1-4 多難の老伯爵

「うむ、相も変わらず美しい限りだ、ヌイヴェル嬢」



 実に率直な感想がハルト様の口より漏れ出ました。


 それにつきましては、十分“知覚”しておりますとも。


 白磁のごとき肌は言うに及ばず、部屋の明かりに照らされた毛髪は、さながら水面に浮かぶ天の川。淡く白く輝きましたる銀の糸でありましょうか。


 見据える瞳は紅玉ルビーノを溶かし込んだかのようでございますよ。


 まあ、私にと手は毎日鏡の前で拝む自分の姿でございますから、実に見慣れたものです。


 この容姿を気味悪がる方もございますが、ハルト様のように好まれる方が多いのもまた事実。


 齢三十代も半ばに届こうかという身の上まで娼婦として働き、予約を取るのもそれなりに一苦労なのが、その証でございます。



「しかしなあ、こう言っては何じゃが、もう“出るものも出ない”枯れた老人じゃぞ、ワシは。正直、こうして久方ぶりに予約を取ってヌイヴェル嬢に会いには来たが、手紙の返礼程度に考えておった」



「いえいえ、折角お越しくださったのでございますから、酒と料理と世間話だけでは勿体のうございます。またかつてのように私を征服・・してくださいませ」



「ぬはは! 言いおるな、このいたずらっ子め! 齢重ねていても、あの頃の闊達さは変わっておらぬか!」



「ええ、女は相手次第で、獅子にも、孔雀にも、そして、毒蛇にもなれるのでございますよ。なれば、懐かしき客人に対しては、あの頃の年若き乙女に戻らせていただくだけにございます」



 そして、ご老人の衣服を脱がし、痩せた体があらわとなりました。


 まあ、やはりと申しますか、本当に老いてしまわれたのだな、というのが率直なる思い。


 十数年前のお姿が最後の記憶でございますので、本当に老いという名の病によって蝕まれたのでございますね。


 もちろん、股座またぐらの“ご立派様”も萎えたまま。


 まあ、そんな事などお構いなしにと、床の中へと誘いました。


 枯れ木となりて今まさに倒れそうな老木に寄り添い、そっと肌を摺り寄せ、その横に横たわり、ニコリと笑みを向けますと、その老人もまた笑顔を返す。


 ああ、本当に久方ぶりのやり取りでございますね、伯爵様。



「とはいえ、残念なことに、白峰を歩み、登頂する気力も体力も残ってはおらんわ」



「かつての思い出を胸に、揺り椅子セディアドンドロに身を委ね、のんびりと高い山の頂を眺めるのも、また一興かと。無理をしない。分を弁える。若きには若きの、老いには老いの、楽しみ方というのもございます」



「クククッ、ますます祖母に似てきたな。楽しみ方は人それぞれなどと抜かしつつ、一番ワシから銭をふんだくっていったのは、あの笑顔の素敵な魔女殿であったからな」



「祖母らしいですわね。私も見習いたいものです」



「そして、枯れた老人からまたしても搾ろう・・・というわけか! ええい、この大悪女の後釜めが!」



「はてさて、祖母より受け継いだ魔女の釜、何が飛び出してきますやら。ハルト様、味見なさっていきますか?」



「もうこりごりじゃ! うむ、寝るぞ!」



 そう言って、ご老人は眼を閉じてササッと眠りに落ちてしまいました。


 酒が回り、気分が良かったのか、その寝姿は穏やかでございました。


 まあ、奥方様を無くし、友人に等しい執事まで失い、放蕩息子とその生母に振り回されて、気の休まる事がなかったのでございましょう。


 今この瞬間だけでも、一夜の穏やかな眠りをもたらせただけでもよしと致しましょうか。


 そんな苦労多き老人の寝顔を見ながら、私もささやかな悪戯心が芽生えました。


 いえ、知的好奇心、と評した方が適当かもしれませんが。



(目覚めよ、夢の世界で遊ぶ者よ、淫らな瞳で心の闇すら見通す夢魔の女王よ、汝の眼を我が赤い瞳に宿せ)



