2-11 絶対遵守

 翌日、早速儀式を執り行うための準備が整えられ、一同が再びお婆様の部屋に集められました。


 尖塔の部屋の主であるお婆様は、今日は体調がすこぶる良いようで、寝台より起き上がり、椅子にまで腰かけられています。


 その横に私、机を挟んで向かい合う形で、アゾットとラケスがおります。


 ジュリエッタとディカブリオも来ておりましたが、お婆様の指示で契約の内容は当事者以外には伏せておきたいとの事で、部屋から退出させられました。



「さて、アゾットにラケスや、申し付けたように、自分の名前を書けるようにはなりましたか?」



「はい、ジュリエッタに教え込まれました」



「アゾット、ジュリエッタ“さん”、ですよ。あるいは“先生”でもいいわ。自分より年下であろうとも、教えを乞う相手には敬意をもって接するように。敬称を略し、呼び捨てにするなど以ての外です」



 早速、お婆様の御小言の洗礼を浴びてしまいましたか。


 こう言う点は本当にうるさいですからね。


 まあ、医者となり、上流階級の往診ともなれば、敬語は大前提でございますからね。


 こう言う積み重ねは重要です。


 静かではありますが、それでいて圧倒的な存在感を放つ大魔女の一言に、アゾットどころかラケスも恐縮して頭を下げております。


 私も何度この洗礼を浴びた事か。ああ、懐かしい。



「よろしい、以後気を付けるようになさい。では、聞いているでしょうけど、正式な契約に入りますね。ヴェル、インクを」



「はい、こちらに」



 机の上には契約内容をしたためた書類が一枚、そして、インクの小瓶とペン。


 契約書を書くためにはこれで十分ですが、そこはお婆様の魔術の出番です。


 私は更に小刀を用意し、鞘から抜きますと、お婆様はそれに自分の右手の人差し指を押し当てました。


 当然指は裂け、切れ目からは血が滴りますが、その血が一つ、二つと小瓶の中に注ぎ込まれ、空いている左手をかざし、詠唱開始。



デウスよ、デウスよ、我は汝の奇跡を分け与えられし者、カトリーナなり。我が意を汲み上げ、我が願いを叶え給え」



 ちなみに、この詠唱に意味はありません。


 ただの雰囲気づくりです。


 魔女が魔術を行使している、というのを見せつけるための演出。


 一昔前は魔女は火炙りが相場でしたが、宗教改革が進むと、その悪しき風習もなくなっていきました。


 途端、お祖母様は魔女であることを強調するかのように、これを始められたのだとか。


 私は魔女です。さあ、ご相談事なら何でもどうぞ、と言っているかの如く。


 まだ魔女狩りの風習が消えて間もない頃にこれですから、大した胆力です。


 眉をひそめる者も多いのですが、お祖母様が力を貸された御仁が次々と栄達なさるのですから、本物の魔女だと信じられたのでございます。


 ある意味、魔女、魔法使いの存在に、確たる社会的地位を確立させましたるのも、この演出あってのものなのかもしれません。


 魔女が魔術を大っぴらに使えるのも、お祖母様という先駆者がいればこそ。



(まあ、私の魔術のように、秘しておく方が有利な場合もありますが)



 情報を盗み見る私の術は、知られるとまずい事の方が多いですからね。


 お祖母様のように、大っぴらにできるものではありません。



「さて、これで準備が整いましたね。アゾットにラケス、魔術の才は人それぞれ。備わる奇跡は十人十色。しかし、デウスよりの恩寵であることを決して忘れてはなりませんよ」



 これもお祖母様が常に言っておられる事。


 それも二人に伝えられますか。


 かつては魔女狩りに奔走していた教会が、グルリと理論を方向転換させた方便。


 魔術は神より与えられし恩寵である。恐れるべきものは何もない、と。


 神への敬意を示し、その奇跡の欠片である魔術を行使する。


 これが今の魔術の有り様。


 先駆者であるお祖母様が率先して述べ伝え、人等の意識を上書きされればこその、今の世界があるのです。


 大魔女の名は、偽りでもなんでも無いのでございますよ。



「ヴェル、契約内容の確認を」



「はい。二人とも、年季奉公人の契約内容は分かりますね?」



「先日言われた通りの事でしたらば」



「ならば、復唱してみなさい、アゾット」



 さて、しっかり覚えているでしょうか。


 アゾットが聡明なのは分かっていますが、それの再確認でもあります。


 機転が利いて胆力もあり、鍛え上げる素材としては十分。


 それでも、今の状態の確認は重要でございますよ。



「奉公の期間は八年。その間の衣食住は保障。職務の内容は、イノテア家の家事全般や外に出かける際の付き人。それに加えて、俺は勉学に関する時間があてがわれ、二年以内に基礎学力を得て、残り六年にて医者になる事」



「ふむふむ。それで、留学に関する事は?」



「医大留学に関する費用につきしては、ヌイヴェル様が立て替えられます。そして、無事に医者になりましたる場合は、医者として働き、学費の返済を行う。また、成れなかった場合は、学費分の年季奉公の延長とする」



