9. 馬車の中
馬車が村を出発してからはひたすら移動に時間をかけた。ただ揺られているだけの時間になるかと思われたが、話題が尽きないため退屈さはない。
「そういえばこの馬車って御者の人は乗っていないけど、誰が動かしてるの?」
「確かに御者台はずっと空だな」
キサラとテイザは揃って前方を見た。馬車に繋がれた馬は順調に走っているが、休憩の時ですら御者の姿は見られない。
シュヒアルが連れて来た執事も車内に居るため、移動中の現在も御者台は空席だ。
「使い魔が御者を務めているわ」
「姿を見たことがないな」
「確かに」
ただ「そう」であると紹介しなかっただけで、二人とも既に使い魔との面識はある。別に聞かれたわけではないのでシュヒアルは微笑みだけを返した。
「周りからしたら馬車が勝手に走っているように見えないか? 魔女が乗っているだなんて騒がれたらどうするつもりなんだ」
「各々何かが見えているはずだから心配しなくても大丈夫よ」
「幻覚を見せているってこと?」
「そうとも言えるし、そうではないとも言えるわね」
「どうしてそう肝心なところをはぐらかすんだ」
「魔女はそういう生き物だからよ。ワタクシたちの中では秘匿が美徳なの」
確かに世間一般で語られる「魔女」は意図的に多くを隠し、騙し、欺き、真実を語らないと言われている。しかしこれは悪意ある者の吹聴で、勿論誠実な魔女も多い。
ただそれが事実として長く語り継がれてきたために「謎多き事象への探求」として近代では専門機関が設立されたのではないか、というのがシュヒアルの見解だった。
「人間が魔女を理解する前にこの地上の生命は滅びるでしょうね。紐解かない神秘を楽しみましょう」
シュヒアルは徐に扇子を振った。すると先ほどまであった揺れが収まる。左右に取り付けられた窓からは相変わらず後ろへ流れて行く景色が見え、走り続けていることが窺えた。
「魔法って便利でしょう?」と片目を閉じ、執事に紅茶を淹れさせる。
「揺れが酷いとお茶だって飲めないもの。たまには良いわよね」
「最初からこうしていれば良かったんじゃないのか?」
「あら、馬車に備え付けられている便利機能じゃないのよ。魔法と言えば万能な何かだと誤解されるけれど、そんなに優れたものではないわ。今のコレだって、常にかけ続けないといけないもの」
「難しい?」
「扱うものによっては。消耗するものもあるし、集中し続けなくてはいけないこともあるわ」
その点、コレは簡単よ。と言いながらシュヒアルがコンコンと窓をノックする。
窓には魔法がかかっており、中から外は見えるが外から中は何も見えないそうだ。
「見てシーラ、あの人こっちを見てるのに手を振っても気付かないよ」
「あそこに見えるの牧場じゃない? うわー、何か居るよ。なんだろう」
「牛かな」
「ヤギかも」
反対側の窓へ身を乗り出し、タスラとシーラがはしゃぐ声が聞こえて来た。自分たちの姿が見られることはないと知ってからは観察に余念がない。
建物がぽつりぽつりと現れ、気が付けばどこかの村に入っていた、というのもこれまでに二度経験している。それ以外は木々や草原ばかりなのだが、二人に見える景色は違っているのだろう。
やがてシュヒアルのカップが空になり、閉じた扇子の上に置かれる。打ち上げるように天井まで跳ねさせてから扇を振れば、カップはたちまち消え去り馬車には揺れが戻った。
御者の見えない御者台、魔物が操る馬車の中。不敵に微笑む魔女と、はしゃぎ疲れて眠りに落ちた半成二人。
そう悪い旅路ではないのかもしれない。兄弟は顔を見合わせ、苦く笑った。
その後五つ目の村に到着した一行は、食材や日用品の買い足しのため露店を見て回ることにした。
魔女の執事・ラギスによれば、より安全にという配慮から、商人や旅人の多くが使用する経路を辿っての旅路となっているらしい。
特にこの近辺は派遣されて来た騎士団の団員が物資運搬の中継地としていることもあり、王都を始めとした大都市から遠く離れているにも関わらず物が多く行き交っている。補給地としては最適の場所だ。
「じゃあもう一度確認するね」
「馬車用の魔除け、灯りに使う油に綿は絶対、でしょ?」
「それからパネの実とトマネの枝に」
「「パトレーネ」」
パトレーネとは庶民にとって貴重な甘味、定番の菓子である。日持ちはするし腹持ちも良い。一部地域では主食として食べる者も居ると聞く。最近は果物を複数入れたものが流行しているとかで、変わり種も複数売り出されていた。
大人の拳三つ分程の大きさで、焼かれた生地はもちもちとした食感だ。テウエの葉を加えればほんのり苦みが出るため、大人が酒のつまみとして食べることもある。
調理済みの料理が売られるのは大抵祭日なのだが、騎士が立ち寄る場所は別だ。食材をそのまま置くより菓子類や軽食を始め、すぐに食べられる物が好まれる。
