モフモフのふ 娘と迷子の子猫の話

澳 加純

1話完結

 まだ娘が小学1~2年生だった頃のお話。


 ある晴れた日の午後、必死な顔をしてわたしのところへ駈け込んで来た。




「あのね、ママ。助けてあげたいの」




 なにかと訊けば、子猫が側溝の中にいるという。出して欲しいと鳴いているが、側溝には蓋がしてあり、娘にはどうすることも出来ない。


 そこで、ママならどうにかしてくれるだろうと、家に戻って来たという話だ。




 ――いやいや、娘よ。ママだって、魔法使いじゃないんだから。なんでもは出来ないよ。




 だってかわいそうなんだもん、と娘はわたしを引っ張って、子猫の元へと連れて行く。


 見れば、側溝の中に3匹の子猫が。




 しかも生まれてまだ間もないのか、鳴きかたも「にゃ~」ではなく「みぃ、みぃ、みぃ」なのだ。


 白とぶちときじ、モフモフの毛をしたかわいい子たちが寄り添い、覗き込む娘の顔を見て「出して! 出して!」と呼んでいるのだ。




 これは、もう、たまらない。




 深さ30~40センチと言ったそれほど深さは無い側溝なのだが、落下防止のためにきっちりと蓋がしてある。これがまた厚さ4~5センチはあるコンクリート製の分厚い丈夫なもので、年に何回かの町内会の清掃の折、主人が「よいしょ」と持ち上げていたのを覚えている。


 けれどその子たちのいる場所だけ格子状の蓋がはまっていて、外から中の様子が覗けるのだ。




 子猫たちも明るい外の様子が気になるのだろう、しきりに私たちに呼びかけてくる。




 みぃ、みぃ、みぃ、みぃ、みぃ……。




 全身を使って鳴いている。訴えている。呼んでいる……。




 なぜに子猫という生き物は、こんなにもかわいいのだろう。


「みぃ、みぃ、みぃ……」という、庇護欲を駆り立てるあの鳴き声は、もはや罪である。




「かわいそうだよ、出してあげよう」




 それはやまやまなのだけど、勝手に側溝の蓋を開けてもいいものかしら。いいえ、もう気持ちは側溝の蓋を上げて、モフモフたちをギュッとしたいと思っているのだけど。






 でもこの子猫たちが呼んでいるのは……。












「出してあげるのはいいけれど、その後、どうするの?」




「お家に連れて行くの」




「3匹も? でもお家では飼ってあげられないよ」




 実は義母が猫嫌いなのである。いかにかわいい孫の頼みでも、これはとおりそうにないのは予測できた。




 しかし娘は食い下がった。どうしても助けてあげたかったのだろう。




 そこでひとつ、条件を出した。ママひとりでは側溝の蓋を上げることはできない。だから、交番のおまわりさんにお願いしてきて――と。


 小学1~2年生の女の子が、ひとりで交番に行って、おまわりさんとお話をするというのは、かなり高いハードルだと思う。諦めるかと思った。


 案の定最初はもじもじと渋っていたのだが、それでも子猫を助けるためにと、娘はありったけの勇気を出して交番に向かったのだ。




「子猫ちゃんたちがどこかへ行かないように、ママ、見張っていてね」




 と言い残して。






 数分後、娘はひとりで戻って来た。


 聞けば、おまわりさんに説得されたらしい。




 子猫たちはそのままにしておいてあげた方がいい、きっとお母さん猫が迎えに来るから、と。




 娘はそれでも納得がいかなかったのだろう。しばらく側溝脇を離れたがらなかった。




 だが、こんな場所に子猫を置いて離れねばならなかった母猫は、おそらく野良に違いない。この子たちのために、食糧の確保に出ている可能性もある。自らの手で食料を調達しなければ、この母子は飢え死にするしかないのだ。家猫と違い、野良の生活は厳しい。


 だとすれば、いつまでも人間がそばに居ては、母猫は子猫の元へ姿を現すことを戸惑っている可能性もあるのではないか。この状況を物陰から窺っているかも。




 猫は警戒心が強い。


 相手は小動物とはいえ、野生の獣なのだ。






 想い悩んだ人間の母は、もうひとつ提案をした。




 1時間後に、もう一度様子をみに来よう。その時まだ子猫たちがここに居たら、おまわりさんやご近所さんに掛け合って、子猫救出大作戦を立てよう!


 そのあいだにお母さん猫が迎えに来たら、子猫ちゃんたちはお母さんが助けるに違いないから。




「お母さん猫、来るかなぁ」




 半分泣きそうな顔で、思いっきり後ろ髪を引かれながら、娘とわたしはその場を離れることにした。




 みぃ、みぃ、みぃ……。




 側溝からは、まだ、か弱い鳴き声が聞こえている。




「きっと、お腹が空いているんだよ」




 娘は心配する。それでも離れなければいけない、と言い聞かせながら。




「えさ、あげていい?」




 それは、やめよう。お母さんが、特別メニューを用意しているかもしれないでしょ。


 今日の晩ごはんは、ごちそうだよーって。




「そうだよね」




 みぃみぃみぃみぃみぃ……。




 母娘して、まぶたの裏にモフモフの影がチラついて、家までの数メートルが辛かった。










 1時間後。


 時計とにらめっこをしていた娘が様子を見に行ったときには、モフモフ子猫たちはいなくなっていたそうだ。


 母猫は、迎えに来たのだろうか。




 実は子猫たちがいた側溝の3メートル横はごみの収集場所で、あのあたりにはよくカラスがやって来る。


 もし子猫たちの隠し場所が道路脇の茂みとかであれば、おそらくカラスに連れ去られてしまったのではないかと思う。


 そのくらい子猫たちは小さく無力に見えたし、カラスは強く狡猾だ。


 雑食のカラスたちにとって、簡単に狩れる小さな子猫は……。




 子供たちを心配した母猫は、どこからか側溝に入り込み、狭くて薄暗いとはいえ安全な構内に子供たちを隠して、食べ物調達に行ったのではないのだろうか。空腹の子猫たちのために。


 けれど子猫たちは恋しい母を追いかけ、外の様子が窺えるあの場所に出てきてしまったのかもしれない。そして必死に母を呼ぶ。「どこにいるの、どこにいるの」と。




 そこに通りかかったのが、わが娘。




 全て推測の内を出ないが、あの子猫たちが無事母猫に会えたであろうことは事実であって欲しい。




 そんな、触れることも出来なかったモフモフとの思い出。


















 さて、我が家には今もってモフモフはいない。




 でも母娘共に、モフモフが大好きだ。




 だからペットショップのゲージの前で、「あっちのモフモフがいい」の「こっちのモフモフも捨てがたい」だの大騒ぎするのは、見逃して欲しいと思っている。




 ダメでしょうかねぇ、パパ?








*******






(余分の後日談)





 あの可愛かった娘も、ふてぶてしく成長いたしました。


 「どこで育て方間違えたのかしら?」と言えば、「どこで育ち方間違えちゃったんだろうねー!」と返してきます。


 あーあぁ。


 母はため息とともに、遠くを見つめる他ありません。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モフモフのふ 娘と迷子の子猫の話 澳 加純 @Leslie24M

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