25. 本来のカタチ
赤い目をした横顔に、独特の笑い声。虚ろだった表情が一変し、耳を塞いでいた両手が振り払われた。
キサラの顔をした“悪魔”は凶悪な笑みを浮かべてガヴェラの前に立つ。こんなときにテイザが抱くのは「いつも理不尽は弟に降り掛かる」という苦々しさだ。
いざ助けになろうとしても、それは頭で思い浮かべるよりずっと難しい。キサラはどんなに手を差し伸べようとしてもすり抜けてしまうからだ。こうなると見守るかさり気なく後ろから手を添える他ないのだが、知らないうちに全てが終わってる、なんてことも珍しくはない。
そういったときは決まって「赤目」の嘲りを見る。そしてテイザは自身に憤る。「お前は何をしていたんだ」と。
キサラの変貌っぷりにガヴェラは一瞬目を瞠った。探るように目を細め、警戒する素振りこそ見せたがすぐに口の端が釣り上がる。「ははぁ」と何かに納得したように笑うと
「道理で」
などと言い残しその場から姿を消した。
辺りにはすぐさま喧騒が戻り、テイザたちは何らかの形で隔離されていたのだと悟る。声を張り上げていたにも関わらず、誰も駆け付けなかったのはそれが原因だ。
赤目の悪魔はその場でぐるりと牢内を観察し、檻に手をやった。テイザはその様子を目で追いながら大きく息を吐く。肩からは徐々に力が抜けて行き、握りしめていた拳をゆっくり開けばそこには血が滲んでいた。ガヴェラもあれで、高位の魔族だ。その気になれば只人の身など一瞬で屠られる。
(何があるっていうんだ、ここに)
テイザやキサラが牢に居たことは知らなかったはずだ。でなければわざわざ「何故居るのか」などと尋ねたりはしないだろう。つまりテイザたちと接触することが目的で監獄塔を訪れたわけではない。騎士たちが言っていた「悪魔」だろうとは思うが、一体何がそんなに特別なのか。
加えて、牢屋を丸ごと隔離していた方法が気にかかった。「赤目」対策の一環として、テイザはシュヒアルから魔物関連の知識をある程度叩きこまれている。記憶を辿りながら状況を整理し、魔法解析に努めた。
まず、以前シュヒアルが語ったように魔法とは万能の力ではない。一口に魔物と言っても、個体によって使用出来る魔法が異なる。
例えば扱える魔法の属性が一致しても出来ることまで同じとは限らない。魔法の展開は技術や魔力量、発想力などに左右される。
そんな事情もあり、魔物がどんな魔法を使用出来るかというのは事前に把握出来るものではない。実際に魔法を受けるか、目撃した上で対処しなければならないのだ。
空間隔離、というよりは音の遮断ではないだろうかとテイザは予想を付けた。周囲の音はこちらに聞こえないし、あちらにもこちらの音が届かない、というような。
ただ、あの時テイザに異常はなかったがキサラの錯乱ぷりはどう見ても普通ではなかった。表情や仕草を思い返すと体にも何かしらの異変が起きていたと考えられる。
魔族という圧倒的な存在を前にして起きた本能的な拒絶反応なのか、はたまた何かしらの魔法を使用されたことによる効果なのか、テイザには判断が出来ない。
赤目は平然と動き回っているので効果は後を引かないようだが。
(魔法の使用があったとして、それを騎士が探知出来ないということは随分高度な技術が使われているな)
厄介の一言に尽きる。監獄塔へテイザたちを連行した騎士は、どちらかが悪魔だと思い込んでいる様子だった。今後あらゆる手段で追い込まれるはずである。
塔に入れられた人間が順に調べられているのだと仮定しても、あの様子からして次に調べられるのはテイザとキサラだろう。勿論テイザは何も出てこないが、キサラはどうか。
壁や床を観察する赤目を目で追う。この存在を悟られたら、騎士の描く結末がどうであれテイザにとっては同じことだ。何としても弟を逃がさなくてはならない。
何より、ガヴェラとの接触もこれ以上は避けたかった。今回は何故か撤退したが、次もそうとは限らないのだ。何せあの魔族は、キサラの目の前で父・レイルと母・ミレアを殺した男である。
あの日、テイザが家へ戻ったとき、全てが終わっていた。キサラの虚ろな目や、生気を感じさせない無機質な表情は今でも夢に見る程である。
あのときのキサラは赤目とも違う別の「何か」だった。あの光景を、テイザはこの先一生忘れないだろう。
が、当のキサラは未だに真相を思い出さない。両親は兄弟を「村に置いて行った」と思っている。余計なことを吹き込まれる前に、何とかガヴェラを遠ざけなければ。
「おいテイザ、奥へ来い。大事な話だ」
「俺が従う理由がどこにある」
「俺だってお前なんかと話したかねぇ。キサラのことだ。大事だろう?