 私の魔術【淫らなる女王の眼差しヴァルタジオーネ・コンプレータ】を発動いたしました。


 肌に触れあう相手の心の内を覗き見る、狡猾なる夜の女王の眼。


 それを我が物とする便利な魔術です。


 いくら“お肌の触れ合い”が当たり前な娼婦という職業にあっても、そう頻繁には覗き見したりは致しません。


 人の心の内を覗き見るのは悪趣味だと、自覚していますからね。


 情報自体は値千金のものもあれど、客商売である以上、“守秘義務”もありますからね。


 これを使ってゆすり・・・たかり・・・はご法度でございますよ。


 ただ、今回ばかりは話が別。


 老い先短い老人の事を思うと、いささか同情的になると言うものです。


 御無沙汰していたとはいえ、駆け出しの頃にはお世話になった上客ですから。


 まあ、何かしらの手助けでもできれば、と。


 有難迷惑になるかもしれませんが。



(では失礼して、あなたの心、読ませていただきますね)



 私は意識を集中させ、それを相手の体に潜り込ませる。


 まるで大きく息を吸い込み、水面の下に沈んでいくかのような感覚です。


 そして、徐々にハルト様の心の中へと潜っていきました。


 そして、おぼろげながら映し出される記憶という名の人形劇。


 ハルト様が体験し、脳裏に刻まれた思い出の数々。


 それがはっきりとした情景となって私の頭の中に映し出される。



(さて、それでは、問題の御子息のご尊顔はっと)



 そう強く念じると、それらしい肩の姿が見えてまいりました。


 顔は似ていませんね。というか、今のハルト様が痩せているのと、ご子息の方が恰幅がよろしくて、ブクブクに太っております。


 まあとにかく、美食に耽ってロクな状態ではないのが一目瞭然ですね。


 跡取りとあって態度もでかく、周囲にああしろこうしろと頭ごなしの命令ばかり。


 床以外・・・では極めて紳士的なハルト様とは大違い。


 周囲の顔色も疲れていると言うか、うんざりしているご様子。


 これが次期当主では、気も滅入ると言うものです。



(で、その隣にいる女性が、この豚さんの母親。年齢的には私とそれほど変わらない感じか……。なるほど、見た目は悪くない)



 ハルト様がうっかり手を出してしまうというのも分からなくもない。


 まあ、私に比べれば劣りますが、それでも世間的なレベルで言えば、そこそこといったところでしょうか。


 しかし、礼儀が成っていませんね。とても貴婦人の振る舞いではありません。


 喚いて、気に入らない相手には物をぶつけて、これでは獣も同然ではありませんか。


 なるほど、こうした部分は生母の血や教育というわけですか、あの豚さんは。


 まあ、元は女官ということですし、貴婦人の作法自体身についていないのでしょう。


 女官として貴人に仕えるのと、貴人として下々を統括するのでは、求められる作法や振る舞いが違ってきますからね。



(息子も、母も、貴人の心得ノブレス・オブリージュが身についていませんね。貴族はただの金持ちに非ず! その地位や財産に応じての“真摯さ”が求められる。見た目ばかりだけでなく、中身まで豚と変わりませんわね、これでは)



 これではハルト様が思い悩むのも無理からぬ事。


 まあ、元をただせば、女官に手を出して、孕ませて、子を成し、その教育を疎かにしたハルト様のせいではありますが。


 教育は財産。それは祖母より数々の知識や技術を継承しました、私自身がよくよく心得ている事です。


 それができなかったのであれば、それは苦労の先送りであり、後の艱難を増幅させる行為に他なりません。


 子供への甘やかしなど、腑抜けを生み出す負債の先送りに過ぎません。


 腑抜けた子供は社会の爪弾きや厄介者扱いと相場が決まっておりますよ。


 にがみを与えぬ親は、言ってしまえば子への優しい虐待をしているようなものです。


 甘い物ばかり食べていますと、そのうち“虫歯”になりますわ。


 そして、その痛みを味わうのは、この豚さんに仕えなければならない伯爵家の家中の人々。



(ハルト様、それはいくら何でも無責任に過ぎますわよ。いくら六十手前でようやく授かった子供とはいえ、甘やかしすぎましたね)



 寝入る老人の額を、思わずペチッと叩いてしまいました。


 ハルト様への同情が、いつしかあった事もない伯爵家の人々へと移ってしまいました。


 次の世代は大変になるなぁと、外側からの感想ともについついため息が漏れ出てしまうと言うものです。

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