2-6 奉公人契約

「私のところに住み込みで働かないか?」



 これをアゾットに提案しました。


 貧民街で食うや食わずやの生活であるよりも、私の庇護を受けられる屋敷において、奉公人として働いた方が、幾分かマシな選択と言うものでしょう。



(まあ、ラケスを確保しておきたいというのが本音。あの娘の魔術は利用価値がある。しかし、はっきり言って、アゾットの方のは“死蔵”になる可能性が高い。一応、狙ってはみますが)



 人は誰しも神の恩寵により、特殊な術を会得して生を受けます。


 私の使う【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】や【臥房の帳オクルタメント・ペレマメンテ】などがそれに当たります。


 しかし、術を発動させるために“条件付け”があり、それを達成しない限りは決して使う事が出来ません。


 そのため、多くの人はその“条件”を発見することができず、折角神より与えられた力を“死蔵”させてしまう場合が多いのです。


 そして、【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】を用いてアゾットとラケスの情報を盗み見て、出した結論が“確保”というわけです。


 ラケスの術は数年後には達成できるであろう条件ですが、アゾットの方はその条件が極めて難しい上に、かなりあいまいな表現であったため、正確な条件を把握できないでいます。



(発現すれば、おそらくは私の知る限りでは過去最高の魔術。お婆様のそれよりも上かもしれません。かなりの投資になりますが、やってみましょうか)



 私の決意は固まった。


 あとは、提案にアゾットが乗るかどうか、という話。


 案の定、私の事をいぶかしんでおります。


 まあ、あまりに出来過ぎた都合の良い話ですからね。怪しむのは当然の事。



「そう警戒しなくともよい。と言うか、お前達兄妹を引っ掻けたところで、こちらにどんな益があると言うのか? 縁者なし、財産なし、あるのは互いのみ」



「それはそうだけど、なら俺達を誘う理由って?」



「奉公人契約。これを結んでもらう。少々特殊な内容になるがな」



 奉公人契約とは、主人と奉公人との間で交わされるもので、基本的には“時限的”に主として労働を提供する事を指して言う。


 昔は“奴隷制度”が存在し、そこから労働力を得ていたものですが、今はその制度自体が禁止されており、奴隷と言う存在は“名目上”はおりません。


 しかし、奉公人契約によって、形を変えた“実質”奴隷制度はなお存在しています。


 奉公人であれば、雇用側、すなわち主人にはそれを庇護する義務がありますが、その主人の匙加減、契約内容によってはまさに現在の奴隷ともなります。


 食事や日用品は支給されますが、賃金なしなどという契約が多い。


 と言うのも、借金の返済や前借りのため、既定の期間働くという形で契約を結ぶからです。


 環境は劣悪、労働内容も厳しい。それがまかり通っているのが奉公人契約であり、奉公人と言う名の奴隷を生み出す土壌となっております。



「だが、これはかなり良いと思うぞ。お前もこのままではマズいことくらい分かっていよう。こんな貧民街での暮らしは、身を崩す未来しかないのじゃぞ」



「それはそうですが……」



「お前が倒れたら、それでおしまい。寄る辺を失ったラケスは、身を売るハメになるぞ。もちろん、年齢なんぞ関係なしに、な」



 その先は説明するまでもない、想像するのもおぞましい未来が待っています。


 それを理解すればこそ、アゾットも不機嫌さを隠そうともしない。


 そして、それは自分の無力さにも繋がっていることも。



「……それで、契約の内容は?」



「我が家での住み込みの召使いですね。掃除や洗濯などの家事全般、あとは買い物の際に荷物持ちの従卒、こんなところでしょうか」



「それなら、ラケスにもできそうですが、特殊な契約内容の部分は?」



「それはお前に対しての契約。そう、お前は二年以内に読み書き計算と基礎的な学問を収め、最終的には医者になってもらいます」



「医者!? そんな無茶な!」



 部屋の外まで聞こえそうな大声で叫ぶアゾット。


 当然の反応ですが。私はそれを宥めて話を続けました。



「アゾットよ、なぜ無茶だと言い切れる?」



「だって、俺、まともに文字も書けないんですよ!? 医者なんて、どう考えても無理です!」


 

