魔女で娼婦な男爵夫人ヌイヴェルの忙しない日々

夢神 蒼茫

序文

序文1 娼婦にして男爵夫人

 どうも皆様、今宵、ご指名ご来店いただき、まことにありがとうございます。


 私の胸中はあなた様にお会いできましたる事によって、溢れんばかりの喜びに満たされており、謝儀に絶えません。


 ああ、お客様、そのように緊張なさらなくて結構でございますわ。


 敷居の高いお店ではございますが、一度入ってしまえばそこは楽園。


 私が務めております高級娼館『楽園の扉フロンティエーラ』は、夢と悦楽と欲望に満ち溢れた場所にございます。


 心行くまでお楽しみいただくことこそ、私の喜びでございますゆえ。


 改めまして私めの自己紹介さていただきます。


 名をヌイヴェル=イノテア=デ=ファルスと申します。以後お見知りおきを。


 親しき者はヴェルと呼んでおりますが、いかようにでもお呼びくださいませ。


 なんとも御大層な名前と感じられ、爵位持ちかと思われる名前ではございますが、実際のところは持っておりません。


 ただの自称。なんとなく、高級感が出そうだからと、“店”ではそう名乗っているだけでございます。


 まあ、店の外でもその名で通している場合もございますが。 


 実際に爵位を持っておりますのは従弟いとこでございます。それほど大きくないとはいえ、しっかりとした領地を持っている男爵様。


 と言っても、従弟の父、つまり私からすれば叔父の代よりの爵位でございまして、伝統や歴史ある格式高い貴族、と言うわけではございませんが。


 ファルス男爵家としての歴史はせいぜい二十年、三十年程度の浅いもの。


 しかし、イノテア家としては、程々に古くからこの地に住まう名家と言っても差し障りない家門。


 商売を続けては財を成した商家の一族でございます。


 そして、イノテア家の女には代々勤め上げる家業というものがございまして、それが“娼婦”なのでございます。


 夜な夜な見も知らぬ男に抱かれて、腰を振ってウッフンアッハンなどというのが仕事と思うかもしれませんが、半分ハズレでございますわね、それでは。


 それはあくまで程度の低い下級の娼婦の話。安い対価で誰とも知らぬ男に抱かれ、その日その日をどうにか暮らしている女達。他に仕事がなくてやり始めたのか、あるいは借金などでやむなく働いている女もおります。


 どちらにせよ、それまでの人生でろくな目に合っていない哀れな連中。


 ですが、私は違います。私が勤めておりますのはいわゆる高級娼婦。一晩一緒に過ごすだけで、庶民の稼ぎですとおおよそ三月分は必要なほどの、金子をご用意していただかなくてはなりません。


 もちろん、もっと高い値が付いている人もおりますが、私は今の値段で十分満足できる稼ぎを得ております。


 高級娼婦は誰でもなれるというものではありません。美しいという大前提はございますが、なによりも重要なのは“教養”。これがなくては話になりませぬ。


 なにしろ、お相手するのは、貴族や大店の主、大学の教授や大地主といった裕福な方々、あるいは芸術や学識に造詣深い方々ばかり。


 たまに背伸びしてくる庶民と思しき客を取ることもございますが、基本的には世間一般で言うそれ相応の地位や身分をお持ちの方々がお客様になります。


 そんな方々が求めるのは楽しいひとときを過ごすことで、それは“腰”よりも“口”、さらに言えば“頭の中身”が重要なのでございます。


 自分の趣味趣向について話せる女性、そういうのを求めて来られます。


 絵画や彫刻などの芸術品の話を好む人もいれば、書籍を読み漁ってそれについて談義したがる人もおり、文字通りの十人十色、千差万別。


 あるいは、提供した葡萄酒ヴィノや料理について話題を膨らませようとする人もいれば、機密に抵触しない程度の政治の話をする人もお相手することもございます。


 単なる愚痴をこぼしたいだけの人もいますが、とにかく話を聞いてそれを返すのが仕事と言ってもいいでしょう。


 なにしろ、普段そういう話をするのは同じく男性ばかり。女性の仕事は出産や育児、家庭内の切り盛りであって、専門家と談義を交わせるほどの教養のある女性というのは、かなり珍しいものでございます。


 それでいて見目麗しい美人となると、話も弾むし、楽しいひとときを過ごせるというものです。


 もちろん、寝台の上での技術も必要不可欠。いくら話がうまくても、肝心の“寝技”がヘタクソでは萎えるというもの。


 再び客として足を運んでいただくには、そうした技術もまた必要なのです。


 結局、腰も口も達者な頭のいい美女だけが高級娼婦として存続を許される、というわけでございます。


 幸いなことに、イノテア家の女性は私も含めて代々美人揃い。特に、二代前、つまり私の祖母は絶世の美女であったらしく、聞いた話では当時のこの国の太子様と浮名を流したこともあったのだとか。


 何代か前の法王聖下とも昵懇じっこんであったとも聞いております。


 私の記憶の中にある祖母はすでに年老いていて、絶世の美女と呼ばれていたころの姿を見たことはございませんでした。


 されど、老いた顔からでも応年を偲ばせる整った顔立ちであったことは、しっかりと覚えています。


 祖母は非常にやり手で、高級娼婦として稼ぐ一方、様々な事業に投資したり、あるいは築き上げた人脈を駆使して旨い話に乗っかったりと、とにかくあの手この手で成り上がっていきました。


 それまでは“地元の名士でそれなりに裕福”程度のイノテア家を、『デ=ファルス』の男爵号を手にするまでに育て上げた一族の英雄!


 それが私の祖母でございます。


 私の養育は祖母が行い、とても厳しいものでございました。


 朝から晩までひたすら勉強! さらに勉強! 机に噛り付くとはまさにこのことかと、机と椅子と本の山が当時の私の友達でございました。


 厳しい祖母の教育ではございましたが、それでも逃げようとは一度も考えませんでした。なぜなら、祖母が築き上げた財宝の山を見せてもらったことがあったからです。



「身に付けるものを身に付けさえすれば、そのうちこれくらいはどうとでもなる。男の食い物になる女にはなっちゃダメ。男を食い物にする女になりなさい。あなたにはそれができる才能があるわ」



 それが祖母の言葉であり、私はそれを信じることにいたしました。


 結果的には、信じてよかった思っております。自分の稼ぎだけでも裕福に暮らせますし、引退後の生活のための貯えも十分。


 なにしろ、私もじきに三十代も半ばに差し掛かろうとする年齢で、華の寿命も尽きるのも時間の問題。娼婦を始めてから二十年近く、そろそろ潮時かもしれません。


 ですが、私のところにはお客様がいらっしゃいます。


 ならば、まだ続けられる。


 そうだ、客が来なくなるまで続けよう。いつになるかは分かりませんが、その日が来るまで私は娼婦でございますよ。

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