通常騎士団には調理人が帯同するのだが、ごく小規模な隊の作戦には派遣されない。そのため露店の料理需要が非常に高く、今も従者らしき者たちが何人も行き交っていた。
キサラを真ん中に、タスラとシーラが離れまいと身を寄せる。自分たちが歓迎されない存在で、迫害を受けることを身を以て知っていた。
「買い物は皆でするけど、一応はぐれたときのために目印を決めようか。もしものときはあそこにある果物屋さんの前に集合でいいかな?」
「そうしましょう」
「じゃあ二人にはそれぞれお小遣いを渡しておくね。次の町で何があるかわからないから、欲しい物がなかったときは無理に買わないこと」
タスラとシーラにとってはこれが初めての買い物だ。
簡単な物は二人に任せ、細々とした必需品はキサラたちが手分けして買い足す。
「じゃ、はぐれないように」
キサラたちは三人で手を繋ぎ歩き出した。
「衣類は今のところ予備が一着ずつあるから置いておいて、調味料とかも見てみようか。そろそろ家から持って来た塩が無くなるハズだから。他に気になるものがあれば相談してね」
普段オドオドとすることも多いキサラだが、何かに集中している際は喋りも滑らかになる。堂々とした足取りに、後ろの保護者も満足そうに頷いた。
「あれはなんて食べ物かな」
「んん、多分上に乗ってるやつはテッグっていうの。あっちにはお肉もあるよ」
「大きいね、ガンガルの肉かな」
「あそこパトレーネ売ってる!」
キサラ自身、こんな風にたくさんの出店が並んでいるのを見るのは初めだ。二人と同じぐらい楽しそうに歩いている。
こんなことでも喜ぶのなら、もっと外へ連れ出せばよかったとテイザは一人反省していた。何をしても微妙な顔しかしないのだから、何事に対しても興味がないのだろうと、諦めずに。
タスラもシーラも、深く被った外套の中で満面の笑みを浮かべている。そんな三人を、髭面の男たちがニヤニヤと見ていることに気が付いた。
人の集まるところには財布を狙うスリが多く出る。両手を取られたキサラは特に良い標的だった。
「おい魔女」
「その呼び方やめてくださらない」
「気付いてるだろ。まさかキサラだけしか見てないなんてことはないだろうな」
「当然よ。右の二人でしょう?」
「左の三人も仲間だろ。そっちは任せた」
テイザが言い終わる前に、シュヒアルは物騒な男たちから逆に財布を盗り上げていた。
(前々から思っていたが、あのデカい屋敷に来る前は何をしていたんだ? この魔女)
手癖が悪すぎる。慣れた手付きを見るにこれが初めてではないだろう。
シュヒアルとテイザはさり気なく三人の後ろについた。これは最早どちらがより多くの障害を退けるかという戦いだ。
「「あ」」
半成が嫌悪の対象であることを二人は完全に失念していた。
わざと外套を引っかけられたシーラの耳が露わになり、近くに居た人間が小さく「ひっ」と声を上げ、怯えたように体をすくませた。
「は、半獣、半獣だ」
「まさかそっちも」
「半獣が居るぞ、追い出せ!!」
自警団と思わしき男たちが、叫びを聞き駆け寄って来た。不当な逮捕に理不尽な罰が与えられることも珍しくないのが半成である。
キサラに託され、テイザは手早く二人を両脇に抱き上げて走った。人の間を縫って走れば、待てと叫ぶ声が段々遠くなって行くのがわかる。日頃鍛錬していた甲斐もあるというものだ。
タスラもシーラも両手でテイザの服を掴み必死にしがみついていた。わずかな震えを感じて抱え直す。二人はこの先顔も体も隠さず歩くことは出来るのだろうか。臆面もなく笑って、日差しの下を。
ごめんなさいと小さく零した二人に「謝る必要はない」と声をかけることしか出来ない。この無力感を、恐らくキサラは常に抱いているのだ。
後からすぐにキサラたちも追い着くだろう。そう思っていたからテイザは振り返りもせずに走った。とにかく怯えや怒りや嫌悪から、二人を遠ざけてやることが一番だと信じて。
しかしそれがまずかった。誰かが一度振り返るべきだったのだ。
何でも一人でやろうとするからといって、全て出来るというわけではない。それをわかっていなかった。
求められるまで手を貸す必要はないと、思うべきではなかったのだ。
止めていた馬車にテイザが乗り込むと、すぐにシュヒアルも滑り込んだ。よくもヒラヒラと動きづらい恰好で走れるものだと感心しつつ、扉からキサラが飛び込んで来るのを待つ。
シュヒアルは咄嗟にキサラの姿を隠す魔法をかけていた。だから捕まるはずはない。
しかしどれだけ待ってもキサラは帰って来なかった。
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