は一介の鉄道会社に過ぎません」

「なら、人が減るたびにこうして一本、一本と線路を剥いでいくだけですか」


 俺は語気を強める。


「その末に、北海道に鉄道は残るんですか?」


 担当者が目を瞑る。


「利益だけを見るべきではありません――座して死を待ちますか。それとも、ここで希望を持ちますか」


 俺は究極の二択を提示する。希望を持たないとは言えまい、向こうからの反論は途絶える。一方的だった場の空気が、形勢が変わった。


「……!」


 碧水さんが顔を上げたその瞬間、声が響く。


「利益?」


 思わず身構える。


「札幌近郊区間の営業係数、106」

「……はい?」

「ああ、営業係数えいぎょうけいすうというのは100円の売上に必要な費用です。それが106円――です」


 笑ったようでいて、その視線は冷徹だ。


「利益なんて、出ませんよ。わが社は営業する全線が赤字です」

「っ」


 今度は、俺が言葉に詰まる番だった。


JR北わが社の昨年度決算は800億の純損失。皆さまの足を守るため、一日あたりの赤字、2億円以上。えぇ。これでも民間企業ですよ。慈善団体などではなく」


 厳しい気候、希薄な人口。深刻な過疎化。

 北海道における鉄道の維持は、もう赤信号だった。


「札沼線だけじゃない。いまや道北最後の鉄道あしとなった宗谷本線そうやほんせんや、道東の要の根室本線ねむろほんせん――それこそ、数千という人々が使う本線クラスの維持も危ういのです」


 今あるものを維持すること。それは希望以前の話で。


「……犠牲になれと、仰るのですか」

「十数人のためにローカル線を残す体力は、もうJR北日本われわれにはありません」


 けれど。その論理は駄目なんだ。


「それでも――鉄道は公共交通です」


 その残酷な合理性は、他も次々と見捨てることに繋がるから。

 俺は立ち上がる。


「札幌直通の需要は未知数です。実証実験が先にあってもいいでしょう!」

「かつて直通していた頃のデータがあります」

「それは20年前の話でしょう、今は沿線の市街地化も進んでいます」

「っ、簡単に実証と仰いますが、やるにも閉塞システムが壁になるのです!」

「閉塞システム?」

「……でしょうが、札幌から石狩東別までは自動閉塞、以北は石狩月潟を含めてスタフ閉塞と、システムが違って実験自体が困難なのです!」

「自動閉塞は石狩月潟以南、全線のハズだッ!」


 そこで漸く、担当者の顔に狼狽が浮かぶ。否定されるとは思わなかっただろう、俄かに後方が騒がしくなって、慌てて資料を手繰り寄せる。それを確認すると担当者はたちまち目を見開いた。


「なっ、自動閉塞は石狩月潟以南!?」


(突破口、みっけ――…ッ!)