言いながら赤目の爪がキサラの首を横になぞった。渋々テイザは窓辺に寄る。大声さえ出さなければ周りに聞こえることはない。せいぜい何事か言葉を交わしているとわかるくらいだ。
「──今、なんて言った。キサラが起きないとは、どういう意味だ」
「言った通りの意味しかねぇ。目覚めねぇんだよ」
「お前が表に出ているからじゃないのか。サッサと引っ込め」
赤目の意識がキサラの体を乗っ取っている間、キサラの意識は眠っている。赤目が動いている間の記憶はキサラに共有されないことも、過去に確認を済ませてある。
反して赤目はキサラが起きている間の出来事も正確に把握しているため、悪魔側が意識の切り替えを自由に行っているのだとシュヒアルは結論付けた。
「変わろうにもな、肝心のキサラが居やしねぇ」
「何を、言っているんだ」
「本来一つの魂に対し、一つの器を以て生物は形成されている。器とは、肉体のことだ。俺たちの状況を簡単に言うなら『一つの器に魂が二つ』入ってるって具合だ」
「わかってる。お前は明らかに人格がどうのって話ではない」
「俺たちは魂の結びつきから表層上にある“感情”を互いに理解出来る。念話……頭の中で言葉を交わす程度だが、意思の疎通も可能だ。精神の触れ合う部分から俺はいつでもアイツの存在を感じている。向こうの意識があっても、なくてもだ」
自然とテイザの眉間に力が籠った。想像していた以上に赤目とキサラの間には強い結びつきがあるらしい。これを祓うには骨が折れると常々思っていたのだが、下手に手を出せばキサラまで傷付いてしまうだろう。
赤目はしかし瞳を僅かに揺らし、テイザに言い放った。
「アイツは今、ここに居ねぇ」
赤目は胸元を鷲掴んだ。心や魂が宿ると言われる場所を。魂に器は一つずつ。それは「本来の形」と言われるものである。テイザと同じ。
「居ない?」
テイザの、急速に乾いた喉から掠れた声だけが転がり落ちた。頭がまともに動かない。今発した声も、自分の口から出たとは思えないくらい遠くに聞こえた。
体はそこに、キサラの“器”はそこに在るのに。
居ないだと?
