1-18 正体現す

 チロール伯爵家の別邸の一室にて、相続に関する最終確認が行われておりますが、まあ、ものの見事に欲の皮の突っ張った相手のやり口にには辟易してございます。


 ヨハン様、そして、その生母ジルは他の相続権利者を脅し付け、果ては殺しまで行ったご様子。


 そのお手並みは欲望の赤一色。血でしたためられた真っ赤な契約書。


 今、目の前の机に置かれているのは相続に関する書類で、私に相続放棄をさせるもの。


 まあ、そもそも伯爵家の相続自体、部外者の私が受けるのは筋違い。


 ハルト様の最後のいたずら・・・・


 巻き込まれた方はたまったものではありませんが、この私もまた業突く張り。


 欲の皮の突っ張った、目の前の母子以上の強欲の徒。


 せいぜい、ふんだくってやるといたしますか。



「では、ヨハン様、最後の確認でございますが、もうすでに私以外の相続人、及び相続後継者は辞退してしまい、あなたの手に『チロール伯爵家の遺産』が転がり込むと言う事でございますね?」



「そうだ。さっさと書類に署名して、その金貨袋と共に消えよ。本来なら数々の無礼の廉で処罰しているところだが、新当主としての寛大さを世に知らしめておく意味においても、まあ、生かしておいてやる」



「おやおや、それは御心の広い事でございますわね。とても御身内をお手にかけた方のお言葉とは思えませぬが」



「余計な詮索や深入りは、身を亡ぼすもと・・だぞ」



「それにつきましては、完全に同意いたします」



 そう、こうした暗闘を繰り返す社交界においては、余計な詮索は疑念や不信を相手に抱かせ、敵意を生み出す材料となります。


 にこやかな笑みの下に、どす黒い感情を抱えた者のなんと多い事か!


 ああ、たまには心身ともに健やかに過ごせぬものかと、いつも考えておりますが、それも詮無き話。


 なにしろ、私は享楽の請負人である“娼婦”、魔術と話術で人を欺く“魔女”、二つの顔を覆い隠す偽りの身分である“男爵夫人”、この三つの仮面を使い分ける、この国一番の痴れ者でございますので。


 さあ、ヨハン様、あなたの目の前にいる今の私は“魔女”でございますよ。


 その詐術の渦中に陥っていただきましょうか。



「そうですか、そうですか。それは何かとご苦労も多かった事で」



「ああ、その通りだ。と言うわけで、こちらもさっさと晴れやかな気分で新当主となりたいのだ。魔女よ、さっさと署名しろ」



「嫌でございます」



 ここでニッコリ満面の笑み。


 まあ、お客様にはいつも笑顔でいますから、これくらい余裕でございます。


 私の笑顔はタダではございませんわよ。なにしろ、高級娼婦コルティジャーナでございますから、一晩でいかほどの金子が必要な事か。


 それをどうかご理解なさって、差し出す物を差し出していただきましょうか!



「貴様、今の言葉の意味を理解しているのか!?」



「あら、今の言葉を理解できるほどの知性はございましたか。随分とお利口さんな豚さんですね~」



「どうやら、死にたいらしいな!」



 ヨハン様が軽く手を上げますと、周囲にいた兵士が即座に抜剣いたしました。


 シュッっという乾いた金属音と共に、鞘に納めていました剣があらわとなり、いつでも私に斬りかかれる体勢を取りました。


 丸腰の女一人ですから、まあ、簡単に片付く作業でございますわね。



「あらあら、お怖いですわね~。こうやって他の相続候補者も脅し付けて、辞退させたと言うわけですか?」



「深入りは滅びるもと・・だと言ったはずだが?」



「そうですわね。でも、私とその従者を殺しておいて、上には如何に報告なさるつもりで?」



「相続の手続きが終わったと言う事で酒宴を開き、その席にお前を招いた事にしよう。そして、たまたま逗留していたこの別荘で火事が起き、魔女は火炙りになりましたとさ。……うん、こういう話で行こう」



「意外性も、独創性も、何より面白みに欠ける話ですわね。そんなことで観客を呼べるとお思いですか?」



「呼ぶ必要はない。私だけが楽しめればよいのだからな」



「まあ、それもそうですわね。ですが、私も、私の従者も、そんな駄作の演劇に役者として登場するのは真っ平御免ですわ」



「お前に選択の余地はもうない。大人しく署名していれば、命ばかりは助けてやったものを……。軽はずみな言動は、あの世とやらで後悔するんだな!」



 まさに兵士達に私を殺すよう手を振り下ろそうとしたその瞬間でした。


 後ろに控えておりました従者がササッと前に進み出て、私とハルト様の間に割って入りました。


 横をすれ違いましたる時に目にしたその顔、あるいはこの状況下で威風堂々たる貴人のたたずまい、さすがでございます。


 ああ、いつ見ても凛々しいお姿でありましょうか。


 わざわざ“私の従者”と身分を偽り、この場に馳せ参じたのは少し軽率であるかもしれませんが、それでも“あの御方”が最も信用なさっている忠実なる家臣でいらっしゃいますわ。