「ふむ。しっかりと覚えていたようじゃな。感心感心」



 やはり頭は良いようですね。


 結局のところ、周囲の環境によって、才能もまた左右されるという事でありましょうか。


 どんな素晴らしい才があろうとも、それを磨いたり、活躍できる舞台が無ければ、宝の持ち腐れというもの。


 その点、この二人は私の目に留まったという点では幸運に恵まれています。



「条件はそれでよい。この契約書にも、同じことが書かれている。まあ、二人にはまだ読めませんけど、その点は大丈夫です。それで提案なのですが、ここにもう一文書き加えたい」



「つまり、契約条項の追加ですね。どういった内容ですか?」



「うむ。それは『兄妹の片方がイノテア家にいる場合、もう片方の出入りや滞在もまた許可する』というものじゃ」



「……つまり、もし俺が医者になれず、年季奉公の延長になった場合、ラケスもまた延長するという事ですか?」



「それはちょっと違いますね。ラケスの契約は八年間で固定ですが、それ以降の事については自由です。契約には何も書きませんからね。ですが、アゾットの契約が延長となった場合、奉公人としてここに住む事になりますので、二人は離れてしまいます。その予防的措置として、離れるのが嫌だと思ったら、ラケスもまたここで働けばよいのです。奉公人としてではなく、雇用人としてね。もちろん、ここでの雇用ですから、給金は支払います」



 まあ、これは兄妹で判断してください。


 八年の契約が満了して、どうなっているかは神のみぞ知る。


 しかし、兄妹を強制的に引き離すような真似は致しません。


 八年後も好きにしたいのであれば、一緒に暮らすのも手です。



「なるほど。妹と別れて暮らすのは心配ではありますが、八年後の事となると、ラケスは十六歳。もう立派に大人になってはいますが……」



 まあ、大人になった妹の事は想像しにくいでしょうね。


 どうしたものかと悩んでいるのは、ラケスに向ける視線を見れば分かります。



「ラケス、お前はどうする?」



「お兄ちゃんと一緒がいい!」



「そうか。まあ、あくまで契約の内容はどうするか“自由”に選ばせるんだし、その時の状況で選べばいいか。そもそも、俺が頑張って医者になれば、奉公の延長もないんだし、好きにできるという事でもある」



 頭の良いアゾットですから、その結論に至るであろうことは“織り込み済み”ですわよ。


 ですから、“甘い”のです。



「では、その一文も書き加えさせてもらうわね」



「はい、どうぞ」



 そして、私はスラスラッと今の追加分を書き入れました。


 何も不自由になる可能性があるのは、アゾット、あなただけではないのですよ。


 自由であるがゆえに、“不自由を選ぶ自由”というのもあるのですから。



「では、契約書に名前を書き入れましょうね。それで契約成立です」



 まずは私が先んじて、”Nijverヌイヴェル Inoteaイノテア de Phallusファルス”と書き込みました。


 続いてアゾットが、“Azothアゾット da Casaundiciカーサーウンディシー”と自分の名前を書き込みました。


 そして、ラケスが、“Racesuラケス da Casaundiciカーサーウンディシー”と、こちらも書き込みました。


 ちなみに、下層民には“家名”などと言うものは存在しません。


 二人の名前も、第十一番住宅Casaundiciに住むアゾット(ラケス)という意味になります。


 住所を家名代わりに使うのが、家名の無い下層民や田舎ではよく見られますね。



「これにて契約終了。では、いつものやつをっと」



 お婆様の“魔術による契約”はとんでもない威力を発揮します。


 それは【絶対遵守フィサティオーネ】と呼ばれるもの。


 一度交わした約束は絶対に守られる。例え“カミ”であっても破ることはできない。それほどの強制力があります。


 発動条件は、“魔女の血を混ぜたインクで契約書を交わす事”。


 効力は、“契約内容に沿った行動を取ることになる”というもの。


 仮に契約に反する行動を取ろうとすると、“脳内の記憶が改竄”され、反する行動を取ろうとしたことを忘れてしまうというとんでもない効力。



(小さい頃に本当かどうか試した事があったな~。お婆様に頼んで契約をしてもらった。『良しと言うまで、机の上にある御菓子を食べることはできない』なんて契約を結んでみたら、全然お菓子に手が出なかったのよね~)



 なぜ手が出なかったのか、それすら覚えていません。


 手を伸ばした感覚はあるのに、それを頭が覚えていない。


 なんとも不思議な感覚でした。


 そして、絶対の契約はそれを書き込んだ紙にも影響します。


 私は手に取った契約書を確認のために引きちぎろうとしますと、薄っぺらい書類一枚だというのに、ビクともしません。



「……間違いなく、発動してますね」



 決して破れない約束を交わした契約書の出来上がりです。


 さあ、アゾットや、契約に基づき、お前を医者にしてやろう。


 励むのですよ、名医になる予定の男よ。

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