じれったい距離感 feather touch

澳 加純

一話完結

 彼の白く長い指が、あたしの髪をなでる。

 ただそれだけで、心臓は落ち着きを失ってしまった。





 陽射しが陰り、夕暮れが迫る。

 薄暗くなった部屋に、ふたりきり。

 さっきまでたわいもない話をして笑い合っていたけれど――影の色が濃さを深めると、ふたりの間に流れる空気の色も変わる。

 刻一刻と変化していく、想いの造形かたち



 風をはらんで、揺れるカーテン。



 途切れた会話、次の言葉を探して彷徨さまよう視線。

 行ったり、来たり……。

 すぐ隣に座っているのに、……いるはずなのに、

 クッションひとつ分の距離が、近くて遠い。



 答えを出そうとしないまま、ぎこちない相槌だけが増えていく。



 いつの間にか、うつむき加減の優雅な横顔に、心奪われ見入っていた。

 黄昏に染まる、ほの暗い夕闇の中、

 物思うその姿は、どんな絵姿の佳人より悩ましげで、儚く見えて。



 あたしの視線に気づいた彼は、悪戯めいた笑みを浮かべ、そっと手を伸ばしてきた。

 しなやかな指が、ウェーブのかかったあたしの髪を弄ぶ。その仕草に、ドキドキと鼓動が速度を上げていく。


(どうしよう……)


 身じろぎすることも出来ずに、あたしの神経は彼の指先が振れるところに集中する。

 そんな微かな触れ方じゃなく、もっと大胆に触って欲しいのに。

 もっと、もっと……あたしに触れて欲しい。そんな欲望が湧いてくる。



 シャボン玉のように膨れる欲望は、ひとつ、またひとつと数を増やしていく。はじければ、切なさが増すだけ。

 やるせない息を漏らせば、彼の口元が少し上がる。

 視線が重なれば、愉しげに眼を細める。戯れる指先の動きが大胆になる。



 彼に対する欲求が募っていく。あたしはなんて図々しくて欲張りなんだろう。だからといって、この気持ちを言葉にすることは出来やしない。

 彼の指先が、あたしのひそかな思いを満たしてくれることを祈って、じっと待つしかないなんて。



 髪の描く波をつたい降りてきた指先は、ゆっくりと耳の輪郭をなぞる。

 皮膚に触れるか触れないか、産毛の先端をなでられているみたいな仕種に、あたしの感覚は追い詰められ敏感になってしまった。

 彼の指が辿った箇所は、熱を持つ。皮膚の下で細胞が活発化して騒ぎ出すから。じれったい刺激に焦らされている。

 そして、それに快感を覚えているあたしを知る。



 彼に触発された歯痒い熱は、じわじわと身体中に広がりつつある。それとは別に、下腹のあたりから疼くような衝動が湧いてきて、あたしは落ち着かなくなってしまった。

 その時、輪郭をたどって降りてきた彼の指先が頬をかすめる。


(……っあ!……)


 声にならない声とともに、ビクリと大きく肩が揺れる。心臓は大きく跳ね上がり、驚いたあたしは、思わず彼の腕をギュッと掴んでいた。

 動揺する鼓動の音が大きすぎて、彼に聞こえてしまいそう。

 すっかり落ち着きを失ったあたしの頬を、熱い掌がふんわり包んだ。途端に身体から無駄な力が抜けていく。

 柔らかな安心感と、感傷的な痛みを与えてくれる、いとおしいぬくもりに身を委ねてしまうから。



 火照るあたしの顔を覗き込むようにして、彼は身体を寄せてきた。端正な顔立ちが眼前に迫り、あたしの脈拍はまた速度を上げる。



 彼があたしを見つめている。

 長い睫の影、揺らめく瞳に映るのはあたしひとり。

 底知れない満足感と独占欲が満たされ、甘い痺れがゾクゾクと波紋を広げる。



 煽るような視線は確信犯。

 指先は再び肌の上を滑り出し、顎のラインから首筋、鎖骨をたどって胸元へ。



 恥ずかしさに慌てて視線を逸らせたりしたら、かえって逆効果だった。彼の口角が上がり、瞳には嗜虐的な光が灯る。



「どうして欲しい?」


 微かに擦れた声ににじむのは、誘惑の甘い香り。

 上下する胸のふくらみの上で、止まったままの人差し指が答えを急かす。



 答えは用意されているのに、素直になることに躊躇ってしまうのは恥ずかしいから。彼の思い通りになるのがしゃくだから。

 厄介な気持ちに振り回されている。


 そんなあたしの葛藤も、とうに見透しているのでしょう?

 静かに降りてきた夜より深い、その眼が嫌い。

 憎らしくて、いやいやと首を振って抵抗してみるけれど、あとの言葉が出てこない。



 目を伏せて、小声でつぶやく降伏宣言。



 待っていたとばかりに抱き寄せる腕の強さは、どんなに華奢に見えても男の子のもの。あたしは簡単に引き寄せられ、閉じ込められてしまう。

 彼の体温、匂い、手触り……、待ち焦がれていた瞬間に、幸せな想いが身体中に満ちて来る。



 あなたへの熱にうなされて、うわごとのように名をささやけば、唇に感じる羽より軽い感触。





 甘くて、淡い、残酷な接吻キス

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