2-4 ささやかな宴

 部屋の中に入ると、まあ見事に古くて汚れた部屋でございました。


 きしむ床、使い古されてグラついている椅子や机、寝台も一つで、もちろん継ぎ接ぎだらけです。


 とは言え、これは予想の範疇。共同住居インスーラの外観を考えますと妥当と言えば妥当でございますが、やはり貧民街の住居であればこうであろうなと納得したほどでございます。



(同じ世界とは思えぬほどですね)



 私は“裏仕事”で薄汚れた場所に赴く事もございますが、むしろ慣れていないのはディカブリオの方ですね。


 顔から不快感が溢れております。


 まあ、私が平然としているので、それに合わせて我慢はしておりますが。


 それに、少女が見ている手前、あまりみっともない姿は晒せぬように思われます。



(この辺りの気配りができる点は、他の貴族と違う点ですわね)



 男爵と言う爵位を持ちながらも、庶民に対して尊大でないのは、お婆様の躾がきっちりと行き届いている証。


 その点は褒めておきましょうか。



「ときに、アゾットは出かけているのか?」



「はい。急な荷下ろしの仕事が入ったとかで、午前中だけ波止場に出かけています」



「あ~、そう言えば、ボロンゴ商会の船が戻って来ておったのう。後で店に顔を出さねばな」



 ちなみに、ボロンゴ商会の主人とは、昔からの顔馴染みであり、私の上客の一人でもございます。


 実はディカブリオの持っている籠の中身も、ボロンゴ商会で先日仕入れた物。


 私の愛飲する豆茶カッファもまた、そこが出所でございます。


 この商会は主に食料品を取り扱う商会でございまして、主人のアロフォート様は冒険家気取りで西へ東へと自ら船を走らせ、珍しい商品を仕入れては自慢するのを生き甲斐としております。


 なにしろ、「当店は口にするものは罵詈雑言以外何でも手に入る」と豪語している御仁でございまして、今回もまた面白そうな品を仕入れてきた事でございましょうね。


 そして、机の上にテーブルクロスを広げ、籠の中身を乗せていきました。



「わ、すごい! 生ハムの原木プロシュット・ディ・パルマ!」



 少女は巨大な肉の塊に釘付けでございます。


 まあ、育ちを見れば、これを丸ごと食べれるなんて夢のまた夢でございましょう。


 キラキラした眼差しで原木を眺めているのは、それを如実にしめしております。



「目の前で見るのは初めて? すぐに切り分けてやろう」



「お兄ちゃんの分は?」



「食いしん坊じゃのう。さすがに、一人でこれは食べきれまい」



 そう言って、私は籠に入っていたメロンを手早く切り分け、ディカブリオは原木から薄く生ハムを切り分けました。



「わ、熊さんも器用なんですね!」



「く、熊……」



「フフフ……。熊、熊か。それはよい。魔女の使い魔は熊か! よしよし、ディカブリオよ、これから“熊男爵バローネ・オーソ”と名乗るが良い!」



「勘弁してください、姉上」



 うむ、しばらくからかうネタができました。


 娘さん、見事なる慧眼恐れ入りましたわ。熊はなかなかに巧みな表現です。


 思わずニヤつく私。


 そして、“熊”が切り分けました生ハムをメロンの上に載せ、まずは一品。



「さあ、食べるが良い。生ハムメロンプロシュット・エ・メローネじゃ」



 少女はそれを手掴み・・・で持ち、そのままガブリ。


 実に美味しそうに頬張りますが、うっかりしておりました。



(ああ、しまった。食事道具を持ってきておりませんでしたわ。せめて小熊手フュスキーナだけでも持って来るべきでしたね)



 庶民の食事の基本は“手掴み”。


 道具を使って食事をする上流階級と、決定的に違う食事風景です。


 とは言え、ここは下層民の暮らす貧民街。ここに踏み込んだ以上は、その流儀に合わせる方が良いでしょうね。



「旨いか?」



「はい! ものすごく美味しいです!」



「そうかそうか。それは何より。おお、そう言えば、名前を聞いていなかったな。あなたのお名前は?」



「ラケスっていいます!」



「では、ラケスや、次は生ハムのサンドイッチパニーノ・プロシュットにしましょうか」



 再び切り分けた生ハムに更にチーズを加え、パンに挟んでラケスに差し出しました。


 少女また目をキラキラさせて受け取り、嬉しそうに口いっぱいに頬張りました。



「んん! 美味しい!」



「フフフ、そう言ってもらって、こちらも振る舞い甲斐があるというものじゃ。では、お次の取って置きと参ろうか」



 そうして籠より取り出したるは、輝く丸い果実でございますよ。



「なんですか、それ? 赤みがかった檸檬リモーネですか?」



「ここらではあまり出回ってませんからね。これは甜橙アランチャと呼ばれる果実よ。とっても甘いから」



 そう言って、“熊男爵”に果実を絞らせ、その果汁をコップに注ぎました。


 搾りたて甜橙アランチャ果汁飲料スッコ・デ・フルータです。



 コップを差し出しますと、ラケスは喜んで一口、それを口に含み、そして、目を引ん剝くがごとくに驚きました。



「お、美味しい……。なんて言うか、こう、喉越しっていうのか、甘くて、それでいて、すっきりしてて」



「気に入ってもらえたようじゃな。ああ、それとこういうのもある」



 そして、籠から瓶詰を取り出しました。


 これもまた取って置き。甜橙アランチャ砂糖煮詰めマルメラーダです。


 ササッとパンに塗り付け、ラケスに差し出しました。



「これは今飲んだ甜橙アランチャの果肉や皮を砂糖と一緒にじっくり煮込んだものじゃ。パンに塗って食べるとよい」



「さ、砂糖!?」



「あ~、そうか。砂糖はなかなか口にはできんか」



 砂糖はそれなりに値の張る品ですからね。このようなあばら家・・・・住まいの者には縁遠い品です。


 これもまた貪るように甘いパンをムシャムシャ頬張っております。


 中々に愛らしい笑顔の娘ですね。


 と言うか、よくよく見てみると、磨けば光る逸材かもしれません。



(少し覗いてみましょうか。秘して伏せる事、決して叶わず、汝、全てをさらけ出すべし、【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】!)



 意識を集中させ、私の魔術を発動いたしました。


 肌に触れあった相手の情報を盗み出す、私の得意技。


 ムシャムシャ食べるラケスを可愛がるように、頭や頬を撫で回しますが、その目的はこの娘の頭の中を覗き見る事。


 さてさて、何が飛び出してきますやら。

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