 相手の勢いが崩れて、逆転のいとぐちが生まれる。大きく斬り込んで突き放してから、場を俺のペースへ巻き込む大好機。もう一切の躊躇も油断もできない。


「閉塞方式を隔てる月潟は、そういう点で良い分断点になりうる!」


 何のための交通部だ。

 何のための高校生活だ。


「月潟以北を切り離して廃止、残りを生かすという選択肢がこうして生まれる!」


 全てが今に懸かっている。


「ほ、保安装置の更新も必要になるんじゃないですか!?」

「ATS-DNは複線区間、ATS-SNは単線区間という違いに過ぎないのですから電化限界には関係ない!」

「PRCはどうするんです!」

「2000年には石狩月潟まで自動装置が導入されてます。閉塞もPRCも月潟がちょうど分岐点、ここまで整えてきたのに廃止する意味こそ何ですか!?」


 喉がひりひりと焼けてくる。


「……そんな顔、する……んだ」


 そんな碧水さんの呟きも、表情も、視線も、俺の視界には入らない。ただ一点、前だけを見つめて言葉を掻き紡ぐ。


「いま、これまでの投資を生かすんです!」

「お言葉ですがっ、そもそも札沼線の輸送密度は147人。おおよそ通勤電車が走る需要ではない!」


 とめどなく流れ続ける汗は、冬だというのに背中をぐっしょりと濡らし上げる。


「そうだとしても――っ!」


 ばっ、と振り返った。碧水さんは俺を見上げていた。だからすぐに目が合って、どうしたか、彼女は慌てて目を逸らす。


「碧水さんっ」


 手を差し伸べた。


「力を貸して」


 少しだけそっぽを向く彼女の手元に、まっすぐと。


「叶えるんだろ、みんなで」


 すんっ、と彼女は顔を伏せる。ちらりと視線だけを寄越すと、ぽつりと呟いた。


「ずるい……」


 ほんの一言。けれどよく聞き取れなくて、俺は首を傾げた。


「だとしても?」


 間髪おかず、向こうからは担当者の声。俺は前へと向き直る。


「鉄道は……公共交通です」

「はい」

「なくてはならない、私たちの足なんです」


 握り潰しっぱなしの手を震わせて。




「……やるじゃん、中ノ岱くん」




 ぐいっ、と俺の手が引き込まれる。

 紅く染まった頬がすれ違う。バランスを崩して椅子にへたり込んだ俺は、思わず碧水さんを見返す。俺の手を引き換えに立ち上がった彼女は、ただ前方を向いていた。

 いよいよ、その口が開かれる。


「新十津川に、列車は一日一本しか来ないんです」

「……それがどうか」

「使いたくても使えない。それが現状では」


 蛍光灯の光に霞むその影は、一転、なんと毅然としたものか。


(……やるじゃんか)


 俺も静かに立ち上がる。

 それから俺たちは、啖呵を切った。


「「使えてはじめて『公共交通』でしょう!!」」


 汗だくだった。

 俺たちに流せる精一杯の汗だった。


 "速度もダイヤも改善の余地はあります!"

 ”札沼線の営業係数は1802だ!”


 廃止か、存続か。

 どちらかしか答えの出ない究極の天秤だった。


 "それも、万事尽くして見るべきでしょう!"


 それを力ずくで傾けにかかる俺たちは、果てしない綱渡りを続けて――。















「返せって……!」


 北竜が公会堂の出口を立ち阻んでいた。


「るせーなぁ」

「ちょっとくらいいいだろ」


 顔見知りのバスケ部員が2人いた。なぜここへ、聞くまでもなく俺は気づく。外で俺たちを待っていた北竜の、持ってきたはずの手提げがない。それはバスケ部員たちの手に渡っていたのだ。


「うわ、なんだこれ!」


 彼らの手には一冊のノート。見慣れた『汽跡キセキ Vol.2』の文字が躍る。一人が嬉々として叫んだ。


「おい雨龍、見ろよ!」


 向こうに目をやれば、後ろのほうに雨龍が立っていた。背中にボールネットを背負って、フードを被って雪に打たれている。


「やめとけよ、お前ら……」

「やっぱ碧水ちゃんが書いてるじゃん!」

「っ」


 思わずといった風に、彼は駆け寄っていく。


「中ノ岱と一緒に書いてるぞこれ!」

「やっぱ、楓ちゃん何かあんじゃん」

「どうするよ雨龍くん?」


 にまにまと雨龍を囲って肘を突き合う彼らに、俺は声を投げかける。


「おう、安心しろよ」


 あるいは、投げ棄てる。


「もう、何もないから」

「はぁ?」

「もうって何だよ。もうって」


 ざっ、と詰められる。俺も一歩進み出て、ばっと手を広げる。その様はまるで碧水さんを守るようであったためか、彼らを刺激する。


「あんさ。お前、碧水さんと付き合ってんの?」

「……ははっ、だったのかもな」

「はぁっ!?」


 俺はへらりと笑う。


「碧水さんを、ずっと付き合わせてたんだ。俺は」


 乾いた笑いだ。


「あの子は人気で好感高くて顔も広いからさ。利用しようとしたんだよ。俺のために」


 碧水さんが目を見開く。


「俺とは最寄り駅が同じってだけで、通学に使う汽車が同じってだけ。なのに無理言って、存続運動に手を貸してもらってたんだよ。札沼線がなくなれば高校に通えなくなるって脅して、騙してさ」