ガン! と勢いをつけてテイザの体が壁にぶつかる。どれだけ憎かろうが赤目に怒りをぶつけることは出来ない。あれは弟が、キサラが「戻る」場所だ。でなければ殴り殺していただろう。
興奮をそのままに腕へ噛みつく。痛み程度では冷静さは戻らない。フーッフーッと息が上がり青筋も浮かんでいる。どのような形相か本人にはわからないが、赤目は怒りに歪むテイザの顔をただ見ていた。
そこに常にあるような嘲笑は存在しない。
喜ぶだろうと思っていた。もしも仮に、「キサラ」が消滅でもしてしまえば奴は満足するだろうと。だが皮肉さや不快さを振り撒くあの悪魔は一体どこへ行ったのだ。
その顔はなんだ。
テイザがギリリと噛み締めれば僅かに鉄の味が広がった。叫べば看守が駆け付ける。騒げばキサラの体は殺される。
この怒りは一体誰に向けてのものだろう。ガヴェラか、赤目か、テイザ自身に対してか。
『テイザ、テイザおいで。この子が貴方の弟よ』
真っ赤な顔で大泣きする赤ん坊。それが弟との初対面だった。はじめまして、と母に促されて手を伸ばした。
小さな手。片手にすっぽりと収まってしまう、丸みを帯びた指。ぎゃんぎゃん泣きながら懸命に足を動かしている幼い命。テイザは戸惑いながらも、元気だなと思った。
『おなまえは?』
テイザが弟へ名前を聞くと、膝を曲げて顔を寄せた父が代わりに応えてくれた。
『キサラ。この子はキサラだよ』
『ふぅん、キサラ。よろしくね』
『テイザは自己紹介しないの?』
赤ん坊に言葉なんてわかるはずがない。当時のテイザはそんなこと思い至りもしなかった。
父から言われて無邪気に名前を教えてやる。大泣きしている弟の頭を優しく撫でながら。
『テイザだよ。おまえの、おにいちゃんだよ』
体をゆっくりゆらゆら揺らされて、キサラは泣き止んだ。真っ赤な顔をした弟が気になって、テイザは家に居ても外に居ても小走りで顔を見に行った。
布に包まれて眠っているのを確認すれば一旦離れ、やっぱり戻ってと繰り返す。
ギュッと閉じた目は何色かな。同じがいいな。テイザはそう繰り返した。
髪の色は何色になっていくんだろう。早く喋りたい。遊びたい。
父と母から世話を任されるのが誇らしかった。兄と言われるのがくすぐったかった。あったかくて、ちょっとうるさくて、でも、可愛かった。村で、いや、もしかしたら世界で一番自分の弟が可愛かった。
初めてキサラが目を開けた時。青と目が合って動けなくなった。綺麗な色だった。
『まだ何も見えていないけど、初めてこの子が目にするのはなんだろうね?』
父も母も両脇から覗き込んで破顔する。テイザはいつまでもキサラを見ていた。
この子が目にするなら、立派な兄で居よう。ちゃんとした大人になろう。
『どんなものを見ていくんだろう。テイザ、キサラ』
そのうちたくさん言葉を喋るようになって、弟は兄を「いーい」と呼んだ。小さい頃は周りの大人を真似してテイザなんて呼んでいたが、舌足らずなせいで「ていあ」になっていた。
『兄ちゃん、兄ちゃん』
短い足で歩いて、一生懸命自分を追いかけて来る弟はやっぱり可愛かった。
でもその日はちょっと違う。テイザにも交友関係があるので少しだけ遊びに行ったのだ。ちょっと背伸びをして大人たちに混ざり、剣やら魔法やら、村の外の話を聞くのが楽しみだった。
キサラを連れて行ったらきっと同じように色々な話を聞きたがるだろうが、あれで結構無茶をする。危険な話は耳に入れたくなかった。
商人が前々から約束していた「珍しい種」を譲ってくれる予定があった。キサラは植物が好きだから、今日遊んでやらなかったことはこのお土産で許してくれるだろう、なんて思いながら家へ戻る。
扉の前に立つと、焼け焦げた匂いが外にまで漂っていた。また母が料理を失敗したのだろうか。テイザは慌てて扉を開いたが、その後に何があったのか、一部の記憶が曖昧だ。
断片的に残る記憶の中にガヴェラが居る。人型に焼け焦げたものがキサラに向かって手を伸ばしていた。それを見つめて佇むキサラの表情は、何度も何度も蘇る。
翌日のキサラはいつも通りだった。
「おとうさんとおかあさんはいつ帰って来るんだろうね」なんて言ったほどだ。魔族のことを、ガヴェラのことを訊ねても不思議そうに首を傾げるだけ。
あの男は思い出せとでも言いたげだったが冗談じゃない。
抜け殻のようになりながら、静かに泣くキサラを二度と見たくはなかった。だからいけ好かない魔女相手にも頭を下げ、手を組んで、どんな苦労でも引き受けた。悪魔を見張り、対処法を探し、そして。
その結果がこれなのか。
「死んじゃいねぇ……死んじゃいねぇさ」
赤目の言葉に、テイザはきつく目を瞑った。
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