「失礼。今は魔女殿の従者をしておりますが、私は礼部の関係者でもあります。ヨハン様、魔女殿を始め、他の関係者を脅し付けて、相続の放棄をさせるような振る舞い、いささか正気を疑いますが?」



「フンッ! お前もユリウスとか言う若造の手先か! 礼部が何だ! 伯爵家の遺産は俺のもので、他から文句を言われる筋合いはない!」



「しかし、法律上の手続きにおいては……」



「やかましいと言っているだろうが! 役人とて構うものか! こいつも魔女共々、あの世へ送り出してやれ!」



 ヨハン様の叫びに応じ、兵士の一人が私の従者に斬りかかりました。


 走り込み、大上段からの一撃。煌めく刃が脳天目がけて振り下ろされました。


 しかし、それは命中しません。


 私の従者は少し後ろに下がり、まさに鼻先スレスレで刃をかわしてしまいました。


 そして、振り下ろしからの隙を突き、軽く踏み込んで相手の兜に手を添え、グッと押すように手を突き出したのです。


 無論、そんな単純は話ではないでしょうが、私の目ではそれが限界。


 軽く頭を押されたようにしか見えないものの、兵士は垂直に崩落しました。


 意識が断たれ、膝から崩れ落ちたのでございます。



(お見事……。軽く頭に触れたようにしか見えませんでしたが、おそらくは相当な揺れを与えて、脳をバカにしたのでしょうね)



 まさに神技と言うしかない一撃に、私はもちろん、ヨハン様も、ジルも、他の兵士も目を丸くして驚きました。


 そして、何事もなかったかのように、足下に転がり落ちた剣を拾い、つまらぬ玩具でも見るかのような、そんな退屈な瞳でございます。



「魔女殿を始めとした、相続候補者への脅迫の数々……。チロール伯爵家の名声を汚すがごとき言動も見過ごせんな。まして、遺産欲しさに身内まで殺めるなど言語道断! 恥と言う言葉を知っているのであれば、今すぐこの剣で自らの汚辱にまみれた人生を終わらせるが良い!」



 震え上がるほどの一喝の後、持っていた剣をポイっと投げ捨て、ヨハン様の足下に投げ落としました。


 肉の塊が恐れおののいて、椅子を後ろに倒して転がり落ちる様は滑稽極まりますわね。


 ジルが抱え起こそうとするも、ブクブク太った息子では、それも不可能な事。


 見ていて、笑いをこらえる方に必死でございます。


 まさに喜劇! あちらには悲劇でありましょうが。



「な、何なのだお前は! たかだか魔女の従者風情が、木っ端役人が、伯爵たる俺にこんなことをして、ただで済むと思うなよ!」



「ぶっ倒れた格好で凄まれましても、逆に反応に困るのだが……。魔女殿にも、肉は引き締めておけと忠告されたと思うが?」



 そう、その通りですよ。私もちゃんと言いました。


 そのブクブク太った体型では、日常生活にも支障をきたすでしょうに。


 ほら、ようやく起き上がったかと思ったら、もう足に来ています。


 ぷるぷる震えて、まるで生まれたての四足の獣のようですわ。



「もう許さんぞ! 楽に死ねると思うなよ!」



 激高して、剣を拾い上げて切っ先を相手に突き付けるヨハン様。


 なんと言いますか、豚鬼オークが無理やり凄んでいるようにしか見えませんわね。


 相対する御方とは、対照的な醜さ、滑稽さが溢れ出ております。


 ほんと、今少し体を引き締めて欲しかったですわ。


 そして、剣を向けられましたる私の従者の方も張り合いがないのか、ため息を漏らす始末。


 ですが、急に気配を変えてきました。



「それはこちらの台詞だ、ヨハン=ドウラ=デ=チロール。謀反人・・・を許しておくほど、私は優しくはない」



 ドスンと何かが肩に圧し掛かるような重圧を感じました。


 私に向けられたものではないとはいえ、部屋中が一気に息苦しくなったかのような感覚。


 どうやら、本気でお怒りのご様子ですね。


 ああ、ゾクゾク身が震えてまいりました。

 

 興奮して、身体が火照って仕方がありませんわ。


 そして、とうとう言い放ちました。



「ヨハンよ、余の顔を見忘れたか・・・・・・・・・?」

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