 大嘘を吐く。なんで、と痛いくらいの視線を背に感じる。けれど、せめて最後くらい嘘のひとつやふたつ許してほしい――碧水さんが泥を被らなくていいように。いいや、北竜も部長も、くだらない好奇の視線に晒されなくて済むように。


「脅して……騙したって?」

「聞いたか、雨龍?」


 きっ、と焦点を定めて、雨龍は俺に迫り寄った。


「なんだよ」

「?」


 彼はもう一度、俺へ問いただす。


「……なんだよ、札沼線って」

「あぁ、知らなくていいよ――もう来年にはなくなる」


 どさり、荷物が落ちる音。

 雨龍の背後ずっと向こうに目を向ければ、少女がひとり、片手のバッグを落として呆然と立っていた。


「……今日は模試じゃないんですか、部長」

「はっ……はい。帰りに様子をと、いま……着いて」


 そんな部長と俺を遮るように、雨龍が動いて立ち阻む。


「お前らは、何をしてたんだよ」

「ずーっと、無駄なこと」


 最初からどこまでも、何にもなりやしなかった。


「お前ら、決勝まで行ったんだっけか」

「……あぁ」

「それ見てさ、何勘違いしたんだろうな、勇気もらったんだよ。手を合わせれば届くってな……馬鹿みたいな夢を信じてさ」


「はぁ?」


 にへら、と後ろの男子たちが笑う。


「オレらと同列なの? 男のくせに、文化部で」


 俺も嘲笑った。


「ああそうさ。思い上がって、この有り様だ」

「……なぁ。ほんとか、それ」


 ぐっと雨龍は近づく。


「あぁ。だから安心しろ、碧水さんは俺を恨むし軽蔑してる。でも、今まで無理やり付き合わせてたやつらも今日でお役御免だ」

「っ、おまえ」

「だからっ――」


 俺は振り返って、碧水さんに、北竜に。それから部長に、向き直る。




「いままでごめん。来春5月7日を以て、札沼線は廃止になります」




「……わけわかんねえ、きっしょ」

「帰ろうぜ雨龍」


 ばさっ、とノートを雪の上に投げ棄てると。少年たちは場をあとにする。白い息を吐いて立ち尽くしていれば、ぐい、と押しのけられた。


「……」


 それは弱々しい力で、俺をどかして、碧水さんは進む。少し行って立ち止まって、それから雪上に転がったノートを、掲げるみたいに手に取った。


「騙されて……、無理やりやらされて」


 その両指に挟まれて、『汽跡キセキ Vol.2』の文字が割けていく。


「そういうことにしなくちゃ……いけないよね」


 息を呑む。何か言おうとして、奥歯を噛み締めて俯く。

 びりびりと、紙を破く音だけが響いている。


「ごめんね。」


 紙片がひらひらと、雪と共に舞って――彼女は笑う。それはもう切ないほど、にこりと。


「だから。これで……おしまい」


 それから踵を返すと、とぼとぼと歩き出した。


「おっ、おい!」


 雨龍が止めようとするものの、まるで見えていないように碧水さんは止まらない。傘すら差さずに、しんしんと降る雪のなか、街灯が白く照らす影は闇へと消えていく。


 見送ることすらできず、俺は膝をついた。


「追いかけなさい」


 部長らしからぬ剣幕の声だった。


「……でも」

「部長命令です」


 ぐっ、と拳を握り締める。


「はやく」


 立ち上がらない。

 顔を上げることすら、できない。


「さあ、はやく」

「無理ですよ」


 眉間いっぱいに力を込めて、息を吐きだす。


「できるわけないじゃないですか……!」


 雪に突っ込んだ素手はかじかんで、もう痛みすら覚えない。


「追いかけたって、何ができるんですか。俺に」

「それは……っ」

「鉄道一本、約束一つすら守れなかったのにッ!」


 俺と彼女を繋いでいたのは、札沼線ただ一本。

 たった、それだけだったのに。


「……っ」


 部長は黙りこくってしまう。

 俺もそれ以上は口を開けなかった。乾ききった喉が痛い。あぁ、痛い。


「……すみ、ません」


 虚ろな声がひとつ、降り積もる雪に埋もれていった。

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