「だから、“覚えろ”と言っているではないか。期間は二年もある。決して不可能ではないぞ」



「仮に読み書きできるようになったからって、医者になれるかどうかなんて……」



「医大に入ればよい。その際の学費はこちらが出そう」



 学費に加えて生活費諸々、かなりの出費にはなりますね。


 ですが、十分回収できるあて・・はあります。


 そう、アゾットの魔術が目覚めてくれさえすれば、その程度の金銭なんぞ“はした金”になるのですから。



「そんな至れり尽くせりな契約、ヌイヴェル様に何の利益が?」



「優秀な医者が欲しい。魔女の従者にして医者、悪くないですね」



「そんな不確実な方法を取らなくても、もっと学のある者を雇えば」



「雇うのではない、“支配”したいのじゃ。決して裏切る事の無い、それでいて優秀な手駒、それが欲しい」



 その可能性が目の前にいる。


 ラケス共々取り込めば、それを手にする事が出来る。


 もちろん、こちらの思惑が予定通りに進めばですが。



「そうさな、契約の内容はこうじゃ。兄妹揃って“八年間の奉公人契約”とする。仕事の内容は先程のものじゃが、お前には勉学に当てれる時間も作ってやろう。そして、二年で基礎学力を叩き込み、残りの六年で医大に入って医者になるという流れじゃ」



「しかし、医者になれない可能性もありますよ?」



「そうなった場合は、“かかった学費の返済”を名目に、奉公人契約の延長をしてもらうわ」



「まあ、そうなりますよね」



「ですが、ラケスの契約は延長しません。つまり、八年間は私の庇護下にあり、それ以降は自由にできるというわけです。今から八年間ですから、ラケスは契約満了時には十六歳になっています。一人立ちはできる年齢です」



「つまり、医者となってヌイヴェル様の従者となるか、あるいはただの奉公人として侍るか、というわけですか。しかも、どっちになっても、ラケスは大人になるまで安全である、と」



「そうじゃ。少なくとも、こんな貧民街に居続け、食うや食わずの生活よりかはマシな選択でしょう?」



 ラケスの事を第一に考えるのであれば、答えは自ずと定まりましょう。


 ここでの厳しい生活を知るからこそです。


 まして、先程差し出しました食べ物の数々、ここでは味わぬ物ばかり。


 頭と舌に残る記憶は、決して拭えない。


 あれをまた食べられる機会があるかもしれないと、そう考えると前のめりに成らざるを得ないものです。


 甘いもので包み、甘美の内に体を蝕むからこその“埋伏の毒”なのですから。


 実際、アゾットの視線はテーブルの上に置かれている食料の籠に向けられています。


 飢えは決して抗えない。


 味わってしまった美食もまた抗えない。


 まして、妹を思う兄の気持ちは、絶対に折れない。


 そう、考える余地なぞ、初めから無かったのですから。



「一つ質問いいですか?」



「なんじゃ?」



「もし、おれが上手く医者に成ったとします。その後はどうなるのでしょうか?」



「八年間の期間満了で奉公人ではなくなる。ただし、“学費の返済”だけはしてもらうから、医者として稼ぎ、それを返済に充てればよい。人足なんぞと比べられん稼ぎにはなるから、すぐに返済できよう。それで本当の意味での自由じゃ。その後どうするかは、お前の“自由な意志”によって決めるが良い」



「医師だけに?」



「冗談を言える余裕があるのは結構な事。それで、どうするのじゃ?」



「受け入れます、その契約」



 即答、大いに結構!


 やはり、見込みありですね。


 真っすぐで、輝く瞳に未来を浮かべるのは若人の特権!


 良き未来を思い浮かべよ。


 もちろん、私は業突く張りな魔女ですから、かかる費用を回収した上で、優秀な手駒を得るつもりですから♪

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